アジア映画巡礼

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週一『SANJU/サンジュ』<4>サンジュの母ナルギスはインド版原節子

2019-05-10 | インド映画

『SANJU/サンジュ』の公開日6月15日まであと1カ月余り。先週の「父スニール・ダット」に続き、今週はサンジュことサンジャイ・ダットの「母ナルギス」をご紹介しましょう。下の写真は、日本でも上映されたことのあるインド映画の名作『詐欺師(原題:Shri 420)』(1955)の一場面です。ナルギスは女優としての存在感から言えば、日本映画界では原節子に当たると言ってよいと思います。モノクロ映画の中で輝きを放ち、ある監督のミューズとしても存在した、一時代を画した女優ーそんなナルギスを、『SANJU/サンジュ』をご覧になるための予備知識として、ご紹介しておきましょう。

『詐欺師』Courtesy:National Film Archive of India(NFAI)

ナルギス(意味は”水仙”)は、1929年6月1日にイギリス領インドのカルカッタ(現コルカタ)に生まれます。本名はファーティマー・ラシドで、その名前からもわかる通りイスラーム教徒ですが、父親は元々はヒンドゥー教徒で、パンジャーブ州のラーワルピンディー出身のバラモンでした。母親はジャッダンバーイーと言い、古典音楽やセミ・クラシック畑の人気歌手であり、女優としても活躍していました。ジャッダンバーイーのことを書き始めると長くなってしまうのですが、彼女はインドの初代首相ジャワーハルラール・ネルーの父モーティーラール・ネルーが、ジャッダンバーイーの母と関係してできた子供と言われています。それを証明するように、養育費がモーティーラール・ネルーからずっと送られてきていたそうで、成人していわばインド版「芸者」になったジャッダンバーイーですが、ネルー首相との関係は周知のものであったようです。そんなジャッダンバーイーは2度結婚して2人の男児を授かるのですが、3度目の結婚で生まれたのがファーティマー、のちのナルギスでした。ヒンドゥー教徒だった父は結婚時にイスラーム教徒に改宗し、アブドゥル・ラシドという名前になっていたので、ファーティマー・ラシドと名付けられたのです。

Taqdeer 1943.jpg

ナルギスが生まれたあと、1931年に一家は現在はパキスタンとなっているラホールに移り、やがて母のジャッダンバーイーは舞台から映画にも出演するようになります。4年間のラホール生活の後、一家はボンベイ(現ムンバイ)へとやってきて、ジャッダンバーイーは歌手や女優としてだけでなく、プロデューサー、監督としても活躍を始めます。一等地マリーン・ドライブのアパートに住居を構えて、先の結婚で生まれた息子たちやまだ幼いナルギスも子役として映画に出演させるようになります。ナルギスの映画デビューは1935年の映画『Talashe Haq(権利の希求)』でした。そして1943年、14歳のナルギスは大人の女優として、マハブーブ・カーン監督作『Taqdeer(運命)』(上のポスター)に出演し、以後インド独立までに4本の映画に出演します。独立後は当時の人気男優ディリープ・クマールの相手役が多かったのですが、1948年、運命的な作品に出演します。ラージ・カプールの初監督作品『火(Aag)』で、主演もラージ・カプールでした。

『雨季』Courtesy:NFAI

『火』以降、ラージ・カプールは続く自分の監督・主演作品『雨季(Barsaat)』(1949/上写真)、『放浪者(Awara)』(1951/下写真)、『詐欺師(Shree 420)』(1955)のすべてにナルギスを相手役にします。そして、そのどれもがヒットし、中でも『放浪者』と『詐欺師』はインド以外の国々、特に当時のソヴィエト連邦や東欧諸国、中国などでも大人気となりました。ラージ・カプールの監督作以外でも、マハブーブ・カーン監督の『Andaz(スタイル)』(1949)など、ラージ・カプールとナルギスの共演作が数多く作られたため、2人はゴールデン・コンビともてはやされました。やがて、映画界の人々だけでなく、一般のファンも2人が特別な関係にあることに気づくことになっていきます。

『放浪者』Courtesy:NFAI

しかしながら、ラージ・カプールはすでに1946年に結婚しており、子供たちも生まれていました(1947年ランディール(カリシュマーとカリーナーの父)、1948年娘リトゥ(息子の嫁がアミターブ・バッチャンの娘)、1952年リシ、その下に娘リーマー、そして1962年ラージ-ゥ)。ラージ・カプールの妻クリシュナーは、『火』以降多くのラージ・カプール作品に出演している俳優プレームナートの妹であり、後年ラージ・カプールの周囲の人々から「バービー・ジー(兄嫁さん)」と慕われるようになる彼女は、ラージ・カプールにとって理想的な妻でした。そのため、1949年頃から始まったと思われるナルギスとラージ・カプールの関係は、ナルギスの母ジャッダンバーイーを除き、誰もが認めていませんでした。そんな中で2人の関係は続いたのですが、ナルギスが密かに期待していたラージ・カプールの離婚は、彼自身が望んでいないことがだんだんとわかってきます。なのにラージ・カプールが、自分の会社R.K.フィルムズの作品以外には出演しないようナルギスに言ったり、その一方で自分は新たなヒロインを求めたりすることに対し、ナルギスはだんだんと嫌気がさし始めます。そうしてナルギスは、ラージ・カプールから離れることを決意したのでした。2人の最後の共演作となったのは、ナルギスがゲスト出演したR.K.フィルムのラージ・カプール主演作『目をさまして用心しろ(Jagte Raho)』(1956/下写真)でした。

『目をさまして用心しろ』Courtesy:NFAI

その後、ナルギスが出演したのは、前回の記事でも書いたスニール・ダットとの共演作『Mother India(インドの母)』(1957)だったのです。それ以降のことは前回の記事を見ていただくとして、2人の生涯をたどった本で「Mr. & Mrs. Dutt」以外にも参考になる本「Darlingji: The True Love Story of Nargis & Sunil Dutt」(Kishwar Desai著、HarperCollins Publishers India, New Delhi, 2007)の表紙と裏表紙の一部を付けておきます。多くの写真に、スニール・ダットとナルギス一家の幸せそうな姿が写っています。

前回の記事にも書きましたが、ナルギスは1980年に国会議員になります。その時にナルギスのある発言が物議をかもしたことがありました。それは、ナルギスがサタジット・レイ監督を「インドの貧困を世界に喧伝している」と非難した発言でした。ナルギスはまた、「サタジット・レイ監督の作品は商業的には成功していない。あれは賞を取るためだけの作品だ」と言ったとも伝えられますが、国会での発言だったことから、世間を騒がせることになりました。上記の本ではナルギスの意図は、「我々はもっとインドの映画作家を援助しないといけません。サタジット・レイは海外に向けて”貧困”ばかり描いています。そういう貧困層を楽しませようとしているのは、マヌモーハン・デサイらのような映画人です」ということで、当時のボンベイやマドラスの映画人をバックアップしようとしたのだ、と述べています。しかし、ナルギスはこの騒ぎのあと間もなく膵臓ガンが発見され、アメリカに治療に赴いたりしたため、結局彼女の過激な発言という形で映画史に残ることになってしまいました。

©Copyright RH Films LLP, 2018

『SANJU/サンジュ』では、『ボンベイ』(1995)や『ディル・セ 心から』(1998)で日本人観客を魅了したマニーシャー・コイララがナルギスを演じています。上のスチールはニューヨークの病院で入院中に写した家族写真(1人、家族ではない人が後列左端に写っていますが、この青年カムリーはナルギスの大ファンで、そっと病室にお見舞いに来たところをサンジャイに見つかり、紆余曲折ののちに親友となって家族同然の存在となる、という設定です)ということで、マニーシャー・コイララのナルギスはかなりやつれた顔をしていますが、撮影中に出回った写真はナルギスにそっくりの美しさでした。マニーシャー・コイララは彼女自身が卵巣ガンからのサバイバーで、そんな彼女をキャスティングしたラージクマール・ヒラニ監督の意図は、マニーシャーに対する励ましの意味もあったのかも知れません。


ナルギスは、1981年5月3日に亡くなります。まだ51歳という若さでした。上の本は1994年に出版されたナルギスの伝記本ですが、スニール・ダットが2005年に亡くなったあと、2007年に別の出版社で再版されたものです。ナルギスは亡くなる2年ほど前から体調を崩していたものの、インドの医者はガンを発見できず、発見した時は手遅れで、スニール・ダットがニューヨークのガン専門病院に入院させたのですが、その後小康を得た時にインドに帰国するのがやっとで、帰国後間もなく亡くなった、と上記の本は伝えています。それはサンジャイ・ダットの初主演作『Rocky(ロッキー)』公開の直前で、映画に主演するサンジャイを見ることと、下の娘2人の花嫁姿を見ることを支えに闘病してきたナルギスには、苛酷な結末となりました。おまけに、この頃まだサンジャイは薬物依存から立ち直っておらず、ナルギス亡き後のスニール・ダットは本当に大変だったようです。『SANJU/サンジュ』でも、ナルギスの逝去時のことが印象的に描かれています。そこで立ち直っていれば、サンジャイ・ダットはまた違った人生を歩んでいたと思うのですが...。

『Mother India(インドの母)』(1957)のナルギスとラージ・クマール。Courtesy:NFAI

『SANJU/サンジュ』の公式サイトはこちらです。まだまだ続く『SANJU/サンジュ』話、次回と次々回は「ページ3」、つまりゴシップ欄もどきのお話となりますので、ご期待下さいと言うべきか、ごめんなさいと言うべきか...。次回は、「ダット家とカプール家の因と縁」(韓国映画『神と共に』からイタダキました;;)です。

 


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