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落葉の積もる場所

- The way I was -
 

トミーさんの軟式ボール 終章

2011年02月09日 | WEBLOG
                  






































バスの車内。
















知的障害を持った男性の降りるべき停留所にバスが到着するようです。










































前方の席に座っていた女性客たちも降りるのでしょう、  



その女性が降車ボタンを押すと、 



知的障害の男性は、狭い座席から時間を掛けて立ち上がり、



下車する人たちの後を追うように、 バスの通路をゆっくりゆっくり歩いて行きます。

















































その停留所で降りる客たちが全て下車した後も、 





ゆっくりと降車ドアに向かって  少しずつ歩き続けます。





















































もしも、  運転手さんが男性に気がつかず、 



ドアを閉めて発車しそうになったら、



あらん限りの大声を出そう。






















         「まだ降りる人がいますよ!」





















そう心に決めて、男性の動きを注視する私。





















































幸い、運転手さんはミラーをしっかりと見ていて、 男性がここで降りることを認識していました。
























































無事、男性がバスを降り、 歩道を歩き出すのを見届けると、



私は思わず 心の中で囁きました。





























              「お互い がんばりましょう」




























































































































































































今、 トミーさんが、どこで何をされているのか 私には見当もつきません。


























幼なじみだったナカタニくんは、 高校生のときに重い鬱病を患いました。

























同じく幼なじみで、 活発だったコーイチくんは公務員になったそうです。































そして、 






コーイチくんの弟で、 兄に促されて トミーさんを三角ベースに誘い入れたセージくんは、




高校を卒業後、 就職して初めて迎えた冬のある朝の出勤途中、




凍った池に車ごと突っ込んで亡くなった、  と 母づてに聞きました。
































































障害者に対しても、 健常者に対しても、








神のいたずらは、いつでも底意地が悪くて、 








私たちに悲しみばかりをもたらす気がしてなりません。
















































































































私が子どもだった頃と比べると、










   「知恵遅れ」 は 「知的障害者」 に




   「つんぼ」 は 「聴覚障害者」 に




   「かたわ」 は 「身体障害者」 へと



















その呼称こそ変わったものの、







本当の意味で 障害を持つ人たちが生きやすい社会が実現しているとは言い難いものがあります。











































































自分に出来ることは何なのか、 しっかり考えて しっかり行動すること。









それが、


トミーさんと トミーさんの軟式ボールから 私へ与えられたテーマだと思っています。






















































































































































こんなにだらだらした長文に最後までお付き合いいただき、 本当にありがとうございました。














この話は、以前のブログ「CGCG日記」の頃から、 いつか書かなければ…と思いながら、




その都度躊躇して、 後回しにしていたものです。


















いよいよブログの継続が怪しくなってきたので、 一生懸命書きました。




















いささか散文的になっているのは、意図して行ったものです。




















情緒一辺倒に走ってしまわぬよう、 自分の感情は極力抑えこんだつもりです。





















































































































この世界から 「しかたがないこと」 が、少しでも減るよう、





半世紀を生かさせてもらった人間として、 微力ながら、出来る限りのことをしていくつもりです。









































































                 













                                  

20 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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miniかえるさんへ   (ちっぷ  )
2011-02-12 04:53:17
 
このお話を書きかけては、都度頓挫してしまったのは、
私にとってとても辛い思い出という理由もありますが、
最大の理由は、
「これを読んで不快な気持ちになる人がおられるのでは」
「ブロ友さんたちがコメントを入れにくい題材なのかも」
ということを考えてしまったからなんです。

そんなことを考えてしまうこと自体、
私の心が「バリアフリー」になっていない証なのかも知れませんね。


ひとりひとりの糸は細くて弱いもの。
でも、細くて弱い糸でも、それを社会全体に縦横無尽に張りめぐらせることができたら、
きっと、障害者も健常者も今よりずっと生きやすくなると信じます。


私は、もしも神が存在するなら、
あまりにもひどい出来事が世界中に溢れすぎていると感じています。
でも、神に心があるなら、この世界にいいことをたくさん起こしてくれ…とも願うのです。
                
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華千代さんへ   (ちっぷ  )
2011-02-12 04:36:48
 
テレビで、芸能人にお子さんが誕生したという報道を観ていて、
「男の子でも女の子でもいい、 とにかく五体満足であってくれと願っていました」
というような発言を耳にするたびに、
五体満足でないお子さんをお持ちの親御さんは、どのような気持ちになるのだろう・・、
と思いをめぐらせてしまいます。
たしかに、その願いは親になる人、みんなが普通に持つ感情だと理解はできるのですが、
いろいろな人が観るテレビでの発言、
少しだけの心配りがあれば傷つく人の数も減るのではないでしょうか。
私も友人知人とそのような会話をしたことはあります。
が、もしも傍らに障害者のお子さんを持つ人がいたら、上述のような発言は控えます。
ほんの少しだけの思いやりがこの国に広がっていくことを望みます。

折れたバットが飛んできて目に当たったら・・、
親の子に対する思いやり・愛・心配は海よりも深いものですよね。
ただ私の母は、華ちゃんと違って、「差別主義者」的な考えを持っていたのです。
いろいろなことに対して。
なので、私は母を反面教師としている部分があります。
どんな差別もあってはならないと強く思っています。
            
前世のお話、とても興味深いです、、
てか、私も華ちゃんと同じようなことをよく考えますよ。
「わしゃ、前世で一体どれほどの悪事を働いたんじゃろか」ってね。
               
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杏さんへ   (ちっぷ  )
2011-02-12 04:16:50
 
仕事がてんてこ舞いで、さらにご家族のことで心配が尽きない状況にある杏さんは、
まだ何かことを起こす時期ではないのだと思います。
たまたま私にはその時期が訪れたようです。


私にとって「落葉の積もる場所」の役割は終わりかけています。
次のブログを立ち上げるかどうか、悩み中です。
         
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zerocoさんへ   (ちっぷ  )
2011-02-12 03:41:20
 
おっしゃるとおりだと思います。
行政の無策はある意味「罪」に当たるのではないかと常々感じています。
街なかを目を閉じて歩いてみると、
視覚障害者にとって、いかに思いやりのない街づくりなのかを思い知らされます。

もちろん、私たち健常者の不見識にも問題を感じます。
歩道に設置してある黄色いブロックゾーン。
視覚障害者のためのものなのに、そこに平然と停めてある自転車の多さ。

ともかく、できることから・・、
できることから始めてみます。

zerocoさん、 こちらこそいつもありがとう。
             
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1本の糸は弱くても・・。 (miniかえる)
2011-02-12 02:24:25
社会を構成するすべての人々が考えなければならない『重い課題』のようで、
安易にコメントが出来ず、躊躇致しておりました。

1本の糸は弱くても複数の糸に撚りをかければ
強くなります。
色々な糸を合わせれば虹色の糸だって出来るでしょう。
社会のみんなが、1本の自分色の糸を持ち寄り、
強くて夢色の糸が出来たなら、どんなに素晴らしいでしょう。

確かに神は悪戯であったり、凡人にとっては
理不尽にさえ思える時もあります。
宗教的なことはよく解りませんが、
この世を生きる人間に与えられた試練なのかもわかりませんね。

「しかたがない」事で終わらせないため、
小さなことの積み重ねから、ひとつずつでも
やっていきたいと私も思っています。

1本の糸が大きなうねりとなり、
より良い社会の実現の力となることを
願いながら・・・。
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Unknown (華千代)
2011-02-11 00:48:40
自分に出来ることは何なのか、 しっかり考えて しっかり行動すること。

はい、その通りだと思います。

私も、神様はどうしてこんなに不平等なんだろうって、
何度も何度も思いながら生きてきました。
その度に、前世でまっすぐに生きてなかったのかもしれない。
人様を傷つけながら生きのびた人間だったのかもしれないと思いながら・・・

だけど、いつの日か辛いことや悲しいことがあると
それを少しずつバネにできる様になってきた。



ちっぷんのお母さんがね、みんなが怪我したらいけないって思った気持ちもわかるな~
私、ちっぷんのお母さんの立場だったら同じこと思ってたな。
折れたバットが飛んできて目に当たったらとか考えちゃうもの。

ほんとだね。 世間から「しかたがないこと」をすこしでも減らしたい。
ちっぷん、そこに気づくなんて凄いし 素敵です

よろしくお願いしますね、頑張って




追伸 ・・・で、ブログの継続が難しくなったって   何?
もしかして ちっぷんも私と同じ、Windows2000でしょう~ 買えよ
私も、そろそろブログの継続が難しくなってきた
今日この頃ですぎゃははっ
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私も ()
2011-02-10 22:11:02
何かしたいと思っていますが、なかなか
娘達は部活で週に2回交代で施設にお手伝いに行っています。初めはだったようです。
ブログ続けて欲しいです
返信する
こんにちわ! (zeroco)
2011-02-10 14:52:09

バリアフリーが当たり前の風景
たとえば、歩道の段差がない、
観光場所の通路がすべて車椅子の通れる広さ
(イチゴ狩りとか小さなイベントでも)などなど・・・

そして、
パラリンピックの記事が、
社会面ではなく、スポーツ欄に掲載されること

  ↑
こういったことが、ごく普通に浸透している国が、ほんとうの「先進国」だと、
私は思っています。

意味もない道路の掘り返し工事や、
過剰な議員数や手当て、
進歩の無い討論や視察に使う無駄な時間と経費(税金)・・・

それを、ほんとうに必要なことにまわす
―――こんな単純なことができない国は、
恥ずかしい、と気づいてほしい。

ちっぷん、書いてくれてありがとう
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ミンタンへ   (ちっぷ  )
2011-02-10 07:31:47
 
読んでくれてありがとう。
私もサラサラなミンタンを見てましたよー。

たぶん、ボランティアという形で関わっていくことになると思います。

ホントにそうだね、 自己満足にならないように気をつけなきゃ。
      
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まりもさんへ   (ちっぷ  )
2011-02-10 07:27:43
 
団塊さん、立派な人だと思います。
どういう形でボランティアにかかわっていけるのか、
皆目検討がつかなくて、まだ手探り状態の私は足許にも及びません。



ブログ・・・。
             
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noriさんへ   (ちっぷ  )
2011-02-10 07:22:58
 
みんな同じだと思うんです。
差別や偏見なんかないほうがいいのはわかっていても、現実はそうはいかない・・。

でも、そろそろ手をこまねいたまま何もしないわけにはいかない年齢になったので、
何かを始めようと決めました。

何が起こるかわからないから、頑張って生きる意義があるんですよね?、きっと。
               
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ずっと読んでたよ (ミンタン)
2011-02-09 23:45:26
なにかしてあげたいと思うけど、親切の押し売りにならないように気をつけたいと思います
自己満足で終わっては、意味がないのでね
返信する
完  しないでね (まりも)
2011-02-09 22:13:31
いいお話をありがとう。。



人生の最後は 人のために生きること、、

そういって
主人が最近いろんなボランティアを
始めました

私はただそれを横で見ているだけ
ですが
でも人のために自分が少しでも
役にたつ、、ということで
心が豊かになるんだな、、

と主人を見ていて思います

ちっぷさんはまだまだ人生これから
ですが、今の志を持ち続けて
下さいね

それから、、ブログは続けなければ
いけませんよ~~
これも人助け、、ですからね(*^o^*) 
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こんばんは~ (nori)
2011-02-09 21:47:19
差別や偏見がこの世からなくなりますように
皆、同じ人間に変わりないのに・・

でも、今まで差別も偏見もなかったとは言えない自分もいます。

人生って何が起こるかわかりませんね!
やっぱり最後にいい人生だったと思いたい~
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sueさんへ   (ちっぷ  )
2011-02-09 19:24:53
 
世代によって、意識に差が生じるのは理解できなくはありませんが、
いつまでも頑なにその意識を持ち続けようとする人たちは
「頑迷」であると思わざるを得ません。

せめて私たちの世代は変わっていかなければ、と思うのですが・・。

                
「案ずるよりも、行動あるのみ」 ですよね?
             
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あんずさんへ   (ちっぷ  )
2011-02-09 19:19:55
 
お読みいただきありがとうございました。

話は少し飛びますが、
野菜たっぷりな広島のお好み焼きに使われているキャベツで、
もっとも多いのは、なぜか群馬産キャベツだったりします。
世の中には、縦横無尽に「糸」が張りめぐらされていて、
小さな私も、もしかしたら1本の糸になれるかも…
などと考えています。

もしかしたら、
自分に出来ることを考え始めた瞬間から、1本の糸になれるのかも知れません。
              
返信する
名称が変わっても。。。 (sue)
2011-02-09 14:28:46
変わらない意識には悲しくなる事も。

伝わる人には言わなくても伝わり
伝わらない心には伝わらないもどかしさ。

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こんにちは (あんず)
2011-02-09 11:49:41
よみました。
ひとりひとりの力が必要なコトですね。
まずは、自分から。
出来る事から。
考えてみます。
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マリンママさんへ   (ちっぷ  )
2011-02-09 06:35:34
 
おはようございます。
今日のマリンママさんの記事を拝読して、
この記事とどこか繋がりを感じました。
コメ欄がクローズだったので、書き込みはできませんでしたが…。

障害者、要介護者をはじめ、
一般に「社会的弱者」とされる人たちとどう向き合い、
自分に何ができるのかを、きちんと考えるべき年代なのだと
この記事を書きながら強く感じました。
空論に留めることなく、必ず実践に移します。
そして、マリンママさんのお仕事、大変だけど、
とても有意義なことに関わっておられて、尊敬しています。



新携帯アドレスは、複数の方のアイデアを
MIXしたものになりそうです。
が、 もう少しお時間を・・。     
        
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おはよう (マリンママ)
2011-02-09 05:37:27
生まれながら障害のあるかた、中途障害者の方・・・現在は年配の方にかかわっている私ですが、日々考えさせられる事ばかりです。
いつかは自分も行く道・・・
それこそ微力ですがお手伝いしたいです。
トミーさんは今はどうされてるのでしょう?現在でもまだ偏見があるのに、昔の事・・苦労されたでしょうね
「CGCG日記」懐かしいです
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