生きている牛と牛肉との間には、意識の上で大きな空白があります。高級牛肉の切り身を見て嬌声を上げるのには裏表も何もなく、ただ食品として見ているだけなのです。調理をする側からもあんまり伝わってくる気がしないので、というのは本当に陰の仕事なんだなと思います。大産地であるオーストラリアもそうなんでしょうか。悪名高きシーシェパードは、鯨やイルカと牛とを比較するようなものではなくて、あくまでもイルカの代弁者なのだと言っています。なるほど、だったら牛のことなんか関係ない。よそではマグロ漁の妨害をしていたといわれましたが、最初からシーシェパードって言ってんのにどこで牛の話が出てくるんだと、はあはあ、その点は道理としてわからなくはないですな。いわく、「牛はいいんだ」と。
なんかね、食肉に対する敬意というのは昔からこのようなものだったのだろうかと、少し考えていたのです。焼肉店に集まる顔触れ(というか駐車場に並ぶ車の雰囲気からうかがい知れるもの)からは多くは期待できないわけでありまして。
なんかね、食肉に対する敬意というのは昔からこのようなものだったのだろうかと、少し考えていたのです。焼肉店に集まる顔触れ(というか駐車場に並ぶ車の雰囲気からうかがい知れるもの)からは多くは期待できないわけでありまして。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます