今朝、娘の就学旅行の話で、カメラは持っていけるのか?という話にすこしなった
もしかしたら、持っていける?かも~~~
じゃ、私のつかっていないカメラ携帯なら小さいしいいんじゃ、ないの?
携帯はだめだよ~~~という返事、でもこれは今は携帯としての機能ではないし、まったくカメラとしてしか機能していないものだから、いいんでは?
彼女はいつも、学校の決まりをまもろうとする
それは、いいことではあるけれど、臨機応変さがなさすぎる
いつかも雪のとき滑ってころんだと、いうので、スノーブーツを履いていけば?といっも、スニーカーじゃなきゃいけないから、みんなも履いていないから
私は学校にほんとうにそうなのか・・?電話をしてきいてみた
答えは、安全第一ですから、こういう日には、安全な靴をはいてきてください との回答
あたりまえといえばあたりまえ
どうしても、彼女はこりかたまる
夏休みの自由研究の時もそうだった これをつかわなければいけない、これはこうしなければいけない
それは自由研究なんだろうか?
こうしなければいけないところ、プラス、自分はこういうことも調べてみましたというところがなさすぎ
自分というものを枠にはめて、その中でしか動けない
社会にでて、それで通用できるんだろうか?
私もまえの仕事で、予算のなかでものを買え揃えなければいけないとき、どうしてもこれが必要、でも、予算がない
じゃ~~どうすればいいのか? 似たものを購入してそれにじぶんで手を加え、なんとか妥協策を考える
それによって、すべてイメージすら変えしまうことになっても、切り替えて、これならいいのでは?と考えなおしたり
そんな風にする場面は多々あった
性格・・・・といってしまえるところ、と、そうでない部分
臨機応変
料理だってそうだ、これがないから、つくれないではなく、似た味にする、というところまでの妥協もときには必要なんでは?
かといって、親がいいといったから、いいんだ というのも、こまりもの
それも臨機応変の問題
性格はかわるんだろうか?
親はどうやって、そういう性格を柔軟にできるんだろうか
私のやっていることは見ているはず、でもまったく違う
先生との三者面談でもその話をしましたが、先生はいいところでもあるので、という
社会にでてから、もっとこの先になったら、気づくことです
それはそうかもしれない
でも、それじゃおそくないだろうか?
なにかにつけて、そういうことが目立つ・・・
どうしたらよいのか・・・・・悩む
悩むことなのか?どうかも、悩んでしまう今日このごろ