さて、お酒のお話です。数年前の出張先の11月末の新潟。といっても、まだまだ雪ではなく雨模様でトレンチコートでは少々寒く。冬季に北陸に行くと、意外に新潟や金沢市内は雪が少ないのに驚きます。
平日の黄昏時、古町の人通りは昔ほどではなくなり、駅近くに若い方々は遊び場所を移したと聞いています。30年来のお気に入りの老舗のシティホテル「イタリア軒」さんから徒歩で数分のこれもお気に入りになった、Bar FORE(灯台)さん。最近のマイブームカクテル、ブルドッグのダークラムバージョン。ダークラムと手絞りのグレープフルーツジュースをステアして戴き、マスターと四方山話。
後からいらした円熟された男女ペアのお客様の前に、何か大がかりなものをセットするマスター。そのうちに独特の香りがバーを満たします。
そう、アブサン。写真はWikipediaから引っ張ってきましたが、まさにこのウォータードリップでグラスに満たしたアブサンの上に角砂糖を乗せたアブサンスプーンを置き、少しずつ水を垂らして白濁を楽しんでらっしゃる。
後程名刺を交換させて戴き、親しくお話をさせて戴きましたが、新潟大学の自然科学系の教授でした。
さて、このアブサン。私も学生時代にどこで聞き齧ったのか、いきがってジントニックに少しだけ垂らしてもらって、その強烈な香りと白濁を楽しんでいましたが、その当時はぺルノー社のまがい物でした。本場スイス、フランス、ベルギーなどでは製造販売が禁止されていました。
そもそも、元々は1792年にスイスの医師ピエール・アーディナーレにより開発された滋養強壮の、いわば日本では養命酒ともいうべきお酒であります。
これが1830年代にフランスの北アフリカアルジェリアに侵略戦争に従軍して、赤痢予防として習慣化した兵士たちが、フランス国内に持帰り流行し、ワインより安いこともあり、アペリチフ(食前酒)の90%シェアを獲得してしまったようです。
これがなぜ禁止となったかといえば、アブサンの名称の元ともなったニガヨモギ(学名:エルグ・アブサント:聖なる草)に含まれるツヨシ成分により、向精神作用の幻覚症状が引き起こされるとされた故です。しかしながら、基本的に70%以上のアルコールをがぶがぶワインの様に飲めば、大体アルコール中毒になるような気もします。
実際には1898年ベルギー領コンゴを皮切りに、1907スイス1915フランスで製造販売が中止となりました。
といっても、スペインや東欧、そして日本でも禁止されてはいなく、細々と造られていたようです。アーネスト・ヘミングウェイの代表作「誰がために鐘は鳴る: For Whom the Bell Tolls」でスペイン内戦に義勇兵として参加する主人公ロバート・ジョーダン。冒頭から薬代わりにアブサンをチビチビやっている場面から始まり、なるほど時代的にはスペイン製のアブサンか~。
多分これに感化されて私の学生時代のアブサンブームもあったのでしょう(笑)
その後、1981年WHOからツヨシの残存許容量が10ppm以下ならという公式なお許し(?)が出て今世紀になって各国で軒並み製造販売が開始されました。
私の行きつけのバーでも、平塚の女性マスター(そう呼んでとのご本人の希望)のやっているお店では常時10種類以上のアブサンを揃えています。
このアブサン、感性やインスピレーションを引き出す霊酒として芸術家と称される人々に愛されたようで、これらをアブサニストと称したそうです。
ゴッホ、ロートレックといった画家、詩人ではあのヴェルレーヌと、ランボーの同性愛カップルも愛好者でした。先の平塚の女性マスターもそうですが、LGBTの方々に人気なのかしらん。
わたくしの行きつけの、宇都宮のバーではチーフとサブの二人のバーテンダーが口をそろえて、以前私の好み(本当に好きだったかは、翌日のあの匂いによる宿酔いはできれば避けたい、今の私です)のジントニックに少量のアブサンについて、ブーイング。実際にそういうお客さんはいるそうですが、あの匂いは普通にグラスを洗っても取れないらしく、レモンを使うなどひと手間も二手間もかかるとのことです。
楽しむのも良いですが、皆様アブサンをバーで注文される場合は、事前に新潟のFOREさんのように、専用のウォータードリップで優雅に楽しめるお店を選ぶのが宜しいかと。
バーテンダーさんの恨みを買ったり、お店中をあの香りでいっぱいにする覚悟はして戴いて、決して思いつきでのオーダーはされないことをお勧めいたします。
もう一つは、飲み過ぎと、二日酔いの時のあの匂いのぶり返しには、くれぐれもお覚悟のほどを。。