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出雲は神在月

2021-10-29 11:45:48 | 日記

今年は9月にも最近の年と異なり、残暑の厳しさもそれほどではなく、いよいよ新暦の10月に入りました。二十四節気の「寒露(かんろ)」も来週末辺り、鳴く虫の音も賑やかに秋の気配が深くなっています。

 

実際には旧暦の十月の呼び方ですが、神無月という風流な呼び名の月でございます。

通説には日本中の八百万の神々が、この月に出雲大社にお集まりになるために、神様が不在になることから呼ばれたということです。

他にも伊弉諾の命が亡くなった月であるという説や、無を「の」と読み神の月であるという説。

実際には翌月の新嘗祭のための新酒を醸造しだす月、すなわち醸成(かもなし)月(つき)というのが有力なようです。(出典「旧暦で読み解く日本の習わし」大谷光男監修)

 

通説に従いますと、出雲には八百万(やおよろず)の神様が集まりますので、ここだけは「神(かみ)在(あり)月(づき)」となるわけです。

で、出雲。出雲大社は当然出雲一の宮、国譲りの大国主神(大穴持(おおなむちの)命(みこと))が祭神で古代には杵築大社と呼ばれ、明治4年に現称の「出雲大社」改称とされました。

代々出雲国造家(古代出雲の支配者である出雲氏の直系)が宮司を務め、現代は84代千家尊祐氏でありまして、高円宮典子女王がお嫁ぎになった千家家のご当主であります。

 

千家というと、千利休に発するお茶の宗匠家を思い起こしますが、利休の本姓は田中であり、安房の豪族里見氏の一族から発生致しましたので、出雲の千家さんはもっと古い。

 

出雲国造家なのに、なぜ千家などとお茶の家柄のような苗字であるかですが、丁度南北朝時代に54代当主国造孝時にその子息3兄弟があり、当主が贔屓の末子六郎を継がせようとしましたが、当主の母の意向で病弱な長兄三郎を当主としました。しかしながら、やはり病弱で代官として五郎に職務を任せ、そのまま国造職を五郎に譲ることとしました。

それに六郎は猛烈に反発し軍勢を集め紛争状態に陥りました。当時の守護代の仲介により神事などを等分することで和解し、五郎は千家氏、六郎は北島氏と称して並立して明治に至ります。

 

明治になって千家氏は出雲大社教、北島氏は出雲教とそれぞれ宗教法人を主宰して別れ、出雲大社の宮司は千家氏が担うことになりました。

 

私事ではございますが、わたくしの行きつけの新橋のお店でたまにご一緒する、音楽教師がこの北島さんの一族で、非常に穏やかな紳士でございます。

 

もう7~8年ほど前に家族旅行で出雲大社をお参りし、この北島家の出雲教(大社本殿に向かって右)の神社にもお参りしましたが、御庭の中に瀧がある素晴らしい景観でありました。

 

さて、この神々の出雲出張ですが、どうも中世に出雲辺りから流布した伝説のようです。そしてこの時期に出雲にいらっしゃらない神様もいらっしゃる。有名どころでは鹿島の建御雷尊。こちらは不在時に地震を起こす大鯰を鎮めているために、いらっしゃらないとも。

大国主尊の子息で建御雷神に負けて国譲りを認め、諏訪に逃げたとされる建御名方命も行かないと、諏訪神社で伺ったことがあります。これは建御雷に負けた時に追い詰められ、この地からでないことを約束されたからとされます。

 

もう一つのグループは留守神と言われる神々です。理由は神々が留守にされる不安に対応するためで、恵比寿さん、金毘羅神、竈神、道祖神などです。どうも恵比寿さんは元々古事記に現れる蛭子と同一視され、足が弱いということも理由かもしれません。

 

草刈の大宮姫命さまは、当然お出かけになります。そのお出かけとお帰りを氏子さんたちは、直会をして、送り出しとお出迎えを毎年欠かさないようです。

 

では、国譲りの一方の主役である天照大御神などの天津神は?

基本的には出雲に集まるのは国譲りをしたほうの国つ神が主体ではないかともいわれています。神々が集まるのは人々の縁に関わる会議とされています。特に男女の縁。神様にとっては神をあがめる人々の増加が自身のパワーの源であり、子孫繁栄は重要な議題なのかもしれませんね。

 

國學院大學の博物館では、この時の出雲大社の神迎えの儀式をVTRで鑑賞することができます。暗闇の中を海岸に出迎える儀式は一見の価値がございました。

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文学の神様と俳聖

2021-10-08 14:31:39 | 日記

まだ会社勤めをしていたころの出張で、滋賀県尼子から近江鉄道経由で草津線にて甲賀から伊賀を廻り、三重県亀山までの列車の旅。まあ効率の非常に悪い移動ではございますが。所謂ローカル線の旅でございます。

関東の方は草津温泉の方がお馴染みですが、中山道と東海道の分岐点にあたる、滋賀県草津駅からの草津線の終点が現在の伊賀市にある柘植という駅です。ここから関西線に乗り換えるのですが、乗り換え時間が結構あり、途中下車して昼食を。

 

柘植駅は三重県で初めて鉄道が引かれた駅でもあります。明治23年に甲賀の三雲との間に関西鉄道として営業されました。

 

さて伊賀国の柘植。既に天武記にその地名は記されており、積植(ツエム・ツミエ)から現在の表記に変わったようです。近くには都美恵(つみえ)神社が鎮座されますが、やはり柘植の木が多かったことが名前の由来のようです。

 

柘植地区は油日岳を挟み、甲賀盆地から至ると最初の伊賀の地となります。

伊賀、甲賀といえば、忍者。以前に顧客訪問の時間調整で、甲賀の忍者屋敷(旧望月家の元禄時代の居宅)をちょっとだけ覗いてきましたが、伊賀の柘植には残念ですが忍者に関わるものは一切なしであります。

 

江戸時代前期に藤林某が記したとされる、伊賀の忍法書「萬川集海」では、楯岡の道順、音羽の城戸弥左衛門などと並んで、忍術名人として「下柘植の木猿」「上柘植の小猿」の2名が挙げられておりますが、現在の伊賀市柘植には忍者の匂いは皆無であります。

 

駅の前にぽつんとある喫茶店で、焼きそばと珈琲を戴きましたが、その喫茶店で柘植のガイド記事を拝見して、この地が俳聖芭蕉翁の生地であり、戦前に志賀直哉と並び文学の神様とも称された、横光利一との関係が深いことが判りました。

 

芭蕉翁については、血筋としては源平の時代に遡り、平宗清(頼盛の家人で、平治の乱で頼朝を捕縛し六波羅に送るに際し、池の禅尼を通じて頼朝の助命を求めたとされる武将)の子孫として、源平の時代以降柘植氏としてこの地に封じられその一族が福地氏であります。

天正伊賀の乱に際し、信長につき侵攻の案内者として権力を得た福地宗隆ですが、本能寺にて信長が横死すると国人の攻勢に逃亡を余儀なくされた訳ですが、その弟がのちに帰郷し松尾姓を名乗ったとのこと。そして芭蕉はその子孫というわけです。

 

横光利一は1935年3月に福島県北会津郡東山村の温泉地に出生しています。父は鉄道技術者横光梅次郎(大分県宇佐市出身)で母小菊との間の長男であります。

この母堂の出身地が当時の地名では「三重県阿山郡東柘植村」即ちこの柘植の地であり、横光利一自身もこの母が芭蕉の血を引いていると常日頃話していたそうです。

 

横光利一は筆者が中学生の頃に愛読した作家で、最も愛読したのが「春は馬車に乗って」でありますが、これは実生活で彼の二十歳で亡くなった、奥様の闘病生活と死去が大きく影響を与えております。

さて利一は父が明治39年に軍事鉄道施設工事に伴い朝鮮へ転出した際に、母の実家であるこの柘植に移り、小学校の1年から4年の大部分をこの地で過ごしており、柘植の友人に故郷であることを文で記しております。

絶筆となった「洋燈(ランプ)」も柘植の場所が題材になっています。

 

戦前に菊池寛に紹介され、終生の友人となった川端康成、今東光らと「文藝時代」を創刊し、新感覚派として、文学の神様とか、志賀直哉とともに小説の神様とまで呼ばれましたが、戦後宮本百合子等から、名指しで文壇の戦犯と非難され失意のうちに亡くなりました。個人的にはその文学性において日本の文学史上に輝く作家の一人であることは間違いないと思います。

 

死後柘植の地に記念碑が建てられ、川端康成の選で生前に最も好んでいたとされる「蟻 台上に飢えて 月高し」の句が記され、その川端康成の弔辞は「横光君 僕は日本の山河を魂として、君の後を生きていく」と締めくくられています。

 

ちなみに、芭蕉翁のこの地で詠んだ句は「古里や 臍の緒に泣くとしの暮」であります。

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記紀のなかのお酒のお話

2021-10-04 15:52:21 | 日記

旧暦では八朔を過ぎ、もう半月で中秋の名月でございます。逝く夏を名残りつつ、お月見にはお団子とススキの秋風にゆれる風情に、しばしコロナを忘れたいと、感傷に浸ります。

 

さて、猛暑にはよく冷えたビールが喉に心地よいのですが、秋の夜長にはそろそろぬるめの日本酒が恋しくなってまいります。今回は日本酒の起源にまつわる神様のお話です。

 

記紀の神話では、日本で最初にお酒を造ったとされるのは、コノハナサクヤヒメで、そのお酒の名は「天甜酒:あまのたむざけ」即ち神様に捧げる上等な酒であり、この女神を祀った宮崎県西都市の都萬(つま)神社には「日本清酒発祥の地」との標柱が建っています。

清酒というよりは、名前からすれば甘酒を連想致しますが。この日本で一番の美女神さま、浅間神社の御祭神であります。伊弉諾尊、伊邪那美の間に生まれた山の神である、大山津見の神の娘で此花昨夜美目と書かれ、本名は「阿多」。鹿児島県の薩摩国阿多郡に因む名前と言われます。

なんといっても有名なのは、天照の孫でありこの国に高天原から降臨した、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨した直後にその美しさに一目ぼれしたこと。さらにその子を産むに際し、一夜で孕んだのに疑いをもった瓊瓊杵尊に怒り、産屋に火をつけてその中で産んだという、激情の女神としても有名です。この時に生まれたのが「火遠理命」(ほおりのみこと)すなわちに山幸彦ら3柱の神様で、山幸彦は神武天皇の祖父にあたり、かの姫神は祖母となります。

また播磨風土記によれば、伊和大神(大国主)の妻との記述もございます。

なんせ、美しく、激しい気性で富士山の神様という古事記のヒロイン中のヒロインですね。

全国1300に及ぶ浅間神社はすべて、この姫神を祀り、市津公民館を少し永吉方向に進む左側にもこじんまりと祀られております。

 

さて、記紀の神話にはもうひとつ「八醞酒(やしおるのさけ)」が登場します。

かの素戔嗚尊が高天原を騒がせて、追放され出雲にてヤマタノオロチ退治に用いた、強酒でございます。醞(しお)るとは搾ると同義語で、甘酒を搾り粕を取り除き、それにさらに飯もしくは粥を加えて再発酵させることを何度か繰り返して得た、比較的アルコール度数の高いお酒であろうかと推測されます。

 

これらのお酒が清酒のルーツではないかと思われます。

 

考古学的には、既に縄文時代に山ブドウを発酵させるときの、ガス抜きのための孔を開けた、酒壺土器が長野県藤内遺跡から発見されています。発見時には山ブドウの種も見つかっていたので、ワインを作っていたのは間違いなさそうです。

弥生時代になればコメを原料とした、現日本酒の先祖たる酒を造ったり、入れたりした「はそう」と呼ばれる胴部に孔を開けられ、上部に向かって口が広がった形をした須恵器が、遺跡から出土しております。

 

歴史として国内の文献に残っているのは、713年の大隅国風土記に記述がある「口噛み酒」となります。

煮た米を長い間噛んで(長時間噛んでいると両目の横が痛くなる部分がコメカミという語源になります)、口中で粥状にし、土器に吐きますと唾液の中のアミラーゼにより、甘いブドウ糖に変化し、更に空気中の野生酵母が付くと、アルコールに分解され酒になるということです。

 

邪馬台国でおなじみの、三国志の魏志、倭人伝では喪に服した時、弔問客が飲酒する風習を紹介していますが、いわば通夜の振る舞い酒。残念ながら製造方法もどのような酒かも記されていません。

 

この倭人伝の邪馬台国の女王卑弥呼にもたとえられるのが、奈良県桜井市にある、国内最古の前方後円墳である「箸墓」の被葬者「倭迹迹日百襲姫命:やまとととひももそひめのみこと」であります。

かの女神の夫が大神神社の祭神で、蛇体の「オオモノヌシのカミ」であり、稲作の神であり酒造りの神でもあります。第10代崇神天皇の時代に、三輪神社の酒掌(さかひと)に命じられた活日(いくひ)が、天皇に酒を献じたときのうたとして、

この御酒は わが御酒ならず 大和なす 大物主の醸し神酒 いくひさ いくひさ

が残っております。

 

もう1柱お酒(造り)の神様として有名なのが、京都嵐山に鎮座する松尾大社でございます。祭神は大山咋神(おおやまぐいのかみ)と、中津島姫命であります。

大山咋神は比叡山の日吉神社の祭神であり、先般紹介した大宮神社の摂社の日枝神社と同様であります。中津島姫命は九州にある宗像3女神のうちの1柱で、市杵島姫命のことと言われています。

元々は渡来人で、山城盆地(現京都市)に栄えた秦氏が勧請して社殿を設けたことに由来する神社で、秦氏の氏神とされます。京都四条通の西端に鎮座されます。

この神社の御祭神にも神社にも、本来はお酒の匂いは全く致しませんが、まあ、お神酒はあげられたのでしょうね。本神社の神使は亀と鯉でありその名を冠した本殿背後にある、「亀の井」の水を酒に混ぜると腐敗しないといわれ、酒造家がこの水を持ち帰ったことが、松尾様信仰となったという説が妥当なところでしょうか。

ついでに申し上げれば、伏見の稲荷大社も秦氏の奉斎社でございまして、いずれも正一位でありますが、松尾大社の方が早く位階を授けられています。そういえば伏見も灘と並ぶ清酒の産地ではございました。

 

神話時代、遺跡時代はさておき、実際にはかまどとそれによる火力の強い調理法である蒸米は、半島からもたらされました。同時に酒造りの文化も半島南部辺りから入ってきたと考えるのは、妥当なところでしょうか。

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