アジア映画巡礼

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『ミルカ』萌え~<その8>ラケーシュ・オームプラカーシュ・メーラ監督インタビュー(下)

2015-02-01 | インド映画

1月29日にアップしたインタビューの続きです。


 Q:監督の奥様は、さっきもお名前が挙がった編集担当のP.S.バールティーさんですね。個人的な興味で申し訳ないのですが(笑)、お二人の出会いはどこでだったのでしょう?

 監督:彼女と出会ったのはずっと前です。広告業界にいた頃でした。彼女はある広告制作会社で働いており、私の方はまだ定職がなくて、ムンバイで仕事を探している時でした。結婚したあと7年間は、彼女が働いて一家の生活を支えてくれました。私はCFを作りたいと思っていたのですが、誰も声をかけてくれなくて、ずっと仕事がなかったのです。ですから、彼女の給料が唯一の収入源でした。

まあ今でも、生活費は彼女に頼っていると言えるかも知れませんね。だって私は、持っているお金を全部映画製作のために使ってしまいますから(笑)。彼女はとてもステキな女性です。私の映画に対してもいいセンスを発揮してくれて、編集を担当してくれています。


Q『ミルカ』のインターナショナル版は、本当にとても細かい、丁寧な編集がなされています。ここが1秒切ってあるかと思えば、別の所は2秒カットされている、という風に、細部まで神経が行き届いた編集です。3時間9分のインド公開版と比べると、冗長さが消え、愛国主義が薄まっただけでなく、別物のように生まれかわった感じです。

監督:そうなんです、こちらのインターナショナル版の方が、適切なヴァージョンだと思いますね。映画が完成すると、出資者や共同製作者が公開を急がせるんです。すぐにでも公開して、少しでも資金を回収したいと思うんですね。それが何よりも優先されます。

しかしながら私が思うに、できあがった作品は1、2ヶ月置いておいて、再編集を何度もやってみることで、作品で本当に表現したいことがはっきりと見えてくるのではないでしょうか。フィルターをくぐらせるというか、言いたいことをいっぱい詰め込んだ作品を、時間を置くことでフィルターにかけていき、本当に言いたいことを抽出していく。でも、映画の公開が迫っている時は、そんな贅沢な時間などとても持てません。

『ミルカ』は公開から6~8ヶ月置いた時点で再編集したので、不要なものを捨て、取り出すべきものを明確につなぎ合わせることができました。このヴァージョンで、インドでももう一度公開しようと考えているところです。

『Rang De Basanti(愛国の黄色に染めて)』も、2時間46分のものを2時間20分に再編集する予定です。この映画は大ヒットした作品ですが、それでもあえて短縮ヴァージョンを作ってみたい。人からは、「何で今さら短縮版を?」と言われていますけどね。

『デリー6』の時は、全撮影が終わってから6ヶ月後に、再度撮り直しをしました。最初の部分を変えて、新しいヴァージョンを作ったのです。自分が本当に満足できるものを作ろうとするのは大変ですが、映画が当たろうと当たるまいと、これが満足のいく作品だと証明する機会は残されているわけです。理解を深めて、よりよいものを作りたくなるのはごく当然の成り行きだと思いますけどね。

 

 Q:主役にファルハーン・アクタルを起用なさったのはどうしてですか? ミルカ・シンとルックスが似ていたからでしょうか?

 監督:いやいや、ルックスはずいぶん違いますよ。ファルハーンが出演した『Rock On!(ロック・オン)』(2008)とか『人生は一度だけ』(2011)を見てご覧なさい。彼が演じているのは、あけっぴろげで、ギターを弾いて歌ったり、ダンスしたりしている青年でしょ。

彼を起用したのは今考えると、ファルハーンの眼でしょうか。物語にふさわしい、強い眼差しをしていますよね。

私はずっと前から、ファルハーンはいい俳優になれると思ってました。だから、まだ彼が俳優としてデビューする前に、『Rang De Basanti(愛国の黄色に染めて)』(2006)の役をオファーしたことがあるんです。その時彼は、「ええっ? 僕は演技なんてできないよ」と言ったんですが、「いつか演技をすることになるから、憶えておいて」と言っておきました。そうしたら、俳優に転身した、というわけです。それから7年たって、彼は私の映画で演技してくれることになったわけですが、「ほらね、7年前に僕の言うことを聞いてくれてたらよかったんだよ」と言ってやりました(笑)。

 

Q:ファルハーン・アクタルはシク教徒に扮するために髪も伸ばさないといけなかったし、アスリートとしての体も作らなくてはいけなかったので、長い準備期間が必要だったのでは、と思います。オファーなさったのは撮影に入る何ヶ月ぐらい前ですか?

監督:8ヶ月前ぐらいだと思いますよ。その8ヶ月間、彼にはほかのことはしないで、役作りに集中してもらいました。髪を伸ばし、体を変え、走り方を習得してもらったんです。もちろん彼は走れたわけですが、それをアスリートの走りにするために、技術的な諸点を身につけてもらいました。彼には複数のコーチやトレーナーを付けて、十分に準備してから撮影に入ってもらったんです。

撮影は2ヶ月間続き、それからいったん撮影をストップして4ヶ月間休みを取りました。その間に、ファルハーンには元に戻ってもらったのです。つまり、最初に作り込まれたアスリートとして映画に登場してもらい、4ヶ月後には、まだ何もやっていない普通の状態の青年としての演技してもらいました。

というわけで、長い長い期間、おおよそ18ヶ月間かかった撮影で、それをスクリーンで見てもらっているわけです。大変な仕事だった、と口で言うのは簡単ですが、ファルハーンのこの映画に対する献身は偉大だった、と言うしかありませんね。

18ヶ月間、ファルハーンは他の仕事をまったくしませんでした。彼は監督、俳優のほかに脚本家でもあるのですが、ものを書くことも一切しなかった。というのも私が、「君はアスリートにならなくちゃいけない。この役は、君が演技してできるものではない、ミルカ・シンになり切らないとダメだ」と言ったからで、彼は役になり切ってくれました。素晴らしかったですね。ハードワークのお手本です。

 

Q:ファルハーン・アクタルだけでなく、脇役の俳優さんたちも皆さん素晴らしかったですね。軍隊コーチ役のパワン・マルホトラやお父さん役のアート・マリクはどのようにキャスティングなさったのですか?

監督:まず脚本を書き上げ、その後キャスティングに入ります。第1候補、第2候補、第3候補という風に選んでいき、順番に交渉するわけです。コーチのグルデーウ・シンも、ミルカの父親も、ミルカの姉もそうやって選んでいきました。コーチ役のパワン・マルホトラがまずOKをくれ、それから姉役のディヴィヤ・ダッタが承諾し、さらにビーロー役のソナム・カプールも承諾してくれました。

父親役のアート・マリクの場合は、ちょっと特異なケースですね。彼はこれまで、インド映画には出たことがなかったのです。ずっとイギリスで仕事をしてきた俳優ですから、ヒンディー語も全然知らなかった。でも、私は彼の『トゥルー・ライズ』(1994)や『インドへの道』(1984)、『シティ・オブ・ジョイ』(1992)などの演技に引かれていました。いずれも、素晴らしい演技を見せてくれましたからね。

今回の作品は、登場人物全員が、主演のファルハーンも含めて、リアルに見えないといけない。映画館に行った観客が、画面に自分の好きな俳優を見ることになったら失敗です。好きな俳優が出ている、と観客が意識したとたん、ミルカ・シンにコーチ、父や姉の存在感が消えてしまう。ですから今回は、「アンチキャスト」、つまり普通に行っているキャスティングの逆を行かないとダメ、ということになりました。

とはいえそれは楽しい作業で、頭で考えて選ぶのではなく、本能で選んでいくというキャスティングでした。成功している俳優だから、といった基準ではなく、役柄にピッタリかどうか、という点だけで選ぶんです。それが結果的にうまくいきましたね。キャスティングの最終責任は私にあるのですが、これを統括してくれたのは妻のバーラティーでした。で、彼女がまとめてくれたものに私が最終決定を下す、という手順でした。

 

Q:スタジアムの撮影がいろいろあってあって大変だったと思いますが、全部インドで撮られたのですか? 武井壮さんも、東京アジア大会のシーンをインドで撮影した、と言ってらっしゃいましたが。

監督:そうです。パンジャーブ州のスタジアムと、デリーのスタジアムで撮りました。昔のグラウンドは、今のものとはまったく違っているんです。今のスタジアムは全天候型グラウンドですが、当時は土のグラウンドでした。これをシンダー舗装と言います。当時の土のグラウンドを再現するのは非常に大変でしたから、そういう古いシンダー舗装のグラウンドが残るスタジアムを探しました。パンジャーブ州とかあちこち探して、一つだけデリー郊外に残っているのを見つけたのです。

ですが、スタジアム自体はもうボロボロ状態でした。そこで、我々はグラウンドでのシーンをそのスタジアムで撮って、それをコンピューターで、他の場所で撮った観客がいるシーンと合成したのです。スタジアムにたくさん人がいるシーンを撮って、それをいろんなテクニックを使用しながらコピーしていく。こうして、スタジアムに何十万人という人が集っているシーンが完成したわけです。ただ、競技シーンは常にカメラが動いていきますから、背景となる客席の合成は、普通の合成に比べるとかなり難しい。完成したものがリアルに見えるよう、慎重に作業をしていったのですが、すごい技術ですね。

映画を撮り終えてから丸1年は、こういったポスト・プロダクション作業にかかりきりでした。しかし、もっとも大変だったのは、こういった技術面のことではなくて、資金集めでした。技術面では、今は何でも揃っていますからね。

技術面の参考にするのに、世界中の映画をたくさん見ました。最近のハリウッド映画で、『インビクタス/負けざる者たち』(2009)という、モーガン・フリーマンとマット・デイモンが主演した作品があります。南アフリカが舞台で、ネルソン・マンデラが登場するラグビーの話です。この映画がスタジアムシーンを工夫して撮っている、というので、そのテクニックを詳しく調べて、インドではどう実現できるか考えたりもしました。

とにかく我々は、常に製作費と戦っていましたね。何せお金がない上に、とても難しい作品なのですから。有名スターを使ったラブストーリーなどではないこういう作品は、本当に大変でした。ぜひ、たくさんの方に見ていただきたいと思っています。

Q:長時間ありがとうございました。

 


監督からは、プレゼントを頂戴しました。『Rang De Basanti(愛国の黄色に染めて)』の最近出たDVD(本編とメイキング・ドキュメンタリー『Ru Ba Ru(面と向かって)』の2枚セット)と、撮影用脚本(ヒンディー語&英語対訳)本です。アーミル・カーン、シャルマン・ジョーシー、R.マーダヴァンの『きっと、うまくいく』トリオが出演しているこの映画の、新ヴァージョンも見てみたいですねー。

『ミルカ』の公式サイトはこちらです。公式ツイッターには、皆様の感想がいろいろとリツイートされています。お、何やら監督のサイン入りプレゼントのお知らせが。ぜひのぞいてみて下さいね。

 



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