雪害の記録 2006 Apocalypse

君死にたもうことなかれ

(滋賀)殉難之碑/吹雪、雪崩…命も奪う

2005年06月01日 | 雪害の記録04-05
測候所職員、18日間孤立も

 標高1377メートルの伊吹山は独立峰に近く、雪雲が若狭湾から伊勢湾に抜ける通り道にある。山頂の気温はふもとより10度前後低く夏場は涼しくて快適だが、冬は様相が一変する。

 伊吹山の山岳気象観測史には、2人の犠牲者の名が刻まれている。

 彦根地方気象台が02年3月に刊行した「伊吹山の気象」によると、1人は1931年12月15日、測候所の勤務交代のために登山中、3合目で猛吹雪に遭って遭難した。もう1人は、その3年後の1月15日、山頂付近で稜線(りょうせん)の風下側に突きだした雪庇(せっぴ)が崩落して引き起こした雪崩に巻き込まれた。この2人の殉難之碑が測候所跡に建っている。

 厳冬期の山頂は、想像以上に厳しい。職員の遭難の原因にもなった雪庇は、雪が多く、風の強い時には稜線から十数メートルもひさし状に延びることがあるという。1968年2月4日には、雪庇が崩れて起きた雪崩に5合目の山小屋がのみこまれ、登山者ら3人が死亡したこともある。

 零下5度以下に冷やされた霧の粒が建物などにぶつかってできる霧氷も、観測業務を邪魔した。測候所に初めて電灯がともったのは1962年11月6日。ところが、その年の暮れに突然、停電した。電線に付着した霧氷が成長し、風に揺さぶられて繰り返し故障を引き起こしていた。


 百葉箱は積雪に埋もれた。午前9時に定時観測を始めるために、その1時間も2時間も前から百葉箱の掘り出し作業にかかった。週に一度、勤務を交代する際は、5キロ前後の荷物を背負い、スキーを着けて4~5時間かけて山を登った。冬型の気圧配置が強まり天候が荒れると、交代勤務の職員が登ってこられず、山頂勤務者の滞在期間が延長されることもあった。

 彦根地方気象台の中川喜治調査官も、1977年から7年間で計約40週間の山頂勤務経験を持つ。

 中川さんは「1981年の豪雪の時には、山頂勤務者の滞在期間は18日間に及び、交代要員を送り込むのにヘリコプターを使った」と振り返る。

朝日滋賀
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« (宮城)転倒の危険日常に ... | トップ | (山形)サクランボ:収穫遅... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

雪害の記録04-05」カテゴリの最新記事