40年間、兄弟以上の付き合いをしてきた友が、59歳の若さで逝ってしまった。
去年の春、義母の米寿のお祝いで嶽温泉で飲んだのが、津軽への最後の旅となってしまった。
来年からは一緒に、ねぶたも立佞武多も見れなくなった。
津軽三味線も聞くことができなくなってしまった。
鹿児島生まれの彼にとって、津軽は第二の故郷であり、
私にとって鹿児島は第二の故郷だった。
寂しい別れだった。
辛いです。涙が止まらない-----
完全復活までは、少し時間がかかりそうです。
今度のことで、家族皆が私のことを心配してくれた。
悲しみの中にも幸せを見つけることができました。
長男の嫁が「私たちの前では泣いてもいい」とメールをくれたことに、家族を感じた。
頑張るお父さんでした。
今日UPした下山隆雄さんの
コラムだけの新聞「ワ・ツガルジャン」
じっくり読んでください