水色の亀

4月の目標:とりあえず、モンゴル完結編!

お母さんの言葉

2005-05-26 | 日常
バイトは遅刻だけど空は青い。頭は痛いけど風は涼しい。そう、それはごく平凡で、平和な朝でした。
ええ。向かいからやってきた親子の会話を耳にするまでは。

「ターミネーターは元気かなぁ?」

・・・。 (一秒間思考停止)

何?ターミネーター?
え~っと、そもそもターミネーターに 元気とか病気とかあるんでしょうか 。百歩譲ってもエネルギー切れくらいのもんじゃないんですか。私が間違えてまつか。そうでつか。
それともアレ?これは世に言う 聞き間違え って奴?
OH!イッツジャスタ血迷い事!?マイイヤリズブロークン?むしろマイハーティズブロークン??日本人ワケワカラナイヨ!!

子 「でも ターミネーターってホントはいないんでしょ?

きききき、聞き間違いじゃねぇ―――!!!

し!しかもこの子ったら 全否定! ターミネーターを 全 否 定!!!
きっとこの子、12月半ばのお父さんの前以外では「サンタさんってホントはいないんでしょ?」とか言っちゃうに違いないワ!!!
お母さん!この子にガツンと言っておやりなさい!私が許す。シュワちゃんに代わって私が許すから、さあホラ!!

「 え、でも学校にさぁ… 」

・・・。 (再び思考停止)

颯爽と私の横を駆け抜けてゆく親子。続きの言葉は風の彼方に消えてゆく。

…奴ら、学校にいるの…?

答えておかあさん。教えておじいさん。教えてアルムのモミの木よ…

そんなこんなで、その瞬間私の頭の中にはこんな映像が流れたのでありました。



ん~。できれば、こんな学校、行きたくない。

二つに分かれた

2005-05-15 | お話
いつも共にあった。
それはこの世に生を受けてからずっと。

彼女と私は別の種ではあったが、互いの存在にとって互いは不可欠なものであった。
仕事をするのも苦しみを受けるのも一緒だった。
私たちは互いを信頼しあい、唯一無二のパートナーとして認め合っていた。

その日も、仕事をした。
すっかり体の力の抜けた彼女を私はそっと支えた。
瞬間だ。

「熱いっ…」

彼女が叫んだ。
見れば彼女と私を繋ぐ腕がジワジワと融けてゆくではないか!
彼女の肌はまるで炉に入れたかのように汗をかく。
私は彼女の腕を強く掴んだ。

「行くな!」

彼女は何も言えないらしかった。
呆然と己の腕がまるでもとより存在などしなかったかのように形を失ってゆくのを見つめている。

「おい!」

声をかけるのに、彼女は応えない。
その間にも彼女の腕は赤くただれてゆく。

「行くなっ…!」

いつもと違って、少し離れたところにいる彼女は、寂しげに笑った。

「もう、戻れないね。」

気付けば、手の中には、彼女の残骸が残るばかりであった。
私は黒く染まったフライパンの上に泣き崩れた。



上を向いて歩こう

2005-05-13 | 家庭教師
どうもこんにちは。
衣食住で削るなら迷わず衣、八王子のカリスマファッションリーダーいけちょです。

さて、そんなカリスマの昨日のチョイスはパンツ999、アウター1000、トップス、サングラス315。海外から帰還した芸能人を意識したニューファッション。
ファッションコメンテイターP子さんをも唸らせるチョイスに道行く人の目も(主にその値段などに)釘付けです。

で、まぁカテキョ先に行くじゃないですか。そしたら奴(小5)はカリスマに向かってこんなことをのたまったわけです。

生徒 「見て見て~一足1000円の靴下買ってもらった~★」

…カリスマファッションリーダー、生活苦を理由に引退を決意。

アーティスト論

2005-05-01 | 語り
私は全ての経験はそのアーティストの出力するものに表れると思っています。

文章に関しても、実際に体験をしたことはそうでないことに比べてリアルになるし、自分の感じたことのない感情を描いたところでニセモノ臭さは拭い去れないでしょう。

それでは多くの経験をした人のみが巨匠になりうるのかと言えばそうとは限りません。残念ながら生きている間に自分の描きたいもの全てを経験できるほど余暇や資本を持っていないのが我々の現状です。そこでそれらを補填するために活きてくるのが映像・音声メディアや書籍といった、先人の経験による知識・教養のリソースです。これは別に書き手ならば名著を読んで表現を盗め、というような瑣末なことを言っているのではありません。

この場合触れるべきは、哲学の話、科学の話、言語学の話から、愛を歌った歌でもいいし、歴史や政治を描いた映画なんかでもいいのです。そういった世界に触れることで、その人の世界観は少なからず変化するでしょう。そしてその新鮮な世界観は、その人の出力するアートに必ず影響を及ぼしてくるのです。経験が少なく、多くの考えに触れたことがない人ほど話の幅が狭く、逆に多くのことを知っている人ほど作品として面白いものを作り出せるというのは、抗えない事実です。

私はまだまだ自分をアーティストと呼べるとは思っていませんが、それでも自分が成長する限りアートも成長するのだと信じて、真摯にアートに向かい合いたいと思っています。