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ぼちぼち日記

~あせらずあわてずゆっくりと。まあ、ぼちぼちいきましょ!~

初めての授業

2006-09-30 17:03:51 | 特別な日
日本人の学生に初めて朝鮮語を教える。
これまで、留学生に日本語を教えてきたが、
ちょっと勝手が違った。
初級を教えるというのも、日本語学校以来だ。
次々と当てていって、とにかく口を動かさせる
いわゆる「ドリル」というやつも久々だ。
セメスターだが、春学期から続けてとる学生ばかりだと
思っていたら、はじめてハングルやります!という学生が
8名のうち2名いた。
うち1名は4回生。オリエンテーションを早めに終わったので、
その後この4回生だけが残って、文字と発音の基礎を教える。
彼は語学が好きだということで、本学でやっているすべての語学の
基礎を受けてきたらしい。そういうのもありかなと思う。
私も日本語教師をやっていて、とりあえず受け持ちの学生の
母語の基本だけをやってきた経験から、いろんな言語を
とりあえず学んでみるというのは、案外大切なことのように思う。
何もものになっていないんですけどね、というのも確かにそうだが
世界にはいろんな言語があり、それを使って暮している人々が
いるのだということを理解するというのは大切なことだと思う。
少なくとも、世界中どこにいっても英語さえわかっていれば
大丈夫っていうのより、よほどいいように思う。
世界中で英語が通じるっていうのは、幻想に過ぎないもの。



台風それる

2006-09-18 01:14:39 | 特別な日
明日(もう今日か)、早朝に母が山形に向かう。
泊まる場所とかいろいろと気を使わせるので、
こちらからはだいたい一人だけ行くことにしている。
いとこの死に母はかなり動転していたので、急遽
実家に帰る予定だったが、ご近所に助けていただいたりして
こちらからはネットで新幹線の乗り継ぎなどを調べて
電話したりするだけだった。
家族の方が大変で、親戚がいろいろと助けなくてはならないのに、
こっちが取り乱していてはかえって迷惑がかかる。
それが心配だったのだが、何度か電話をしているうちに
母は落ち着きを取り戻したようだった。
ドラッグストアを営んでいるからなのか、気丈なお嫁さんは
誰にも従兄弟の病気を明かさなかった。
だから、5月に墓参りに行ったときも、従兄弟は出張していると
聞かされていた。伯母の葬儀の際、初めて知らされたのだ。

台風がそれなければ、明日の朝(今日か)出発できたかどうか
わからない。通夜や葬儀も台風では大変だ。
今後の進路はどうなるかわからないが、
無事に滞りなく見送れることを願うのみである。

高麗美術館へ行く

2006-08-13 00:30:48 | 特別な日
昼食の準備をしていたら、京都滞在中の
北海道の友人から電話があった。
「高麗美術館行かない?」
ずっと行かなきゃと思っていたので、
ありがたいお誘いだった。
とりあえず、準備中の昼食を済ませ、
バスに乗って高麗美術館へ行く。
高麗美術館は、在日一世の方が収集された
朝鮮古美術を展示している個人美術館である。
こじんまりとした、落ち着いた佇まいの空間だ。
1階は特別展示室で、今は「朝鮮の美術工芸」展が
開かれている。
薄いつくり、そして何ともいえない歪みが、
朝鮮白磁・青磁の器の味わいである。
展示物そして、その空間にいることの心地よさを
楽しんでいたら、先に来ていた友人が2階から降りてきた。

2階にはソファに腰掛け、ゆっくりと
朝鮮美術関連図書を読むこともできる。
そこでゆったりと腰掛けながら、いろんな話をした。
経済的理由で研究をやめよかと悩んでいること、
彼女は職場の大学でさまざまな闘いを
強いられていることなどなど。
いろいろ吐き出したら、なんだかすっきりした。
自分を取り巻く状況は何も変わってはいないのだが、
彼女からパワーをもらった。

家に帰ってきてぼんやりテレビを見ていたら、
「ないからできないじゃなく、
できるところから始めること」と言っていた。
なるほど、そのとおりだ。
とりあえず、できるところから始めよう。

旧友を囲んでの宴

2006-08-12 00:56:47 | 特別な日
北海道の大学に勤める研究仲間が京都にやってきた。
まだマスターの2回生だった頃、東京から京都へ来られた
先生のゼミにもぐりで出させていただきたいとお願いし、
今も体調のいいときには出させていただいているのだが、
そのゼミで仲良なった研究仲間である。
彼女は台湾、私は朝鮮と、共に植民地教育を研究テーマに
しているのであるが、心が折れてしまいそうなとき、
彼女の研究姿勢に、私はいつも励まされてきた。

その彼女が集合場所に現れない。
「もしかして、17時45分を7時45分と間違えてるんちゃうん」と
冗談を言っていたが、1時間待ってようやく現れた。
「遅いよ!どうしたん」
「ごめんごめん、今何時?」
「6時45分」
「あれ?待ち合わせ、何時やったっけ?」
「17時45分」
「え?」
2時間待ちにはならなかったが、どうやら1時間間違えていたらしい。
予想どうりの展開である。

さて、昨日の宴は、当時一緒にゼミに出ていた4人と、台湾研究者1人、
台湾人留学生2人というメンバーだった。
ゼミに出ていた頃はみんな、これから先どうなるんだろうと、
不安も夢もいっぱい抱えていた学生だった。
でも今は、当時のメンバー4人が博論を出し、2人は大学で職を得、
2人は非常勤で食いつないでいる。
最初は研究の内容について話していたが、2件目の店では、
大学の待遇や授業の内容、学生の反応など、仕事に関する話題になった。
なんだか不思議な気分だった。
私以外はみんな若かったけど、それなりに年もとったし。

今年は彼女は校務、私は経済的理由で学会へは参加しない。
今度はいつ会えるだろうか。
いつまで研究が続けられるだろうと不安を抱えながらも、
こうして研究仲間と会ったとき、今はこんなこと考えてるんだけど…と、
研究について話せるような自分でありたいと願う。
それを確認できた日だった。
久しぶりに心から笑えた心地よい宴だった。

学位授与式に多くの「物」をいただく

2006-03-14 23:31:50 | 特別な日
今日は学位授与式であった。
ここのところずーっと忙しかったのと、
ほとんど実感がわかないのとで準備も全くせず、
結局シャツを新調することもなく、この日を迎えた。
朝、スーツを出したらジャケットにくっきりと、
しかも何本もしわが入っているのに気づく。
アイロンを出して格闘しているうち、リハーサルの
時間を過ぎてしまった。
とりあえずほかのジャケットを着、走って会場に向かう。
博士課程でほかに遅刻者が二人いてほっとする。
15分ほどのリハーサルを終え、自宅に戻り再びアイロンでしわと格闘。
なんだかんだ言ってるうちに、本番の時間。またまた慌てて大学へ。
式が始まり、学位記と記念品をもらう。
記念品は、2週間前に懐中時計か輪袈裟のどちらかを選び、
名前を入れてもらっている。
せっかく縁あって仏教系の大学に入ったのだから、
輪袈裟を選び名前を入れていただいた。
式が終わってから史学科の控え室で学部生らと共に、
またまた彼らと同じ記念品をもらった。
中身は…本二冊ほか印刷物数部、ボールペンとシャープペンが
一緒になったペン(シャーボ?)、袱紗、数珠等いろいろ入っていたが、
大学バスのチョロQには意表を衝かれた。
せっかくなので、学部生が名前を呼ばれて順に学位記を受け取っている間、
机の上で走らせてみた。
が、すぐに飽きたので、小さい子どもさんのいる先生に差し上げる。
あっというまに行事は終わり、午後、人類学の先生に聞き取り調査の件で
研究室へ相談に伺う。
年度末ということで細かなお金を使いきるから、欲しい物なにかある?と
聞かれ、先生がお持ちのビデオをダビングしてもらうためのDVDをいただいた。
そのまま、研究室でダビング。その間、いろいろな情報をいただき、ついでに
フィールドノートを四冊もいただいた。おまけに、履歴書を出してみないかと
仕事の情報までいただいた。(多分応募しないと思うけど。)
なんだか今日はバタバタしていたけれど、いっぱいいただいた一日だった。
特に、フィールドノートはとってもうれしかった。
まるで専門家になった気分だ。(博士なのに、まったく素人である。)
次の調査の時には使わせていただこう。