略 敬称 失礼いたします。
定年後 大島に移住して今年で26年目。自他ともに認める変わり者です。はたからは島に 馴染めない変わり者だそうです。結構馴染んでいます。自他ともにと言いましたが訂正、私は変人ではありません。ごく当たり前の一大島町民です。私の周囲の人 チョモさんのつきあっている人は みな変わり者だといいます。価値の物差しは人 様々、 今様にいうとダイバーシティとインクルージョン。変わっていないと本人が確信しているから 更に たちがわるいそうです。反論します、縛りを開放 常識と慣行の殻を突き抜け突破しなさいと。島はみな縁者遠い親戚 身動きできないといいます。世間体を気にして勇気がないだけだと反論します。はたの目を気にして一生を送るのかと。色々と評価されながらも意地悪されたことは1回しかありません。排他性のない島です。
飛躍して 伊豆諸島9島のガソリン代 灯油代が日本一高いのは不思議です。奥の離れた島ほど高いです。いま大島で209円/L 都職員は安価に給油ができます。寒冷地でしたら間違いなくパリコミューンになります。島の方は 当たり前と思っています。憤慨しているのはチョモだけです。
出典 立命館創始155年 学園創立125周年シンポジウムより
土地は坪2万円 販売単位は300~400坪 50坪は売ってくれません。島で家を立てることはとにかくたいへん。 借家住まいしませんか。貸したがりませんが 力になりますよ。よそ者の青年たちが町興しに 懸命の大島です。波浮も民泊 ラーメン屋さん カフェが増えました。
1937年信州長野県浅間山山麓の生まれ 87歳 。島で最古参の伊豆大島ジオパークフリーガイドです。定年後に横浜から大島 波浮港の入り口に移住 。三原山のガイドをしたり 農業の真似事をしたり 冬は尾瀬の入り口でスキーを楽しんでいます。上京したときに 娘と高尾山 奥多摩 丹沢に脚を伸ばしたりもします。むかし山形 長野から二三男坊が炭焼きにきて やがて定住した歴史が大島にあります。沖の根の友人 五味富士男の先々代は信州の人。大地主です。
40歳ころ 日曜ゴルフはやめて 美大受験予備校 代ゼミ造形学校に通いデッサン 日本画 テンペラ画を習いました。書道の師は故大島嵒山 故國吉幸舟。お稽古ごとのお陰で 趣味人の仲間がたくさん出来ました。視野が広がりました。骨董にのめり込んだ時期もありました。
登山の師はマナスルでお亡くなりになった登山家 佐々木慶正 1998年に海外登山を始めて以来、ヒマラヤの6000m峰登山・トレッキング、ヨーロッパアルプスの登山を何度もガイドしていただき残念でなりません。70歳のとき二人でいったモンブラン・マッターホルンの登攀が最後です。
スキーの師は元オリンピック選手で冬龍門主宰の市村正美 30数年 いまでも 孫と一緒にご指導をいただいております。一向に上達しませんが 引き換えに 異業種の友ができました。仲間に会うための 冬龍門詣でです。
波浮の漁師 悦丸 故金川新三の紹介で波浮港の入り口に仮住まいして26年。島の歴史 文化 文学 芸術 の情報発信基地 藤井虎雄 大島火山学の師 故 田澤堅太郎 産総研 川邊禎久 静大小山 真人 アジア航測千葉 達朗 そして東海汽船 山崎 潤一 の知己を得ました...。可愛がってくれた故阿部比佐志。
植物保護団体「大島自然愛好会」に入会、大島の植物の名前を教えてもらうとは思ってもいませんでした。師は佐々木睦彦 小川信正 海亀を保護している成瀬裕昭 皆さんとは 昨今サクユリの保護 重点対策外来種 ヨシススキの駆除に注力しています。町も都も環境省も積極的に動いていただいて ありがたいことです。大島自然愛好会の関係で植物学者からよき薫陶を受けました。星野 義延(農工大) 遊川 知久(国立科学博物館) 加藤 英寿(都立大学) 藤田 卓(日本自然保護協会) 岡 武利(日本シダの会) 上条 隆志(筑波大)......。
そして島で 身体を共鳴共振させた仲間に恵まれました 「古道探索の会 」の仲間です。八木丈夫 小川 佐々木 日比野 五味 和泉 富田(♀) 八木とは2013年の大島土石流ボランティアでの邂逅 戦友です。
大島古文書研究会では(故 大西傅之助 出川賢 樋口秀司 )時得孝良 岩崎薫 狩野春子 大村森美 金城喜美代から ご指導をいただきました。安永六年「大島山火記」の口語訳は中田 保。書を少々かじったので草書体が読めます。
心のなかに鬼を住まわせていた都会から逃げ出して26年。このところ高校大学の友人 同年入社の同僚が 次々と身罷ります。上京した際に お線香をあげます。新潟 長岡(同級生) 長野 小諸(肉親) 北海道 帯広 北見(同僚)、、、、、人生は借り貸しゼロの世界 家内が落ち着いてから 焼香の旅に出ます。してもらったこと 迷惑かけたことに対して何をして返したか 借りはきちんと返す。さもないと やり残すと こころの安寧が保てません。
伊豆大島の町役場観光課ジオパーク係 大島支庁大島公園事務所 環境省大島管理官事務所、 スーパーげんろく 肉よし 寒川 紅屋 マルエイ 沖山商店、 スナックZiZI 葵 きらく ラビアンローズ 舞 居酒屋よっちゃん 喫茶もももも、東海汽船の土屋 藤井、 大関 港鮨 紀洋丸 樹璃庵 永楽 押し花、ころっけの鵜飼商店 クサヤの藤文 小宮山 まるい水産、 家内の介護施設 あったかサービス あすなろ つばさリハビリ 診療所の藤井Dr 八王子消化器病院今泉Dr 小平市の公立昭和病院救急科 佐々木Dr 横浜の昭和大学藤が丘病院 、畑の大家 松崎綾夫の奥さん(旧姓三辻) 差木地漁業権獲得の恩人 藤内 末裔 レンタカーの小坂多喜夫 藤井表具店 宝崎棟梁 藤原畳店 山武の会長 村松興行社長 何でも器用な大川 椎茸とウオーキングの会 丸尾時彦 農業生産組合藤田光正 春木農園 奥山農園 民俗芸能の継承者 高梨彰久 高田布団店 古代史と郷土史に詳しい かしゃんば餅職人高橋秀支 露天風呂 浜の湯の高田秀代 藤井 PCとドローンの師 谷口芳久 釣り名人堀切紀昭 生き生き体操の新井恵子 ジャーナリスト鈴木 コーラスの福本洋祐 愛犬 蛍を可愛がってくれる青々の山森美意子 萩島アサ子、 宿の赤門 白岩ホテル 大島♨ホテル 大島グランド アイランドスターハウス ワイズドリーム Stay Do ゲストハウスはぶの家 大陣 椿山 、はる整骨院 椿の花工房 大島ペットクリニック おしんドローンスクールの土屋会長 村岡旦将 根本オリエ 、ガイド仲間 麻雀仲間とう...... 地域の皆さん ご近所の皆さんのお陰で チョモ(三原山ガイド名)の今があります。様々なこ゚縁で結ばれているチョモです。ありがたいことです。神津島の前田 正代 青ヶ島の荒井智史 佐倉の佐藤 暁 もう少し一緒に遊んでください。わずか時間が残っています、、、、、、、。
しかし、しかし贅沢三昧 したい放題しながらも魂が落ちつきません 居場所が定まりません。心は 仮住まいです。終の棲家にはなりません。漂流の 遊牧の 狩猟採集の、、、食うや食わずのギリギリのくらし、、、。(明治維新の近代化は沢山の恩恵をもたらし 沢山の モノ コトを置き去りにし捨て去りました)エネルギーのたまり具合 残り具合によっては 大島から 無縁の鬼ヶ島へ 幻の結の島へ漂流するかも 。例えば味噌や醤油の仕込みを近所の主婦が総出で手伝った 結の世界へ大島から逃げ出すやもしれません。生まれ座所の長野県北佐久郡小沼村大字塩野(いま御代田町)に戻っても「結」の世界はとっくになくなっていて落胆することは分かっています。味噌醤油は店で買うもの、味噌玉を削る風景樽に漬け込む風景は もはや ありません。魂の休まる世界は あと残っている世界はどこにあるのでしょうか。宗教でしょうか。過去に囚われ懐かしがっていても解決しません。、、、、、行脚し在来線を使って ゆっくりと 日本中を果てしなく巡る旅に出よう。まずは 焼香の旅 次は お遍路か 。やるべきでないことは 思考の停止と思考の他者依存。自分で考え自分で判断する。生き方はhere & now。
来島のせつは ジェットホイル ゆい「結」に乗船ください。大島で「結」をみつけてみてください。 ご参考(網野善彦「無縁・公界・楽」)
終戦前1943年 戦闘帽を被り長靴を履いている貧しい少年時代 6歳 🐈️たま 2人の女の子は従姉妹 おばあちゃん。右の写真 高所にいるのがチョモ。貧しいがゆえに 子供の頃から 上昇志向があったのか?ありましたが金太郎飴になれません。人間力 目測力に欠けていました。従って 偉くなれません。とにかく異端でした。
藤井工房 大島文化の発信基地 藤井 虎雄 torafujii.sakura.ne.jp/mokuji.html
画像等の出典 東宝「国宝」より
李相日監督の「国宝」が、第98回米アカデミー賞の国際長編映画賞の対象となる日本代表作品に選ばれた。日本映画製作者連盟が 2025/08/28日、発表した。
李 相日監督
2025/08/21日 竹芝港23:00発22日06:00大島岡田港着
川崎で棟梁をしている大島出身 金川定夫の墓参りに合わせてチョモ帰島。「ミルク」🐈️「蛍」🐕️ チョモともに悦びあう。
23時の夜船に乗るには時間があまる。国立科学博物館は17:00時閉館。日比谷東宝で映画「国宝」を観た。チョモはゴジラ像のある日比谷シャンテビルにいたことがあります。
映画 国宝 原作者の吉田修一の「悪人」は朝日新聞の連載で読んだが「国宝」は未読。吉沢亮 横浜流星の所作は歌舞伎役者に劣らないほどの名演技 あそこまで演じられ 演じた 両人の稽古時間 日数を知りたい。話は飛んで飛鳥時代645年(乙巳いっし)飛鳥板蓋宮の大極殿で、入鹿を殺害しようとした際に注意深く用心深い入鹿の性格知っていた中大兄皇子(後の天智天皇) 鎌足らは、わざと俳優(わざひと)を配して入鹿の帯びた剣を解かせたとあります。俳優「わざひと 」「わざおぎびと」の歴史は古いんですね。主人公 立花喜久雄の少年時代を演じた黒川想矢 大垣俊介を演じた越山敬達が好きになりました。これからの日本は大丈夫だと確信しました。李 相日監督ありがとう。喜久雄の父親役の侠客 立花権五郎を演じた永瀬正敏の宴席での無言の「凄み」合わせて田中泯の読心の「怖ろしさ」が素晴らしかったです。宮澤エマの明るさと存在感が卓越。三浦貴大は明治維新が生んだクールな近代人。こんなにも 美しく 心を熱くしてくれた 脚本の奥寺佐渡子 美術の種田陽平の話を聴きたい。 映画って凄いですね。
以下出典はWikipedia
今回は該当作なし。
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