乳がんの手術について書きます。
手術を控えている人の参考になれば嬉しいです。
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入院 【手術前日】
●午前中に入院
●事前に配られた問診票を提出
●身長、体重(申告)、検温、血圧等の測定
●午後に麻酔科の先生とのオリエンテーション
●エコーによる病変部位の確認(マジックで印をつける)
●シャワーで身体を清潔にする
●夕食後からは絶食。飲み水は翌日の午前0時から絶飲
●主治医からの激励と執刀医からの最終確認及び激励
手術を受けるにあたって不安だった事は、全身麻酔による人工呼吸器でした。
乳がんの手術に関しては、先生から詳しく説明を受けていたので、疑問も不安もなかったのですが、全身麻酔は未知の事だったので、「手術そのものより、全身麻酔による人工呼吸器に不安があります」と、麻酔科医に正直に伝えましたら、詳しく説明してくださいました。
最終的に3人の麻酔科医が病室へ来てくださって、緊張をほぐしてくださり、そして、手術に立ち会ってくださいました。
全身麻酔と人工呼吸器の説明
●点滴で麻酔を入れる
●器具で口を開き、酸素の管を挿入する
事前の説明では、器具で口を開く為、グラグラしている歯が取れたり、歯が欠けたり、酸素の管の影響で手術後1週間、喉が痛かったり、声が出辛くなるとの説明がありました。
確かに、のどから血が出て、のど風邪のような痛みが続きました。
麻酔をかけられた時、どういう風に意識がなくなるのかも不安で、それは夢に落ちるような感じなのかと想像していたのですが、そういう意識もないままに、パッと意識がなくなった感じです(う~ん、うまく説明が出来ません)。
食事と飲みもの
●夕食は普通に出て、夕食以降は絶食で、飲み物は深夜0時までOKでした
睡眠導入剤
●不安や緊張で眠りづらい方には睡眠導入剤が処方されます。
幸い私には必要なく、グ~ッグ~ッと眠りました(笑)
意外だった事
普通、手術をする時は、前日の夜に下剤を飲んで、当日の朝、浣腸をするものだと思っていたのですが、ここの病院はそうではありませんでした。
手術前日に排便があれば、下剤&浣腸はしません。ただ、2~3日便秘だった人がそのまま入院した場合には、浣腸をするそうです。
以前、内視鏡による簡単な膝の手術の時、下半身麻酔をかけたのですが、その時、浣腸をしたのにまったく出なくて、結局出ないまま手術をした記憶があるので、浣腸は嫌だなと気分が重たくなっていたのですが、浣腸をしないと分かり、もう、手術に対しては万全な心境でした。
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手術 【当日】
●水を飲まないように歯磨きを済ます
●エコノミー症候群予防の為に、医療用のストッキングをはき、手術着に着替える
●病室から手術室までは車椅子で向かい、オペ室の前でスタッフの皆さんに笑顔で迎えられる
軽~く冗談なんかを交わし和やかな雰囲気のまま奥のオペ室へ入室
手術室で
●手術台へは自ら乗る。
●指先に心電図用のクリップを装着し、その後点滴が始まり、酸素マスクをあてられ、「大きく深呼吸して
くだ~い」とスタッフの方から言われ深呼吸をし、「では、麻酔を入れますよ」と点滴に麻酔が入れられ、
数回深呼吸するとストンと眠りに落ちていました。意識がなくなる瞬間の意識はまったくありません
(それが一番怖いと感じるのは私だけかな?)
そして手術が始まる。手術時間は2時間ほどだったそうです。
回復室で
ここでの記憶はまったくありません。ここでは、看護師の方が付きっ切りで付き添っていてくださいます。
この間、夫(家族)が先生に呼ばれて、説明を受けます。
病室で
「深呼吸してください」との看護師さんの声で意識が戻り、その時に夫の顔が見えました。
夫を一番に確認出来て良かった。
そして、夫の後ろに父が見えました。
父は、管だらけの娘を見て涙ぐんでいたそうです。心配をかけてごめんね。でも、必ず元気になるからね。
その後は、うつらうつらとしていて、あまり覚えていません。
腕には点滴、わきの下の近くからは、リンパ液を排出する為の管が、そしてお小水の管と身動きしづらい状況でした。
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手術翌日~退院まで
手術の翌日に点滴とお小水の管が抜けます。これで、随分と身軽になります。
管が抜けてすぐに、洗面台でシャンプーしました。
退院時期ですが、腋窩(わきの下)リンパ節郭清(切除)の手術をした方は、手術部位の近くに入れられているリンパ液の排液管(ドレーン)からの排液量が、一日30ml以下になったらドレーンが抜けます。そしてドレーンが抜けた翌日から退院が可能です。
通常、手術から一週間後くらいにドレーンが抜けて、翌日退院になるケースが多いみたいです。
私は、手術当日から排液量が少なくて、血液の混じりも少なく、手術2日後にドレーンが抜け、手術から3日後のスピード退院になりました。
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わたしが受けた手術は、乳房部分切除と腋窩(わきの下)リンパ節および鎖骨下リンパ節郭清です。
治療がスタートした時点では、乳房全摘の予定だったのですが、治療が進むにつれて癌がどんどん小さくなり、手術直前の検査では、「癌は消滅していると思われる」との診断結果だったので、全摘から乳房部分切除に変更になりました。
乳房部分切除は乳輪に沿って切り、癌の跡地の組織とリンパ節を切除し、切除した細胞を病理検査にかけました。実際、手術の時にも医師が顕微鏡で調べるのですが、さらに詳しい病理検査が必要との事です。
病理検査の結果、一つでも癌細胞が見つかれば、再手術となり乳房全摘になります。
乳房部分切除の手術痕はそれ程痛くありませんが、腋窩(わきの下)リンパ節郭清の手術痕は痛いです。
抗がん剤のダメージによる手の関節痛に加えて、脇の下から腕への痛みがあるので、ますます日常生活が困難になっていますが、嘆いていても仕方がないので、痛いながらもゆっくりと家事はしています。
手術翌日の朝には自分でシャンプーしましたし、退院して家に帰って直ぐに洗濯をして、昼食も取りました。
無理せずゆっくりと、今出来るスピードでやればいいんです^^
痛さを我慢する必要はないので、痛ければ鎮痛剤を飲みますし、痛い時には「痛~い!!」と言っちゃっています。だって、痛いものは痛いんですから^^;
家事もリハビリだと思えば、なんのそのです。
先週の金曜日に、三ヶ月ごとの主治医の診察と骨シンチ検査を受けるために病院へ行ってきました。
癌患者さんならご存知だと思いますが、骨シンチ検査は骨に癌が転移していないかどうかを調べる為の検査です。
検査方法は、検査の前に静脈に注射をして、三時間後に検査をします。
検査は、造影剤の無いCTみたいな感じです。そして、CTやMRIのように息を止めたりしなくていいし、MRIのようにガンガンとうるさくないので、楽な検査です。
ただ、軽い閉所恐怖症の私は、よせばいいのに途中目を開けてしまい、あまりの狭さに、足先からゾワゾワ(恐怖)が襲ってきて、ヒャーーーッ!!と叫びそうになりましたが…( ▽|||)サー
さてさて、その日は、満員電車に揺られてやっとの思いで病院に着き、先ず受付機で受付を済ませてから、核医学検査部で骨シンチ検査の注射を済ませ、それからブレストセンター(乳腺科)へ行き、主治医の混み具合を確認したら、二時間ぐらい待ちそうだったので、とりあえず病院内にあるスタバへ移動しました。そして、程なくして夫が現れました。
以前から血液検査のALP3(骨由来)の数値が正常値より高く、先月から腰に痛みがあるので、骨転移が疑われる為に、「不安だろう?俺も後から行ってやるから待ってろ」と言っていて、会社を早退して本当に来てくれました。
─── いつもありがとう
いつになるか分からない主治医の診察、そして骨シンチの検査までに時間があったので、病院内のレストランで食事をしました。
私は、いつもの茄子とツナのスパゲッティを注文し、夫は、初めて食べるちょっと豪華なランチを注文していました。
私は、これを食べるのを楽しみに病院へ行っているところがあるのですが、この日もやっぱり美味しかったぁ(*^m^*)
その後、主治医の診察、そして、骨シンチ検査を受けました。
とりあえず、今週の水曜日に分かる骨シンチ検査の結果が出ないことには、話が進まないので、それまでは、楽しく過ごす事にしました(*⌒(エ)⌒*)エヘヘ
今日は、主治医による三ヶ月ごとの診察と骨シンチの検査があります。
骨シンチは、先々週に急遽予約を入れてもらいました。
実は、先月の初旬頃から腰に違和感を感じ、中旬頃に痛みに変わりました。湿布を貼ったり、温めてみたりしたのですが、改善されないので、検査を受けることになりました
さてさて、骨シンチ検査となると長時間です。注射を打ってから3時間後の検査なので、本日は、『容疑者Xの献身』東野圭吾(文春文庫)をお供に病院へ行ってきま~す。
※9月12日(金)の朝、この記事を投稿してから病院へ出かけたのですが、あれれっ!? 更新されていませんでした(私の単純な操作ミスでした)
遅れての更新になります ハハハ(*⌒(エ)⌒;*)ゞスミマセン
化学療法の抗がん剤で、ほぼ100%の患者さんの髪、眉毛、まつげが抜けます。全身の無駄毛もです。
抜ける時期は私の場合、点滴から2週間経った頃で、突然抜けました。
それまでは、もしかしたら、私は脱毛しないんじゃないかと思える程しっか生えていた髪が、なんの抵抗も無く抜けるのです。
脱毛のその瞬間は、シャンプーをしている時でした。指で頭皮をマッサージしながら洗い、シャワーをかけた瞬間、洗面器が真っ黒に・・・・・。
一瞬、何がなんだか分かりませんでしたが、すぐに、「とうとう来たか・・・・・」と思った瞬間、激しく鳥肌が立ちました。
そして、あっという間に排水溝には髪の毛の山が出来てしまいました。
髪は、濯げば濯いだだけ抜けます。きりが無いので、適当なところで濯ぎを止めて、タオルドライをしたのですが、バスタオルにも、今までに見たことの無い程の大量の髪の毛が・・・・・。
悲しいという感情よりも、気味の悪さの方が強かったです。そしてその日から、部屋は抜け落ちた髪の毛だらけになります。
抜け毛によって部屋が汚れるのが嫌で、ゴミ箱を抱えながら、手ぐしで髪の毛を抜いていましたが、それでも、部屋には大量の髪の毛が落ちていました。
さすがに、手ぐしで髪の毛を抜く事にも、部屋を掃除するのにもうんざりして、早い段階で、バリカンで髪の毛を約2センチに刈ってしまいました。
大量の髪が毎日抜けるにもかかわらず、全部抜けてしまうわけではないのです。私の場合は、襟足部分の髪の毛と眉毛、そしてまつ毛が薄く残っていました。
抗がん剤にも負けずに残った2センチの髪の毛は、その後、しっかり伸びてくるのです。そうするとチクチクしてきます。その感じが嫌で、脱毛が落ち着いた頃に(約一週間後)、剃髪してしまいました。
勢い余って剃ってしまいましたが、これが案外、評判が良かったりしたんです。
CTやMRIの検査の時には、ロッカールームで着替えをするのですが、その時、何人かの患者さんから、「その頭お似合いよ」と言われたりしました^^
でも、病院や自宅では良しとしても、この頭のまま外出したり、人と会ったりは(宅配なども)、さすがの私にも抵抗があるし、周りの人も「えっ!?」って、ひいてしまうと思うので、頭に装着するものが必要になります(^ー^;)イヤハヤ
先生からは、化学療法が始まるまでに、かつら(ウイッグ)を用意するようにと言われましたので作りました。でも、一度も使用しませんでした^^;
使用しなかった一番の理由は、片頭痛持ちだからです。かつらは、帽子と違ってずれないように、案外きつめに装着しなければならなくて(私にとってですが^^;)、頭全体を締め付けられると、たちまち片頭痛が始まってしまいそうでした。それと、手入れも面倒そうだし(これも私にとってはです^^;)、額が狭いのでなんだか似合わないんです。
それで、外出の時には、かぶり慣れている帽子に付け毛を付けていました。
こんな感じです。
付け毛はこちらで購入しました。前髪と後ろ髪がセットになっていますが、私は、額が狭いので前髪は付けませんでした。
そして、家や病院では、
手作りのタオルの帽子です。作り方はこちらを参考にさせていただきました。
自宅ではもちろん、点滴や入院の時にも大活躍しました。タオルですので、汗をかいてもよく吸い取ってくれます。そして、寝心地も悪くありません。
病院内では、タオルの帽子にも付け毛(ショートタイプの後ろの毛)を付けていました^^
ただ、夏は暑いです。夏場はやはり、
バンダナが良いです^^
これはバンダナ帽子です。こちらで購入しました。
髪の毛が抜ける事は悲しいことですし、それに何かと不自由です。だからこそ、自分にあった方法で楽しめたらと思います。
最初の病院での診断では、左右の胸に悪性腫瘍(癌)が有り、左胸の腫瘍の大きさは4.5cmであり、右については細胞採取の途中で、「まっ、いいや」と検査放棄をされてしまったので、大きさについては分からないままでした。そして、左脇のリンパ腺のしこりの大きさ及び転移の可能性についての検査はされていません。リンパ腺のしこりと痛みについて申告はしましたが、さっと受け流され、検査を省かれてしまいましたので。色々な点から、そのドクターと病院に不信感【発見から告知まで】を持ちましたので、今、治療をしていただいている病院への転院を申し出ました。
今、治療を受けている病院での診断では、左胸の腫瘍は4.2cmであり、左脇のリンパ腺のしこりは2cm。他臓器への転移は無く、右胸のしこりについては、エコーでのダブルチェック(二人の方による診察)の結果、悪性では無いとの事でした。
私は臨床試験に参加をしています。先生から、臨床試験への参加の打診をされた時、「今後の医療にお役に立てるのであれば参加します」と快諾しました。
臨床試験について、
● 臨床試験への参加を断っても、今後の治療において患者に不利益は生じません。
● 今現在、乳がん治療で使われいる薬(認可されている)を使うもので、
ただ、その薬の量や使う順番が違います。
● 現在行われている治療より良い治療法だと考えていますが、ただ現時点では、
データが少ない事から、従来の治療法での効果と比べて、あまり効果に差が無いのが現状です。
との説明がありました。
利点としては、現在行われている治療法ですと、最初から強い抗がん剤を使う事になるので、身体へのダメージが大きいと言う事です。それよりは、ダメージの弱い抗がん剤で身体を慣らしてから強い薬へ移行する方が、患者の為になるのではないかとの事です。
臨床試験の参加への打診は、決して強要されるものではなく、むしろ低姿勢なものでした。
そして、参加を希望するとコーディネーターの方がつき、困った事や疑問に思った事などの相談に乗ってくださいます。
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そして、2006年7月から化学療法が始まりました。
8クール(8回の点滴)で、前半4クールがタキソテールの1種類で、後半4クールはFEC(5-FU、ファルモルビシン、エンドキサン)の3種類でした。
わたしは、幸いにも副作用が少なかったようです。ただ、タキソテールの副作用による末梢神経のダメージと、生理が止まった事による更年期障害が重なり、FEC治療の途中から手の関節痛が強く出て、日常生活にかなり支障をきたしました。
タキソテールにしてもFECにしても、初回に強く副作用が出ましたが、2回目、3回目と回数を増す毎に弱くなりました。
臨床試験に参加をしている事もあり、少しでも参考になればと副作用を記録していたので、その記録を元にそれぞれの副作用を参考までに。
タキソテールの副作用
● 点滴当日~3日目、これといった副作用は無く、気分が高揚していてまったく眠くならない。
睡眠時間は約3時間程度(無理やり)
● 4日目、酷い便秘
● 5日目、首と喉が凄く腫れているような感じで痛い。口内が荒れて味覚障害(1週間)。
歯茎が脈打つ(2~3日)。
手の指先の皮がポロポロとむける。指先(爪)が痛くなる(1週間)。上半身の筋肉痛(3日間)
● 6日目、黄緑色の鼻水や痰が出る。鼻水に血が混じる。夜38℃台の発熱(翌日下がる)
● 14日目から脱毛が始まる。約1週間でほぼ抜けた。
● 骨髄機能抑制(白血球減少、血小板減少など)で、免疫力の低下。ただし、本人に自覚はない。
などが主な症状でした。
初めての時は、次々に起こる副作用に思いっきり凹みました。ダメージの少ない抗がん剤でこれでは、強い抗がん剤に耐えられるのだろうかと恐怖すら感じましたが、どの薬も副作用が強く出るのは初回だけでした。
それにしても、改めて書き出してみると凄いですね。
これから抗がん剤治療をされる方が、これを読んだら止めたくなっちゃうかも知れませんが、大丈夫ですよ。人それぞれですし、まったく副作用が出ない方もいらっしゃいますので。
FECの副作用
● 胃のムカムカ感。ゲップが頻繁に出るが吐き気までではなく嘔吐も無い。
● 5日目、上半身の筋肉痛(3日間)。下剤を処方されていても、5日目と6日目に酷い便秘に。
● 点滴から1週間は酷い倦怠感。
● 真っ直ぐに歩けない(意識して歩かないと少しずつ左へ寄っていってしまう)。
● 目の焦点が合わない感じがする。
● 片頭痛の前触れのような、銀色にキラキラ光るものが見える。
● 骨髄機能抑制(白血球減少、血小板減少など)で、免疫力の低下。ただし、本人に自覚はない。
FECの代表的な副作用は嘔吐です。でも、私の場合、吐き気や嘔吐はありませんでした。それに、4回目の時は、胃のムカムカ感すらなく、数回ゲップが出ただけで、倦怠感もほとんどありませんでした。なので、わたしの場合は、副作用の弱いとされるタキソテールの方がきつかった様に思います。
ただ、自覚症状のある副作用は軽かったとはいえ、身体はしっかりダメージを受けていて、抗がん剤を点滴すると白血球が減少して、3週間目あたりから元に戻るのですが、私は戻りが悪く、3週間毎の点滴スケジュールが4回とも4週間毎になってしまいました。
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術前化学療法が終わると、手術(予定)に向けての検査や診察が始まります。
前日の雨も止んでいた。朝一で、病院へ行こうとも思ったのだが、受付等も混んでいる事が予想されるので、10時くらいに着くように家を出た。
JRから地下鉄へ乗り換え、地図を頼りに目的の病院へ着いた。病院の周辺には緑が多く、直ぐ近くには川も流れていてる。病院の中へ入って直ぐのところに広場のようなスペースがあり、その反対側では絵画展等を催している。病院内のあちらこちらに絵画やオブジェ等が展示されていて、沈みがちな気持ちの患者や家族への病院側の配慮がうかがえる。
1階の受付は混みあっていた。初診受付の申込書を書き紹介状と共に受付へ提出した。申込書と紹介状を確認した受付の事務員が夫に質問をする。
「ご予約はお取りですか」
「いえ、取っておりません。直接行くようにと言われましたもので。急いでいるんです」
「そうですか、ではブレストセンターへ連絡してみますので、腰掛けてお待ちください」
事務員が電話をかけている様子をソファーに腰掛けながら眺めていた。何人か代わって電話に出ているようで、時間がかかっている。
「やっぱり予約がないと無理なのかな。ここの病院は乳がん患者の間では有名だから。今日、診察してもらえなくても、予約だけでも取れれば私はいいよ。この病院の雰囲気が好きだから。どうせ通うのなら、相性の良い病院が良いし」
「うん、そうだな」
その時、電話をかけていた事務員が電話を切ったが、なかなか名前を呼ばれる気配がない。やはり無理なのかと諦めかけていた時に名前を呼ばれた。
「それでは2階のブレストセンターへ行ってください」
受付票と診察カードに病院のパンフレットを渡された。
「良かった」
これで、診察してもらえるかもしれない。二人してホッとした。エスカレーターで2階へ行き、ブレストセンターの受付へ向かった。
「よろしくお願いいたします」
受付票と診察カード、紹介状、検査写真を提出した。
「ご予約が無いとの事ですので、本日診察出来るかどうかは、紹介状と検査写真を先生が見た上で判断する事になりますが、よろしいですか」
「はい、構いません。でも、急いで診察していただきたいのです。よろしくお願いいたします」
夫が必死に頼んでくれている。病気が発覚してから、私は全て夫におんぶに抱っこ状態だ。普段は、私の方が仕切り役なのだが、今の私はまるでふぬけなので交渉事等出来ない。
「診てもらえたらいいな」
「うん、初期がんではないから、もしかしたら今日診てもらえるかもしれないと思っているんだけど、それはそれで、またちょっと複雑。後回しには出来ない病状だと言う事になるでしょう。一分一秒でも早く診察してもらいたい気持ちだけど、う~ん複雑」
「大丈夫だ。この病院なら大丈夫だ」
ブレストセンターには大勢の患者さん達がいた。もちろん女性ばかりだ。その中に男性はほとんどいない。年配の男性が奥さんの付き添いで来ていたが、夫の年齢の男性はいない。さぞ、居心地が悪い事だろうに黙って座っていてくれている。そして、暫く待った後に名前が呼ばれた。
「今日、先生が診察されるそうです。ただ、最後の予約の方の後になるので、かなりお持ちいただく事になりますがよろしいですか」
「はい、何時間でも待ちます。ありがとうございます」
「では、先生の診察の前に病状などを別の先生がお聞きします。それが終わりましたら時間まで、食事や外出をされて構いません。では、ここの電話番号をお渡しいたしますので、3時頃、電話をかけて状況を確認していただけますか」
こうして、無事に診察をしてもらえる事になった。その後、食事をしたり、近くの川でボーッと過ごした後、夕方、病院へ戻り診察を待った。そして名前が呼ばれ診察室へ入った。
「お待たせしました。私○○です。よろしくお願いします」
診察室へ入り、椅子に腰掛けた途端、先生が自己紹介をしてくれたのには驚いた。それもちゃんと私の顔を見て、ほがらかに言ってくれたのだ。こんな事は初めてだった。先生も大勢の患者さんの診察をして疲れ切っているはずなのに、予約も無しに押しかけた私達に対して嫌な態度はもちろん、疲れた表情すら見せない。この時点で、この病院にして良かったと思った。
「紹介状を拝見しました。細胞を針で刺して検査したと書かれていますが」
「はい、普通よりやや太い注射器を使っていました」
「そうですか、後、マンモグラフィーを受けられたと思いますが、その写真が同封されていないんですよ。病院によっては提出してくれない所もあるのかも知れませんが。それと、CT写真ですが、胸と肺はちゃんと撮影されているんですが、肝臓は上部だけしか写っていませんね」
愕然としてまった。マンモグラフィー写真が入っていない上、肝臓のCT写真は上部だけしか撮影されていないだなんて。それで、「転移はありませんでした」だなんて。どこまでもいい加減なドクターと病院だったのだろう。最初の病院で治療をしていたら、助かるものも助からないと思いゾッとした。
先生の診察は、私達の疑問や質問に丁寧に説明をしながら手際よく進められた。細胞採取もエコーを使いながら慎重に進めていく。最初の病院では、脇のリンパ腺のシコリはまったく無視されていたが、ここではエコーを使いながら、さらに細心の注意を払いながら細胞を採ってくれた。
「リンパ腺の所は血管が通っているから、慎重にしなければいけないんですよ」
その先生の説明を聞いた時、前の病院のドクターは、面倒な上、ミスでもしたら大変だからやらなかったのだなと直感した。
母は糖尿病で何年も同じ病院へ通院していたのにもかかわらず、その病院では母がすい臓がんになっている事に気がつかなかった。背中が痛いと訴える母に、「神経痛だ」とシップ薬を処方するだけで、母の事をただの痛がりとしてしか診ていなかった。最後の方では座薬まで処方されていた。流石におかしいと思い、よその病院へ母を連れて行った時には、すでに末期のすい臓がんだった。その時、腹水が溜まっていて、医師が診察すれば一目でおかしいと分かる状態だったのだ。母はその後一ヶ月で他界してしまった。
その様な経験があるので、病院選びは必要だとずっと思っていた。そしてその教訓が生かせたと感じた。
この日、私の命をこの病院に預ける決心をした。そして、乳がんサバイバーとしてのスタート日になった。
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私には幸い夫がいてくれています。一番身近な分、事によると当の私より辛い思いをしているに違いないけれど、夫の力強いサポートがなければ乳がんサバイバーは成立しないでしょう。
ご迷惑をおかけしますが、これからもどうぞよろしくお願いします。
色々と励ましてくれる友達のCチャンとYチャン、いつもありがとう。
夫の会社関係の方々の励ましにも感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。
そして、夫婦共通の友達のジョニー ブログで楽しませてくれてありがとう。
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この鯨のオブジェは、確か上野公園で撮影したものです。とても大きな鯨です。実際は尾っぽだけではなくて全体像です。まるで空を雄大に泳いでいる様で、私も早くがんから開放されて、この鯨の様にのびのびと暮らしたいものです。
その日は朝からの雨で、テレビでは北朝鮮がミサイルを発射したと報じていた。
「なんだかなぁ・・・」
夫と一緒になって呟いた。よりによって検査結果を聞く日にミサイル発射だなんて、いかにも悪い結果が待っているようではないか。私はもう癌告知をされる覚悟でいたのだけれども、夫はこの時点でもまだ、半信半疑というよりは癌じゃないと思っている。
雨の中、傘をさしながら自転車で病院へ行った。
先週とは打って変わって、外科の待合室には沢山の患者が待っていた。予約をしているのだけど、これでは当分呼ばれる事はなさそうなので、一番後ろの席に腰掛け、待合室に設置してあるテレビをぼんやりと二人して眺めていた。
「こんなに待たされて、予約も何も無いな」
「そうだね。予約ってあって無い様なものね」
待ちくたびれた頃に名前を呼ばれた。予約時間を大幅にオーバーしていた。そして、夫と二人で診察室へ入って行くと、ドクターが夫を一瞥した。
「私も一緒に検査結果を聴いてもよろしいでしょうか」
「はい、構いません」
検査報告書を見た後、私の方を向き、
「検査の結果、癌でした」
「そうですか。肺と肝臓への転移はどうでしたか?」
「肺と肝臓への転移はありませんでした。では、これから治療に入りたいと思いますが、その前にMRIと骨への転移の検査をしてもらいます。ただ、乳がんの骨への転移は最後の方ですから、骨の検査はそれほど急ぐ事もありませんが」
ドクターが予約の電話をしようと電話に手をかけた時に夫が、
「先生、色々と検査をしていただいておりながら、こんな事、申し上げ難いのですが、他の病院へ紹介していただく事は出来ますでしょうか。私なりに会社内のクリニックに相談しましたところ、乳腺科のある病院へ紹介していただけるのであれば、その様にしていただいた方が良いのでは、と言われましたものですので」
申し訳なさそうに申し出る夫にドクターは、
「あっ、構いませんよ。ご希望の病院はありますか」
その時、ドクターの表情が一瞬明るくなったのを私達は見逃さなかった。他の病院へ紹介して欲しいだなんて、普通だったら機嫌を損ねそうなところ、このドクターは明らかにホッとしている感じだったのだ。
検査結果が出るまでの一週間、私達は、ただ悶々とした日々を過ごしていた訳ではなかった。
私は、癌だった場合、この病院で良いのだろうか?ただでさえシコリが大きいのに、頻繁にため息をつくドクターでは、精神的に私がまいってしまいそうだ。それに、ここの病院には乳腺科が無い。やはり専門科のドクターに診てもらった方が納得が出来ると思ったのだ。直ぐに検査をしてくれたドクターには申し訳ないのだけど、エコーを使わずに触診で細胞採取をし、小さいシコリについては、「まっ、いいや」と、途中で諦めてしまう行為にも不安があった。
夫に、他の病院への紹介状を書いてもらうつもりだと相談したら、夫は夫で、会社内のクリニックへ相談をしていた。病状やかかっている病院の事を相談していて、やはり、乳腺科のある病院へ紹介してもらった方が良いとの事だった。
クリニックが推薦してくれた病院は、築地の国立がんセンターだった。
わたしも自分なりに調べて2つの病院をピックアップしていた。がんセンターはその一つだった。だけど、ネットで調べた所によると、初診の予約に1~2ヶ月待ちで、それから検査にまた1ヶ月との事だった。これでは待っている間に、どんどん進行してしまう。そんなに悠長な事はしていられない。
希望の病院はあるのかとの問いに、
「築地の国立がんセンターをご紹介していただきたいのですが、初診の予約に1~2ヶ月かかると聞いています。本当なのでしょうか?」
「確かにそうかもしれません。大変、混んでいますから」
「でも、妻の今の病状では、そんなに待っているのは危険だと思うのです。脇の下のリンパ腺への転移の可能性もありますし」
「そうですね。他に希望の病院はありますか?」
そこで、わたしがピックアップしていた2つの病院のもう一つの病院がS病院だ。夫もクリニックにS病院の相談をしたところ、そこの病院だったら大丈夫だと言われていたので、
「では、S病院をご紹介していただけますか」
「いいですよ。直ぐに紹介状を書きましょう。その病院なら、がんセンター程待たされる事もないと思います。紹介に必要な検査写真等も用意しますので、直ぐにでもS病院へ行ってください」
「あの、こちらの病院から予約を取っていただけませんでしょうか。S病院も大変混んでいると聞いていますので」
「いや、予約を取るよりも紹介状を持って直接行った方が良いと思います。奥さんの病状なら、何日も待たされる事はないと思いますから」
「そうですか、分かりました」
紹介状を書いてもらっている間、待合室で待っていた時に、
「さっき、他の病院を紹介して欲しいって言った時、先生、明らかに態度が変わったよね。なんだか喜んでいるような、ホッとしているよな。どちらにしてもちょっと嬉しそうだったよね」
「うん、確かにそうだったね」
「それって、私の病状は楽観出来ないって事なのかな?だから治療をしなくて済むと思って、それが表情に出ちゃったのかな」
「大丈夫だ! お前は死なないから!」
「うん、そうだね。・・・私、死なないから。それにしても、紹介元の病院から予約を取ってくれないなんて、よっぽ面倒なんだね。今までの他の病院はちゃんと予約を取ってくれたのに」
「あのドクターじゃダメだ。この病院じゃダメだ。予約は無いけれど、直ぐにでもS病院へ行くぞ。家に帰ったら受付時間を確認して、間に合うようであれば今日行くぞ」
「うん」
その後、紹介状と検査写真等を入れた大きな封筒を受け取り、会計を済ませて、来た時と同じ雨の中を、傘を差し自転車で家へ向かった。傘を差しながら、雨で封筒が濡れない様、不自由そうに自転車をこぐ夫の後姿を見ていたら涙が溢れたが、傘を差しているのですれ違う人達に気づかれはしなかった。
家に着き、早速、S病院の受付時間を調べたが、ここからでは間に合わない時間だった。仕方が無いので明日行く事にした。紹介状だけの予約が無い私の診察をしてもらえるのか、そして初めて行くその病院はどうなか、不安だらけだった。
ドクンドクン
身体が揺れるほどの心臓の鼓動に目眩を感じながら、震える手で病院へ行く身支度をした。そして、病院へ行くとのメールを夫へ送信して、近所で一番大きな総合病院へ行った。
その総合病院には乳腺科がないので、よく分からないまま婦人科へ向かってしまったが、乳がん検査は外科と言われ、改めて総合受付で手続きをし、外科へ行った。
外科には思ったほど待っている患者は居なかった。たけど、隣の整形外科は大勢の患者であふれていた。そして程なくして名前が呼ばれたので診察室へ入り、症状を告げた。
「左胸にシコリですか。では、診察してみましょう。上半身を脱いで診察台に横になってください」
胸を見せるのには抵抗があったが、そうも言っていられないのでドクターの指示に従い、上半身に身に着けているものを全て脱ぎ、診察台の上に仰向けに寝た。ドクターはまるでピアノの鍵盤をピアニシモで弾くような手つきでシコリに触れる。もう少し強く胸を押しながらの触診だと思っていたので驚いた。
「確かにシコリがありますね。それも大きい。そして脇の下のリンパ腺も腫れているので、直ぐに血液検査をしましょう。採血室へ行ってください」
診察室を後にして採血室で採血をして、結果が出るまでしばらく診察室の前で待たされ後に、再び診察室へ呼ばれた。
「血液検査には炎症などの症状は無いです。年齢的にも、そして脇の下のリンパ腺の腫れからして癌の疑いがあります」
「癌ですか・・・」
やはりと言う気持ちだったけれども、今までに、婦人科系で何度も、「癌の疑いがある」と言われて精密検査を受け、その都度、「異常なし」と言われた経験があるので、今度もまたそうだろうと軽く聞き流していた。
その後、ドクターの対応は素早かった。
直ぐに電話をかけると、「至急で検査をお願いします」と、エコーとマンモグラフィーの予約を取ってくれ、直ぐに検査を受ける事が出来た。
エコーはかなりの時間を費やして丁寧に診てくれた。お腹のエコーとは違い、胸のエコーはとてもくすぐったい。我慢していてもつい笑いが出てしまう。
「くすぐったいですよね。ごめんなさい。でも、我慢してくださいね」
技師の方が笑顔で言ってくれる。わたしの笑い声が外に漏れていたら、とても癌かもしれないシコリを調べられている患者とは思わないだろう。
次は、初めてのマンモグラフィー。
胸を板と板の間に挟んで、ペチャンコにして撮影するのだか、これがこんなにも痛いものとは知らなかった。ただでさえ乳腺症気味のわたしには痛い!
あまりの痛さに眼に涙がにじみ、ついに「痛い」と叫んでしまった。
「まだ、大して挟んでいませんよ。我慢してください」
これぐらいの事で大げさなと言う態度の女性技師から叱られてしまった。
でも、本当に痛いのだ。挟まれた時、息が止まる程で、どうしても我慢が出来ない痛さなのだ。私としても、明らかに一回り以上年下のこの技師から二度と叱られたくない思いがあるから、ぎりぎりまで我慢していたが、またしても痛いと叫んでしまった。
「そんなに痛いんでしたら先生に電話しますよ。どうしますか?我慢するんですか?それとも中止しますか?」
あきれ返った様に語尾をあげ、機嫌悪そうに選択を迫る。
選択肢の無いわたしは、「我慢します」と言うしかなかった。同じ女性なのに、何故この女性はこんなにも冷たい言い方をするのだろう。誰だって一度叱られたら二度と叱られたくないという思いから、ギリギリまで我慢をするものだ。でも、痛みには個人差があってどうしても我慢出来ない痛みというものがあるはずだ。先程は痛みで涙が滲んだが、今回は屈辱的な思いに涙が滲んだ。挙句の果てには、写真がブレているからとか、脇が写っていないと言って何度も胸を挟まれ痛い思いをした。マンモグラフィー室を出る時、乳がんじゃなかったら、二度と受けないと強く思った。
心身共にフラフラになりながら、三度、外科の待合室で待っていると名前が呼ばれ、診察室へ入った。そこにはマンモグラフィーとエコーの写真を食い入るように見ているドクターがいた。そして私の方に振り向き、
「シコリの大きさは4.5センチあります。はぁ、それにエコーでは右胸にもシコリがあります。はぁ」
「えっ!? 右にもあるんですか?それは転移していると言うことですか」
「いえ、そうとは限りませんが、はぁ」
この三度目の診察からドクターがため息をつき始めた。それも尋常ではないつきかただ。ドクターにため息をつかれると不安になるのになと思いながらも、なんだかドクターの方が落ち込んでいる感じなので、逆にわたしは平静さ取り戻していた。
「シコリの細胞を注射器で採って検査をしますから診察台に横になってください」
再び診察台に横になり細胞診をする事になった。太い注射器でシコリに直接針を刺して細胞を採り検査をするのだ。左のシコリは大きいので、手で触りながら簡単に針を刺せたが、右の場合は小さいので手で触ってもよく分からないらしく、エコー写真を見ながら何度も針をさしたが、結局分からなくて、「まっ、いいや」と細胞を採る事を諦めてしまった。
──ええーーっ!? そんなんで良いの?
後で分かったのだが、普通はエコーで確認しながら針を刺すところを、このドクターは触診だけで採ろうとしていたのだ。正直、この時点でこのドクターで、そしてこの病院で良いのだろうかと不安になった。そして、更に気持ちを不安にさせる説明がされた。
「乳がんは肺と肝臓に転移しやすいんです。シコリの大きさや脇のリンパ腺の腫れからして、転移している可能性があります。来週にでもCTの予約を取って検査しましょう。それにしてもシコリが両方の胸にあるとは。はぁ」
「肺と肝臓への転移ですか。それでは脇のリンパ腺の腫れは転移しているって事ですね」
「う~ん、今の段階では何とも言えませんが、その可能性はあります。はぁ」
ドクターのため息にだんだんと苛立ちを覚えてきた。ドクターの後ろに居たナースもいつしか消えてしまい、つい立の奥で息を潜めて伺っているのが分かる。いくら能天気な私でも、このドクターの態度から、「あなたは多分乳がんですよ」と宣告されているのくらい分かる。でも、まだ結果が出たわけではないのに、その態度に少し怒りを覚えながらたまらずに、「あの先生!先生にため息をつかれると、患者が困ってしまうんですけれど」と言ってしまった。
だが、言い終わった直後から、またため息をついていた。
両方の胸にシコリがあって、さらに肺と肝臓に転移しているかもだなんて、私の方がため息をつきたい状況だ。だけど、ため息をついていても状況は変わらないし、この何ともいえない気分からさっさと抜け出したかったので、
「先生、今日CTを受ける事は出来ませんか」
私の質問に少し考えた後に、
「そうですね。状況からして早い方が良いですね。検査が出来るか訊いてみましょう。はぁ」
CT室へ電話をかけるが、電話の相手は、「昼休みが遅くなってしまう」と少し迷惑がっている様子だが、「至急で撮ってください」とのドクターの依頼に相手側が折れた。
「では、今からCT室へ行ってください。ただ、CTの際に造影剤を注入しますので同意書に記入をしてください。まれにショック症状を起こし死亡される方がいますので。では、CTが済んだらそのまま会計をしてお帰りください。結果は一週間後にお話します」
CT検査室前でかなり待たされた。先程の電話のやりとりを聞いていた事と、マンモグラフィーでの記憶が甦ってきて、また嫌な態度をされるのかと思いどんどん気持ちは重たくなっていった。そんな気持ちの中、名前が呼ばれてCT室へ入ってみると、対応してしくれた技師の方はとても優しかった。あまりにも優しかったので、それまで張り詰めていた気持ちが解き放たれて、涙が出そうになった。その女性技師が、終始、笑顔で私に気遣いをしてくれたお陰で、初めてのCTを緊張する事なく受ける事が出来た。
それにしても造影剤が身体に入った瞬間の、あの身体が熱くなる気持ちの悪い感覚はなんなのだろう。それも事前に、まれにだけれども造影剤でショック死する人もいるからと同意書を書かされるので、大げさかもしれないが、一瞬パニックを起こしそうになってもおかしくないところだ。だけれども、対応してくれる技師の方によって、受ける側の緊張は随分と押さえられるものだと思った。そして、先程の技師への感謝の気持ちで胸が一杯になった。
その後、会計を済ませ病院の外へ出てから、携帯の電源を入れると夫からの着信が何度も入っていた。その時、かなり長い時間病院に居た事に気が付いた。
「癌で死ぬかもしれない」と、ぼんやり考えながら家路に着いた。そして家に着いてから夫へ電話をした。
「癌かもしれないって。それも、シコリの大きさからして、転移している可能性もあるって。転移していたら手術出来ないかもしれない・・・。結果は一週間後に出るって」
「大丈夫だよ。お前が癌のはずがないじゃないか。今までだって、何度も婦人科で癌の疑いがあるって言われて、結局なんでもなかったじゃないか。今回もそうだよ」
「でも普通、初診の日にCTまではしないよ。癌の確信があるからだよ。それにドクターのため息も尋常ではなかったし・・・」
「・・・大丈夫。俺も来週一緒に行って結果を聴いてやるから。大丈夫だ!」
夫に話しているうちに、漠然と捉えていた『死』が現実味をおびてきた。そして、聞き慣れた夫の声を聴いたら涙が溢れた。その日初めて私は泣いた。
そして、悶々とした一週間を過ごす事になった。