大島自然愛好会 会員 伊豆大島ジオパークガイド チョモ こと 内堀 昇一
サクユリ観察会が19日にあるので 昨日 夜便に乗り今朝06:00時帰島しました。
上 の左の山は櫛形山。下は今日一番良く撮れた写真です 藤井さん 山田さん 何なりとお使いください。
大島温泉ホテルから 右ピークのへこんだ穴が1986年の割れ目噴火 B3火口 左ピークの右下の楕円形がB1火口
参加者 14名(うち 東京都大島支庁 大島公園管理事務所 から3名 新たなキョン保護ネット設置箇所の下見に来ていただきました。島外者 0名)
キョンによる食害 蕾が出てから かじられました。
茎の色からして 幼い頃 キョンに噛じられました。
ヴァイラス(ウイルス) 蕾も葉もいじけています。
むかし 球根の盗掘(カルデラ内と外縁)・大量の種(穂)の刈り取り(奥山砂漠)が頻繁におこりました。
掘りやすい場所に自生する花数が多い個体は あっという間に掘られてしまい翌年には 姿を消します。
右背景は 櫛形山 (左側の海側斜面が裏砂漠)
ジオロックガーデンのサクユリ
(利島のサクユリ)
(神津島の....出典 前田正代)
(神津島のサクユリ 出典 前田正代)
2006/08/02 サクユリが咲き誇る三原の楽園
旧滑走台 右斜面...(下から見ると左斜面) 大島一のサクユリ群生地でした。
いまはなき レイクランドテリアと17年前70歳のときに旧馬道を間伏から50/77回ほど三原に登りました。マッターホルン登頂に備えました。開花サクユリを鑑賞することもなく ただ ひたすら休まずに登る。お鉢までの所要時間は65分 今は2倍強の時間がかかります。
同じ 旧滑走台 右斜面...2017/08/02 個体数6 2018/07/21観察→ 1個体も無い 滑走台右斜面のサクユリ絶滅。球根の大量盗掘が後日判明しました。....球根の盗掘 種の採取 ウイルス キョンによる食害でサクユリが激減。
こりゃ大変ということで........... サクユリを守る会 大島自然愛好会が立ち上がり 環境省に カルデラ内キョン獣害防止ネットの設置申請 →認可。 盗掘 については大島警察署(自然公園法違反で現行犯逮捕の公示)の助言を受けサクユリを販売している浦和と糸魚川...... 埼玉・新潟県警生活安全部に.....。 東京都大島支庁のご支援で 白石山カルデラ内斜面 2箇所に保護ネットが設置されました。町民参加でネット内に種蒔......, やがて ネットの老朽化などでサクユリ保護の役割が果たせなくなりました。一方で
祖父 親の代から球根を掘って販売 開花サクユリの摘み取りも ごく当たり前。いわゆる入会権です。しきたり(慣習法)と現行 自然公園法のせめぎあいです。カルデラ内「特別保護地区」は原則 何も手をつけることが出来ません。原生状態をたもつためです。島で「山切」を稼業にしているチョモのドローンの師匠 「谷口芳久」通称 博士にとっては えらい迷惑です。谷口さんはもっぱらオオバヤシャブシの若い枝 ・山帰来(サルトリイバラ)を採取して出荷しています。サクユリの球根掘りはしておりません。むかしは父親と三原のサクユリの球根を沢山掘って売ったそうです。
利害の調整も一方で必要です。
.....嬉しいことに ジオロックガーデンで 突如として 昨年 2024年 昔の景観(旧滑走台右斜面)が復元しました。
大島♨ホテルから 櫛形山に向かって進むと ジオロックガーデン左方に一気に個体数が増えました。長い年月をかけて にわかにサクユリ群落が出現いたしました。見事です。南西の風で大量の種子が吹寄せのように集積 時を重ね 開花したものとおもわれます。サクユリ群落が復元いたしました。起伏に富むスコリアラフトの地形につき 岩登りを得意とするカモシカと違って さすがのキョンも好んで侵入しないのではないかと考えます。ガーデンの奥まで入って観たところ ヴァイラスは見かけますが 頭が食べられた獣害は 殆どありませんでした(チョモ私見)
(スコリアラフト(agglutinate 噴火で マグマのしぶきが火口の周りに積み重なり やや溶けながらくっつき固まってできました。火口から流れ出た溶岩とは違った形状の ガサガサした主としてスコリアの塊です。火口から流れ下る溶岩流と一緒に移動し 火口周辺(三原神社)や斜面下部(ジオロックガーデン)に置き去りにされました。火口縁に堆積したスコリアの塊が 流れくだる溶岩に乗って ラフティング (筏遊び)するイメージです。山頂の三原神社 ジオロックガーデンで観察できます。
堅苦しいが楽しい地学の話が続きます。噴火に伴う火山砕屑物は、火口から噴出された溶岩流を除く噴出物のことで、粒径によって、火山岩塊・火山礫・火山灰に分類されます。 その中で、多孔質で淡色のものを軽石、暗色のものをスコリアといいます。軽石は、安山岩~流紋岩質マグマの噴出、スコリアは玄武岩質マグマの噴出によって生じます。大島は玄武岩質 暗色の黒い島 神津島は流紋岩質 淡色の白い島です。 シリカ 二酸化ケイ素含有量wait%の違いです。
苦鉄質(mafic)は成分として鉄イオンのFe2+やFe3+、マグネシウムイオンのMg2+を含む岩石や鉱物に用いられる性質。名称はかつてマグネシウムのことを「苦土」といっていたことにちなみます。マグネシウムと鉄が豊富。対する語は珪素(Si4+)や長石を含む珪長質(felsic) (出典 Wikipedia)
岩石が何からできているのかというと それは鉱物です。鉱物が集まって岩石を作っています。岩石は決められた種類の鉱物から構成されており、このような鉱物を造岩鉱物と呼んでいます。主要造岩鉱物は かんらん石・輝石・角閃石・黒雲母・石英・斜長石・カリ長石です。
かんらん岩 地球全体の体積のうち、橄欖岩が占める割合は、実に82.3%にものぼります。玄武岩と花崗岩は、足しても2.3%にしかなりません。残りはおもに金属すなわち隕鉄で、15.4%です。しかし、私たちは日常で、橄欖岩を目にすることはほとんどありません。三つの石の中で見ることが最も多いのは花崗岩で、次が玄武岩です。この二つは地殻をつくっているので、地球の表面に露出しているからです。橄欖岩が存在しているのは、地下70kmから2900kmまでの深さにあるマントルの中です(出典 藤岡 換太郎博士 三つの石で地球がわかる) )
(話変わって 出典 毎日新聞2023/07/09 『余禄』)
(ヤマユリを一番最初に欧米に紹介したのは、シーボルトです。1862年には、日本のヤマユリがイギリスにもたらされました。このユリを送ったのは、同時期に日本にいた3人、J・G・ヴィーチ、ロバート・フォーチュン、シーボルト その後、1873年、ウィーン万博で日本の他のユリと共に紹介され、ヨーロッパで注目を浴びました。ヤマユリは神奈川県の県花です。理由は、明治時代の開国以降、横浜港から大量に欧米に輸出されたためといわれています。明治20年ごろの主なユリ球根の輸出商は、クラマー、ジャーメイン、アイザック・バンティング、ボーマー。彼らは やがて居留地であった横浜山下町や元町に異人館と呼ばれる商社を開き、そこを拠点として貿易を営みました。明治22年ごろから日本の貿易会社・新井清太郎商店がゆり根輸出を始め、23年には、園芸会社・横浜植木株式会社もユリ貿易に参入します。横浜植木は会社設立発起人に井上馨、大隈重信ら明治の元勲が名前を連ね、国内の植木商が出資してできた待望の日本の園芸会社です。ボーマー商会でアシスタントとして園芸に携わった鈴木卯兵衛氏が初代社長、ニューヨークやロンドンにも支店を開き貿易を拡大します。同社は貿易だけでなく、山下公園のバラ園や新宿御苑の造園をしたことで高名になりました。 明治41年(1908年)に日本から輸出されたユリ根は1200万個、金額で45万円。
カサブランカ(Lilium ‘Casa Blanca’)はユリの中でも、オリエンタル・ハイブリッドという園芸品種群の中の1品種だそうです。 出典 『日本ユリ根貿易の歴史』鈴木一郎、1971年11月)
(井上 馨は元老ですが 大隈 重信は元老ではありません 出典 立命館大学 山崎 有恒先生 元老と元勲の違いは)
明治後期にユリ根の輸出の多くが横浜港で行われていたことがわかる資料を確認したい。 | レファレンス協同データベース
伊豆大島の風景 (リアルタイム) 2020年08月01日サクユリの生態と魅力を知る。明治大学 山本 将先生
「サクユリ」はヤマユリの島嶼変異型と理解していただけに衝撃がおおきいです。(チョモ)
7月いっぱい 時には8月の頭まで咲き誇っています。島にお出かけください。
むかし 三原山をご案内した お嬢さんとカルデラ床のサクユリです。
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