I'll love you on this earth.

なんとなく・・・。

長女にゃん虹の橋を渡りました

2018-03-29 | だいじ だいじ
今日も

こんにちは

懺悔に近い内容になるせいか、
今、手が凄く震えています。

3月24日土曜日午前11時46分頃、長女にゃんが虹の橋を渡り、
大好きな兄たんの下へ行きました。
病院へ行ったばあやの帰りを待ってくれていたかの様でした。

21日径鼻のチューブを入れてもらいました。
ただ、その時病院へ短時間ですが預けたのですが、
目をまんまるにして、不安そうな長女にゃんの姿が今でも忘れられません。
1時間するかしないかで病院から電話があり、お迎えに行きました。
正直、その姿にショックを受けました。
これならしない方が良かった・・・と。
食べてなくて体力がないのに、エリザベスカラーを付けて、ごそごそする姿に胸が痛みました。
でも、入れたからにはやるしか無い、少しでも楽になってくれれば、と。
でも、あまりに動きづらそうだった為、エリザベスカラーを短くカットしました。
すぐに、通販で、柔らかいタイプのエリザベスカラーを注文しました。

22日そんな長女にゃんを置いて仕事へ行きました。
朝、リキッドを注入した時、すこし気分が悪そうだったので、気になってましたが、仕事へ。
仕事中、気が気ではありませんでした。
カラーがどこかに引っかかってないと。
家に帰ると、TVの部屋にはおらず、吐いた跡が。
長女にゃんか、次にゃんの物か分かりませんでしたが、
おそらく長女にゃんのものだったのでは、と思っています。
18時の注入後少し気分が悪そうでした。
エリザベスカラーがお互い凄くストレスだったので外して、
暫くしていなかった首輪をして、それにリボンでチューブを止めました。
様子を見ながら、3時間以上あけて再度注入。
やはり少し気分が悪そうで。
もの凄い、径鼻をした事をもの凄い後悔しました。
夜寝る前にばあやがトイレに行くと、トイレ前に長女にゃんがいました。
抱いてばあやベッドまで連れて行くと、自分からばあやから降りてベッドへ行きたがりました。
あぁ、ずっと一緒に寝たかったんだなぁ、と。
その日、長女にゃんはばあやの足元の布団で寝ました。
一緒に寝た最後の日です。

23日早朝うとうとしていたら、長女にゃんが起き出してベッドの梯子の方に行った為、慌てて止めて抱いて下のマットの上へ下ろしました。
暫くして、何も食べていなかったため、ほぼ透明な中に緑色の物が混じった物を吐きました。
おしっこも漏らしていました。
近いな、と感じました。
少しでも楽にしてあげたくて、朝6時過ぎ病院へ電話し、事情を話、家で管を抜いても構わないとの事だったので、
鼻周りに縫い付けられていた糸を丁寧に切って、チューブを抜きました。
抜くとき、少し長女にゃんむせました。
その日はもう、ばあやは仕事にならないと、お休みをしました。
チューブを抜いた理由は、吐き始めたからもう・・・と。
言う事と、あきらかに長女にゃんのストレス、そして見守る家族のストレスが凄かったからです。
昼過ぎ頃まではまだよろよろしながらも、自分で歩く事が出来ていましたが、数歩進んだらへたれる。
と言う感じでした。
だんだんそれも出来なくなってきて、後ろ足を支えながらばあや部屋へ、暫くはそこで見守りました。
姉が帰ってきて、暫くばあや部屋にいましたが、自分で歩き始めトイレ方向に向かったので、
抱いてトイレへ、でもしゃがむ事が出来ずにへたりこんでしまいました。
でも、自分でトイレから出てトイレ側で横になっていた為、暫く様子を見ながら次にゃんのお世話へ。
数秒の間に長女にゃんばあや部屋の入り口付近におりまして、
TV部屋へ抱っこで移動しました。

一晩中、長女にゃん苦しみました。
何度も吐いて、その度に綺麗にして。
痙攣も数回、その度に、正直、もう、楽にしてあげてくれと、
楽になってくれと、願いました。
吐いたり、痙攣を起こす長女にゃんの体をさすりながら、
大丈夫だよ、ばあやも姉しゃんも側にいるよ、と声を掛け続けました。
一晩中、姉と二人でうとうとしながらも見守りました。
気になりながらも、ばあやは自分の病院へ。
そして帰宅後、24日午前11時26分頃、長女にゃんは虹の橋を渡りました。
24日はばあやも姉も仕事がお休みでした。

苦しんだ時間が長くて、もう少し早く迎えに来てあげてほしかった、と今では思います。
あまりに苦しむので、安楽死・・・の事が頭をよぎらなかった、と言ったら、嘘になります。
実際自分だったら、こんな状態になったら死なせてくれ、と言うかと思います。
でも、流石に、目の前で苦しんでいる長女にゃんを目にしていても、
殺してくれと、病院に頼みに行く気にはなれませんでした。
飼う側のエゴだとしても。

精一杯頑張っていた長女にゃんに少しでも側にいて欲しくて、
がんばれがんばれと、チューブまで通してしまった事、後悔してます。
チューブを通さなければ、もう少し一緒にいられたかもしれません。
でも、そうしたら、長女にゃんの苦しいのが、長引いていたのかも、と思うと。

どうするのが一番良かったのか、今でも分かりません。
多分、一生分からないでしょう。


向こうでは動物好きの両親と、
今まで送ったわんこと長にゃん三にゃんが迎えてくれたと思います。

とにかく元気娘でしたので、さぞあちらはにぎやかになり、
どんなにうざがられても長にゃんの後をついてまわり、
両親、特に母からは文字通り猫っ可愛がりされてる事と思います。
美味しいものも沢山もらっているでしょう。

長女にゃんですが、結果FIPでした。

確かに丁寧な育て方をしたか、と聞かれたら、
正直、はい、とは言えません。

仕事から帰ってきて、トイレが汚れていても、遊んでアピールも、
疲れたを理由に後回しにした事もあります。

自分優先でにゃん様達の事を後回しにしてきた事は否めません。

そう言う事がストレスによる免疫力の低下で発症しやすい
FIPの発症に繋がったと言われれば、認めるしかありません。

それがダメだと、一緒にいる時間を増やしたくて、職場を変えた矢先でしたから、
どうして、もっと早くに変わらなかったんだろう、と。

どうして、もっと、もっと、と。
思ってしまいます。

とてもいい子だったので、何でこんな苦しまなきゃ行けないんだろう、
親の因果が子に報い、と言いますけど、ばあやはそんなに悪い事して来たのだろうか・・・と。
ふとした時に、気持ちが落ちてしまいます。

次にゃんと遊んでいても、もっと長女にゃんと遊んであげれば良かった、と思ってしまいます。
動けなくなっても、水をほしがっていた長女にゃん。
ご飯の声に反応を示していた長女にゃん。

次にゃんと遊ぶ事、ご飯を食べる事に罪悪感の様なものを感じてしまいます。
でも、そんな事でばあやがどうにかなったら、たかが猫如きで、と言われかねないので、
食べます。遊びます。
長女にゃんに、ご飯食べるね。と一言言って。

長女にゃん。
沢山食べたかったね。
お水も飲みたかったね。
母ちゃん、父ちゃんから沢山美味しいものもらってね。
兄たんを困らせない程度に、ぶつかって行ってね。
三にゃんはしっかり遊んであげてね。
わんこはねこちゃんを怖がる子だったから、ほどほどにね。


お風呂に入っていた時、大きな声で「めぇーーーー!!」と呼ばれた事を思い出すので、
なかなか、ゆっくりお風呂に入る事が出来ずにいます。
トイレも出たら、外に座っているんじゃないかとか、
きちんと締めないと、可愛い体の割に大きな手で、ドアをちゃいちゃいして開けようとしていた事を思い出します。
トイレのドアを開けると、よくトイレに入って来た事。
抱っこして、と大きな目で見上げて、背伸びをして、大きな声で「めぇーーー!!」とおねだりした事も忘れられません。
主に足下から、時には頭側からばあやのベッドに上ってきてお腹やら胸やら、
うつぶせている時は腰やら背中やら、ふみふみした事。
好きにふみふみさせてばあやは横においていたipadを見始めると、
邪魔する様にipadの前に座った事、そう言う時は仰向けになってばあやが自分のお腹をぽんぽんすると、
また上に来てふみふみ。
時には顔を舐め舐め。
足下に寝に行ったなぁ、と思ったら寝返りで目を覚まして、そうしたらまたお腹まで来て、ふみふみ。
寒い時は布団をめくると布団の中へ。
でも、基本体の上に何かが乗るのを嫌がった長女にゃんの為に、
クッションとベッドの柵に布団をかけて直接体に布団がかからない様にしたりもしました。
あまり、ご飯の催促はしない子だったんですが、
我慢ができなくなったりすると、ビニールやその辺の紙をかじかじし始めて、
ばあやを起こしにきたり、構って攻撃して来ました。
最悪、物を落とす事もありました。
夜中にコレをやられて、何度も部屋から出してしまった事、胸が痛いです。
家に来た初日、ケージに入れて様子を見ていた時、
長にゃんへご飯をあげに行くとき、それを見て大きな声で「みぃーーーやぁーーー!!」
と吠えて家中をびっくりさせた事。
遊んで欲しくて、てれてれ歩いていた長にゃんに後ろから突撃かまして、
コレまた家中をびっくりさせた事。
物が倒れた音に驚いて「わー!!」と言った事。
思い出して、まだまだ苦しい、悲しい時間は続きそうです。

仕事をしているおかげで、頭の中が霞がかった、ぼんやりした状態からは抜け出せました。
おかげで、長女にゃんの苦しかった時をはっきりと思い出す事ができます。
向き合えます。

泣きたい時には泣きます。

たくさんたくさんのごめんねでいっぱいです。
そして、ありがとう、楽しかったよ。

25日に圓福寺さんにお葬式をお願いしました。
長にゃんもお世話になった所です。
こちらのお寺は、一緒に暮らしたわんにゃんと一緒のお墓に入れます。

火葬の時は本当に辛かったです。
姿も無くなってしまうのですから。
でも、びっくりするぐらい骨がしっかりしていて、見事に残っていた為、
体の小さな長女にゃんの遺骨はほぼ全て拾う事が出来ました。
集める時に飛んで行った骨が、機械の下に落ちていたのですが、
ご住職が膝をついて拾って下さいました。
勢いのあるご住職です。
こちらが小さな声でぽそぽそ言ったぐらいでは聞き取ってもらえないwと言う所もありますが、
そう言う時は大きな声ではっきりと、お伝えしましょう。

残された次にゃんを大切に、暮して行きます。

まとまりがなく、ぶわーと思いつくままに書いたため、
読みにくくてごめんなさい。

また、色々溜まったら、過吐き出します。

では。

いつも

贅沢病って。。。

2018-03-15 | だいじ だいじ
連投します。

もうね、何にも食べてくれません。
匂いはかいでくれますけど。
指に付けたのを舐めておしまいです。
表情も虚ろです。

そんな長女にゃんを先日病院へ連れて行った時の事です。

通っている病院は送迎をして頂けるとの事。
ばあやはペーパードライバーな為、送迎をお願い致しました。

その時の事です。
行きの車の中で長女にゃんの症状について話をしてありました。
その時は何でも病院のスタッフに話して、伝えて下さい。
て、事だったんです。
話しやすい良い方だな、と。

帰りの車の中でも色々と話をしてたんですが、
食べられなくなった長女にゃんの症状に対して、
「贅沢病だな」と・・・。
行きの車の中でも言ってたかもしれません。
でもあまり覚えてなくて。
帰りの車の中でははっきりと言われたので、覚えています。

症状の深刻さはばあやがよくわかっています。
「えっ?」となりました。
あまりの言葉に結構なショックを受けて、その場では何も言い返せず。
何だろう・・・受け流してしまったんです。

後になって、なんでこの子が居た時にきちんと言い返さなかったんだろう、と。
自己嫌悪です。

この事は、きちんと病院へも伝えます。

日帰りで行けるとこならどこでも行けますよ、と。
良い方なんでしょうけど。
「贅沢病」もあまり気落ちしない様にとの事だったんだろう、とは思うんです。
でもね、一緒に暮らしてる方は事の深刻さを理解しているので、
かなりキツイです。

現に原因のわからないまま逝こうとしている長女にゃんをみていると、
本当にその言葉の酷さが身にしみます。

2度と、他のご家族、通院中の子達に対して言わないで頂ければ、と。
励ますにしても、もう少し言葉を選んで頂ければと思います。

おはようございます、良いお天気ですね。

2018-03-15 | だいじ だいじ
今日も

いやいや、間が開いてしまいまして。
うちの長女にゃんですが、検査結果はどこも全く異常はなかったです。
ですが、原因不明の熱、食欲不振は続いており、
おとついより、ほぼ食べ物を口にしなくなっております。

病院に連れて行きまして、39、5度の発熱があり、点滴をしてもらいましたが、
くったりしたまま病状好転せず、今に至っております。
正直、いつまで居てくれるかな?と言う状況です。

色んな物を押し込んであった為、入る事を禁じてたクローゼットを解放して、
今、その中にいます。

ずっと、入りたがってたんですけどね。
元気だった頃はクローゼットが開くと寝てても、ひょこひょこ見に来て、
「入っていい?」みたいな顔で見上げてたんですけど、
いつもダメだよって、扉を閉めてました。
隙をついて入られる事も何度かありましたけど。
今にして思えば、何をそんなに頑に入らせなかったのかと。
今みたいに、休みの日くらい、こうやって側で見守ってあげてれば良かっただけなんですけどね。
ただ、まぁ、元気すぎて何をやらかすか分からない怖さはあったんですけど。

夜中もね、何度も起こしに来た事があるんですよ。
次の日仕事だし、眠いしで部屋から追い出した事もありました。
その後、部屋に入れて欲しくてドアをかきかきしながら、
呼んでた事もありました。

遊んでほしくて誘って来た時も、疲れてるから後でねー、と、
自分優先でした。

そう言うのが何度かあってこのままじゃいかん、と言う思いと、
仕事内容が入社当時に比べてハードになって来た事、
職場が遠くて、通退勤が辛くなって来た事から、
夜中に起こされても相手が出来る様に、と、めっちゃ近所の病院に職場を変えて、
さぁ、これで大丈夫、と思っていたら、こんな事になってしまいました。

後悔、後悔、後悔です。
何度言っても足りない後悔です。

いつもそうです。

長にゃんの時も、後悔でした。
体はって沢山、教えてくれてたのに。

長にゃんの居ない時間、長女にゃん、次にゃん、姉、自分の、時間が普通になって来て、
その時間が、長く続くと思っていたんです。
でも、いつ、それが崩れるかわからい事を、長にゃんが教えてくれていたのに、また、繰り返しました。

ほんとに自分の馬鹿が嫌になります。
動物と暮す事に向いてないと、心底思っています。

もう、いつ、長にゃんのところへ行ってもおかしくない状態の長女にゃんの事を思うと、
辛いし、悲しい、苦しいです。
それだけじゃなくて、マイナスの感情ばかりです。
長にゃんの時もそうでした。
この子達は自分たちより先に逝く。
たとえ今、もの凄い奇跡が起きて長女にゃんが大復活を果たしても、
この子達が先に逝く事に変わりはない。
その時が来たら、また、この辛い思いをしなければ行けないのか、と。
一緒に暮らさなければ良かった、と言う思いが涌いてきてしまいそうになるのを、
一生懸命留めて来ました。

今、クローゼットの中をうろついて、掛けてある服に足を掛けたので出たいのかと。
入るときは自分からなんとか、服を伝って中に入りましたけど、
出る自信は無いみたいで、足を引っ込めてしまいました。
クローゼットの中は少々肌寒さもあり、抱っこして窓ぎわへ。
居たい所に居させてあげたいけれど、言葉が通じないですからね。
辛いです。
丁度、9時半のお寺の鐘の音が聞こえてたので、
暫くは鐘の音を聞くと、思い出してしまいそうです。

心配なのは次にゃんもです。
去年お兄ちゃんを亡くし、今、お姉ちゃんを亡くそうとしています。
血のつながりは無いですが、長女にゃんとは月齢が近かった事もあり、
それなりに、仲の良い兄弟だったと思いますが、
でかい体なので、少々遣り過ぎてしまう次にゃんのストッパーだった長にゃんが居なくなってからは、
ちょっと微妙な感じになっていました。
11年、一緒に暮らしていても、やはり、猫同士の微妙な関係は猫同士にしかわからないもんだなぁ、と。
長女にゃんが体調を崩してから、次にゃんがほんとに絡まなくなったんですよね。
時々、ちょっとだけ様子見みたいに絡んで怒られてましたけど。
今は離れた所から見守っている感じです。
やっぱり何か、感じてるんでしょうね。
長にゃんが居なくなった後は、長女にゃんと二人でした。
お留守番も二人でした。
長女にゃんが居なくなったら、これからは一人です。
それが心配です。
次にゃんは福島のブリーダーさんから譲り受けた子です。
今後について色々相談をさせて頂きたいと思います。

今、日なったぼっこしてますけど。
可哀想な気もしましたけど、シリンジでちょっと口の脇から水を入れました。
飲みたそうにはするんですけね。

先週、注射をしてもらった時、1週間後に来てねと言われましたけど、
うん、明日なんですけどね、もう、無理に連れて行かなくてもいいかな、と言う容態です。
ストレスの方が大きいと思うので。

窓ぎわのプラスチックの3段引き出しの上で寝てます。
熱くなった様です。
まだ、動ける元気はありますが。
いつもだったら、そこからCD棚の方にジャンプするんですけどね、
躊躇しています。
様子をみていたら、そこで寝だしたので、ちょっと様子みます。
体の小さな長女にゃんでもやはりプラケースの上は小さかった様で、
足がプラプラして寝にくそうなので、抱っこしてCD棚の方へ。
暫く窓から外を見てましたけど、また、寝始めました。

可愛いですよ。
本当に、可愛いです。
逝こうとしているのを止められず、見守ることしか出来ないのは、
本当に苦しいです。

生きてるのが嫌になりますけどね。
まだ、次にゃんがいるのでこの子を置いていけないので。

45年の人生の中で、犬1頭、猫2匹を送って、
今3匹目の子を送ろうとしています。
この子達にしてあげられた事は、ばあやが先に逝かずにすんだ事位です。

ごめんねも沢山あるけれど、ありがとうの方がもっともっと沢山です。

一緒に寝てくれて、お迎えしてくれて、甘えてくれて、呼んだら返事をしてくれて、
頑張ってくれて、我が家に来てくれて、出会ってくれて、他にもたくさん、たくさんありがとうです。
君たちに出会えたご縁に感謝してばあやはがんばります。

結婚もせず、子供も作らない人生を送ってきた自分の中にも、
生き物を『愛しい』と思う気持ちがあった事を、
この子達が教えてくれました。

一緒に暮らした2匹の命を、最後まで見守り続けます。

それが、ばあやの人生のお仕事だと思っています。

では。

今日も



え?何で?

2018-03-04 | だいじ だいじ
こんばんは

長女にゃんを大きい病院へ連れて行きまして、
微妙な感じで帰って参りました。

センター長先生に診察を依頼、
前の病院の検査結果、長女にゃんの腹部を触診、
ついで聴診器で心臓やら肺やらの確認をする前、
微妙な表情で首を傾げられておりまして、
姉もばあやも、そんな先生の様子に?となりまして。

検査結果を再度確認して一言、
「この検査結果のどこを見て悪性腫瘍かもって言われたんですか?」

ばあや「え?」
思わず声がでてしまいましたょ。

何て言うか、日本語って難しいよね。
て事です。
かかりつけの病院の先生がヤブではなく、
姉からばあやへの話がキチンと伝わっておりませんでした、的な。

ばあや
「先生が触診しても何も触らなかった、て事ですか?」

センター長先生
「(苦笑でうなずく)数字だけ見ると悪性の腫瘍じゃないとおもうんですけどねぇ。
血液検査の結果みても、特にこれと言って悪いところがないんですよ。
レントゲンとかCTを撮ってて事じゃない?」


「はい、異常がないのは向こうの先生も言ってた」

ばあや
「え?」


「ごめん。私の言い方が悪かったね。特に異常がないって言うのは向こうの先生も言ってた。
食欲がない、て事で示す数字の範囲が広すぎて絞り込めない。
食べないって事で考えられるのは、LDHの値を見て、胃腸炎、最悪、悪性腫瘍て事なんだって。
今の段階では血液検査の結果だけでは病気を絞り込めないから、
薬飲んで症状の改善が見られなければ、設備の整ったこっちの病院で見てもらってくれ、て言ってた。」

ばあや
「………異常がないのは向こうの先生も知ってたんだ。」

姉「そうそう」

ばあや「でも、まぁ、食べんでねぇ」

姉「だからどのみち来ないといかんかったんだわ」

ばあや「て事は精神的な事ですかね?」

長女にゃんは長にゃんが大好きで、
虹の橋を渡ったあと、暫くしてから食べムラが始まり、
1日40gあげてるご飯を残すようになった事を伝えました。

センター長先生
「かもしれませんねぇ」

まぁ、長にゃんの死だけが原因ではなく、
飼い主のわしらのニャンズへの対応も問題があったんだと思います。
本当に反省です。

………
………
………

て事で、一応明日の朝検査となりました。

ので、一見落着と言うわけにはまだ行かないのが怖いですが、
可能性としては悪性腫瘍説も残っているので。

メンタル的な事が原因なら、対応の仕方を考えなければなりません。
ご飯を食べない、というのは、緩やかな自殺だとおもうので。

猫さんて飼い主の事キチンとみて、声を聞いているので、
色々感じてたんだと思います。

11年一緒に暮らしててこれでからね。
動物と暮らすって難しいです。

また、これから勉強です。

取り合えず、じゃらしに対して無反応ではないので、
じゃらし振りに専念しようと思います。

悪性腫瘍じゃない事を願って!!

では、また。




凹む😖

2018-03-04 | だいじ だいじ
さっきの今ですが、
夕方薬あげに失敗しまして、本日2度目負傷……

姉ベッド下に隠れて声かけましたが、睨まれました。
目力はまだあります。

何とか飲ませましたけど、
やっぱ飲ませる時手が震えてしまって。

嘔吐は見られてないのですが、様子見です。

はぁぁぁぁぁぁ………

ベッド下から出てきてくれたので抱っこしてたくさんありがとうと少しのごめんねしました。

では。