goo blog サービス終了のお知らせ 

宮原猛の”歯”から”全身へ”、”全身”から”宇宙”へ!

歯の問題は「病気」ではありません。ただの「信号」です。
歯の治療は「治療」ではありません。ただの「修理」です。

お医者さんTV

「非医学的」は不正解

2014年02月03日 | 歯医者の主張

まるで、長寿こそ善、と言わんばかりの現代医療。

 

そりゃあ、人生長いほうがいろんな出会いや経験があり、

 

質が高まるとも考えられる。

 

でも僕の人生は僕のものであって、でも、僕だけのものでもない。

 

家族・友人・患者さん・・・

 

多くの人と時間や空間を共有しながら、

 

お互いに影響しあって変化し続けるのだから。

 

だから、長い・短いに関係なく、自分の人生を全うしたい。

 

だから、「自分の人生とは?」を掴むのが最重要。

 

それを掴むのに、健康が必要だったら、健康になりたいし、

 

大して重要でなかったら、健康でなくて結構。

 

その前に「僕にとっての健康」は、

 

どっかの医者の判断基準にはあるはずがない。

 

僕の趣味(?)のジョギングは、

 

自分の健康が目的では、全くありません。



「自分の人生とは?」を掴む前に死んでしまったら・・・

 

そんな僕の人生をみて、時間と空間を共有している人たちが

 

「自分の人生」を掴むきっかけになるかもしれないし。




・・・生きていくって、大変で面白いなぁ・・と思う。

 

・・・やっぱ、今のとこ、大変のほうが大きいかな。





ブログランキングに参加しています。

今年もたくさんのポチッと、お願いいたします土下座

 






 





~歯から全身へ、全身から深海へ~

2014年01月31日 | ブログ
自分のブログタイトル、
 
名刺にも入れ込んでいるのですが
 
良く「ふぇ~!」っと驚かれます。
 
なんでか聞いたこともありますが、
 
あまり小気味よいお返事が返ってきたことはありません。
 
 
「歯から全身へ、全身から宇宙へ」
 
 
もしかしたら、
 
「歯医者が全身のことなんて考えてるはずない」
 
という潜在的な意識が皆さんの中にあるのか、
 
「こいつが宇宙のことを語れるのか」
 
という疑いの目なのか?
 
 
・・・実際、宇宙科学的なことはさほど詳しくはありません。
 
もちろん宇宙(空間)に行ったこともないし。
 
 
先ほど、UFOでおなじみの矢追純一さんの文章を見つけました。
 
 
以下、引用させていただきました。
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
宇宙に出たヒトより、
深海に潜ったヒトのほうが少ない。

前にも書いたけれど、
それほど深海はいまだ未知の世界。...

宇宙空間と深海は圧力だけ比べると、
深海の圧力たるや宇宙空間の比じゃない。

上空1万メートルはまだ飛行機運行圏内。
更に上の宇宙空間は0気圧に対し、
深海は1万メートル潜ると、
1センチ四方あたり1tの圧力がかかる。

宇宙も未開拓なら、
地球の約70%を占める海の底も未開拓。

僕ら、ほとんど全ての表面だけ見て、
知ったつもりで生きている。

目で見えている世界はほんの一握り。
僕ら大海を知らずを忘れてはならない。

雲の上はいつも晴れ。あなたは幸せ人!

※世界一高い山も、海に沈めると海底に届かない。
☆山頂付近に三葉虫やアンモナイトが眠るエベレスト。
☆世界一高い山エベレスト。富士山の倍以上8848m。
☆世界一深い海底は日本のすぐ脇。マリアナ海溝深さは10,91
1m

◎僕初の書き下ろし小説あり、動画暴露コメントあり。
メルマガ『Encounter.遭遇』 好評配信中
隔週木曜日は『木スペ』の日。
詳細はコチラhttp://theory.ne.jp/
yaoi_junichi


UFOと宇宙科学博物館 コスモアイル羽咋
名誉館長
http://www.hakui.ne.jp/ufo/

矢追純一公式ホームページ
宇宙塾主宰
http://spacian.net/
index2001.html


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


過去に一度だけスキューバダイビングをしたことがあります。

水中の静寂と非日常空間は

美しく神秘的であり、しかし不安と恐怖も感じました。

けど、なぜ人は海や空に憧れるのでしょう。

深海も宇宙も、想像することしかできませんが

宇宙は今も広がり続けてると言います。

人の可能性と魅力も

「底知れず」というよりは

「広がり続ける」というほうが

なんとなくしっくり・ぴったり感じるのです。


今年もブログタイトルは

当分このままでいこうと思います。


明日から2月ですね。

今年も残り11か月です(^-^)





ブログランキングに参加しています。

今年もたくさんのポチッと、お願いいたします土下座

 




2014

2014年01月06日 | ブログ

新年あけましておめでとうございます。

 

昨年も不定期更新の拙い文章におつきあいくださり

 

ありがとうございました。

 

今年もやはり不定期更新になると思いますが、

 

時々覗いていただけると嬉しく存じます。

 

特に医療関係者の皆様におかれましては

 

「なんちゅうことを書くんだ」とか

 

「気持ちはわかるけど、立場場的にコメントし難いな」とか

 

お感じのことと思います。

 

絡みづらいブログで申し訳ありませんが

 

今年もこんな感じで行かせていただきます。



今年の元は年明け未明に

 

久留米市にある高良山に登って(というか走って)きました。

 

高良大社という神社があるんです。

 

少年時代、剣道を習っていたころは

 

毎年、日の出前に初詣に登っていたのですが

 

今年は、かなり久しぶりに行ってきました。

 

あいにく日の出は拝めませんでしたが

 

30年ぶりのすがすがしい年明けを迎えました。

 




年末と年明けと、「自分」としては何が変わったわけでもありませんが、

 

いろんなものから影響を受け、変化し続ける「人」としては

 

また新たなテーマで臨むわけです。

 

皆さんにとって「歯」とは何ですか?

 

僕にとっての「歯」とはきっと違う意味と価値をお持ちでしょう。

 

「歯の治療」という名目で

 

是非それをお話できれば、と思います。

 

今年もよろしくお願いいたしますsei

 






ブログランキングに参加しています。

今年もたくさんのポチッと、お願いいたします土下座

 








ゆく年くる年

2013年12月31日 | ブログ

本日は大みそか。

 

今年もあと数時間です。

今年1年ブログを読んでいただいた皆様、

 

ありがとうございました。

 

来年も皆様にとって良い年になりますように。



ゆく年、くる年

 

ゆく自分、くる自分

 

変わらない自分

 

変りゆく自分・・・。


重力のある世界

2013年12月24日 | 人体の不思議

先日観てまいりました。

 

映画「ゼロ・グラビティ」

 

 

映像が気に入った、というのもありますが、

 

宇宙がテーマになると、いろんなものが

 

ここまでシンプルになるか!

 

という印象でした。

 

いや、テーマは宇宙じゃないな・・・。

 

観る人がどこに注目するか、ということに

 

なるでしょうかね。



公開中の映画なんで

 

もちろん詳しくは書きません。

 

自分研究ワークショップや勉強会に参加中の

 

方々は、ラストのシーンに注目してほしいですね。

 

こことリンクするものがありますよ→支持骨

 

「映画」としては賛否あると思いますが

 

僕はかなり泣いてしまいました。

 

因みに僕は、恋愛モノや闘病ものでは泣けないタイプです。

 

3Dは目が回ってイヤ、という方もおられると思いますが

 

できれば3Dでご覧になることをお勧めします。

 

宇宙に興味のない方も、

 

是非チャンスがあればご覧になってください。






ブログランキングに参加しています。

今年もたくさんのポチッと、ありがとうございました土下座

 







歯も走る・・・しわす

2013年12月03日 | ブログ

12月になりました。

 

師走とはよく言ったもんで

 

子供の頃は「お坊さんも忙しく走り回る」

 

とか聞いてましたが

 

物事が終わる、とか仕事が終わる、とかいう

 

意味もある、というのは大人になってから知るわけですが、

 

いずれにせよ、しめくくり感や追い込み感、せきたてられ感を

 

感じる時期になってきました。

 

今年あった良いことは来年に持ちこし、

 

嫌なことはすっかり忘れて心機一転、という

 

なんとも都合のいいふっ切り方ができる季節でもあります。

 


 宮原猛の 「歯から全身を、全身から宇宙を見つめる」ブログ

 

師走と歯がなんの関係が?と思われるかもしれませんが

 

前から書いてますように、歯はセンサーですから

 

無理な体調管理やスケジュールを、歯がモニターして

 

何らかの症状を出すことは良くあります。



急に歯が浮いた感じ

 

急に知覚過敏症状がでてきた

 

あごやかみ合わせがしっくりこない

 

口内炎が急にできた

 

舌やほっぺたを咬むようになった

 

食べ物・飲み物がなんだかむせるようになってきた

 

歯槽膿漏でもないのに歯が揺れてるような気がする

 

べロがヒリヒリ・・・変な味がする感じ

 

何が起きたって不思議ではありません。



目の前の年末のドタバタに邪魔されて

 

自分にとって本当にやらなければいけないことが

 

後手後手に回っている、そんな時間のない時に限って

 

歯の詰め物が取れたり、痛みが出たり。

 

・・・んんん~。・・・センサーですよねぇショック!

 

年末、年度末、新学期・・・

 

1年の区切り方はだいたい決まってますよね。

 

学校も会社もそれに合わせて動いていて、

 

我々も、自分のペースとは別に動かされてる節もあるような・・・。

 

これって、会計年度、事務作業年度、学校年度って言うんですよね。

 

つまり、人本来の周期、というよりも

 

社会的・経済的都合で決められた周期ってことですよね。

 

だって、農家の方は主たる作物の周期によって

 

農作物年度って色々ですもんね。

 

その他、絶対数は少ないかもしれないけど

 

様々な事情によって、それぞれの周期や区切りはあるはずです。

 

だから、現実的にやらなきゃいけない仕事はあるにしても、

 

せめて気持ちの上では自分なりの年末というか、区切りというか、

 

そんなものを崩さずに持っていたいですね。

 

だから僕はこの時期こんな言葉が好きなんですけど。






歯の処置は思ったより回数がかかることもあります。

 

あまり年末ぎりぎりになると

 

不自由な状態で年を跨ぐことになるかもしれませんので。

 

・・・念のためににひひ




ブログランキングに参加しています。

今年もたくさんのポチッと、ありがとうございました土下座

 






11月ももう終わり・・・

2013年11月29日 | 人生

今年もあと1カ月。

 

ボンヤリ学校に行って

 

ボンヤリ勉強して

 

食べたいものを食べて

 

なんとなく仕事して

 

なんとなく給料をもらって

 

ボンヤリ家族と会話して

 

時期が来て結婚して

 

なんとなく子供をつくり

 

いつの間にか家族が増え

 

月に1度病院に検査に行き

 

真剣に考えてこなかった「死」に直面し恐怖に駆られ

 

自分の人生を振り返ることも出来ず息絶える・・・

 

そんな人生だけは死んでもいやだ・・・と

 

考えてみたりもする。

 

人生は何度でも仕切り直しは出来るけど

 

あの時、あの瞬間には戻ることは出来ない。

 

虫歯・歯の治療と似てるかもな・・・。



奥さんや子供とはそんな話、いっつもしてるけど

 

他の家族ってどうなんだろ?

 

数年前、子供が

 

「僕が20歳になったら、とうさんは55歳

 

40歳になったらとうさんは75歳やね」

 

というので、

 

「わからんよ、とうさん、もう死んどるかもしれんし」

 

と当然の感覚で答えたら

 

「え!?とうさん死ぬと?」と

 

涙をうかべてやがった。

 

人間とは、動物とは、生きるとはそういうことだ。

 

健康に気をつけても明日死ぬかもしれない、と

 

そんな話を小さい頃からしておくべきだと思う。

 

だから僕は、そんな子供や奥さんと真剣に向き合う毎日を

 

送っていきたいと思う。

 

子供に同じように大切な人が出来た時、

 

悔いのないように、同じように真剣に向き合ってほしいから。




ブログランキングに参加しています。

今年もたくさんのポチッと、ありがとうございました土下座

 




軸がぶれて何が悪い!

2013年11月06日 | 窮屈な世の中

前回のブログで書いたことが

 

自分でも気になったもので、追記です。

 

「軸」と言う言葉。

 

回転運動の中心を支える

 

2つの点と点を結んで出来る直線、と僕は考えます。

 

調べてみても、同じような意味が載っていました。

 

しかし、これって回転運動が前提にあるってことでしょうかね。

 

回転運動ありきの出来事ってあるんでしょうかね?

 

あ、いえ、単純に物理に詳しくないので疑問なんですが・・・。

 

直線の軸があるからこそ、その周りを一定の距離を保って

 

回転していられるものがあるのではないかと思うんですけど。

 

良く使われる「自分の軸」と言う言葉

 

巷ではどういう意味で使ってるのだろう?

 

軸がぶれる、ぶれないとうはどういうことだろう?

 

軸(直線)を作る2点のいずれかが定まっていない、ということ?



自動車の車輪の軸

 

独楽(コマ)の回転軸

 

肉体的な身体の軸(静止してる時・運動時)

 

生き方・考え方の軸

 

誰か(相手)と自分との軸

 

複数(グループ)と自分との軸

 

愛車など愛着があるものとの軸

自然や環境と自分の軸

 

・・・それぞれの「軸」を指した時の

 

2点(A点・B点)って一体何でしょう。

 

そのそれぞれの「点」が定まらないというのは

 

一体どういうことでしょう。

 

その軸を中心に物事を巧く回したい・安定して

 

回転させたいと考えた時、

 

点は近くにあっても遠くにあってもいいと思うのです

 

低い所にあろうが高いところにあろうが

 

背後にあろうが斜め左にあろうが

 

定まった2点がありさえすれば、

 

そこに軸が出来てその周りを安定して回転する何かは生まれます

 

では、絶対に定まってなければならないか、というと

 

世の中そんな点ばかり存在してるはずはありません。

 

安定してない物事や予期せぬトラブルに発展した時、

 

軸がぶれてることに気付けばいいと思うのです。

 

それに気付いたら、どちらかの点が定まってないことに

 

気付けばいいと思うのです。

 

そして、そこで初めて何か修正点を見つければいいと思うのです。

 

では、A点が定まっていてB点が定まってないことに気付いた時

 

B点を固定しきゃいけないのか?

 

普通に考えたらそれが第一選択ですけど

 

・・・結構大変ですよね・・・。

 

もしかしたら、定まってないのはA点で、B点は定まってるのかもしれない。

 

天動説と地動説ですね(^_^;)

 

もうひとつの選択は、動くB点に合わせてA点も同じように動かす?

 

傍から見たらA,Bの2点ともが同じように動いてる、という状態。

 

けど、AとBの間の軸は安定して、上手く物事が回っている。

 

さらに、傍から見ているC点さえも同じ動きをしてしまえば

 

AもBも安定して見えますよね。

それを見ているDさえも同じ動きをすれば・・・・・

 

・・・動いてるものを止めるか、

 

その動きに同調するか・・・。

 

Z点は一体どういう見方をするんでしょうね。

 

聞いてみたいですね。

 

ドライブに例えれば、要は

 

目的地まで車輪が上手く回ればいいんでしょ。

 

車軸がずれるとタイヤが破損したり、あちこちが故障し出しますからね。

 

駐車場を出た瞬間にタイヤが外れたら

 

タイヤサイズが違ってたことに気付いてタイヤを変えればいいです。

 

大通りに出る前に外れたら、空気圧かパンクをチェックすればいいです。

 

それでも最悪、悪路が続いてるんだったら

 

違う道を選ぶとか、業者を読呼んで道路工事してもらうとか(苦笑)。

 

どこまでアイディアを絞りだせるか。

 

どれだけ気長に構えられるか。

 

目的は、タイヤが外れないように・・・ではなく、

 

その軸とタイヤを持った車で、誰と、どんな景色を見ながら、

 

どんな会話をしながら、目的地に着いて何を楽しむか、なんです。

 

そして、そんなドライブが一番楽しくないですか?

 

と友達に紹介することなんです。

 

少なくとも、僕はそういう目的でいます。

 

そのためには、軸はぶれたって元に戻せばいいですよね・・?。





ブログランキングに参加しています。

いつもポチっとありがとうございます!。

 











あらためて病気について考えてみる

2013年11月01日 | 病気と社会

急に冷え込んできましたね・・・。

 

完全「冬」に入ってしまうと大丈夫なんですが

 

この何とも言えない寒くなり始めの

 

寂しげな季節は、あんまり好きではありません。

 

30代くらいまでは、「金木犀」の甘い香りが嫌な頃がありました。

 

思いだすことがあって、胸が息苦しくなる感じだったので。

 

最近は大丈夫です。どちらかと言うと好きな香りになりました。



前からたびたび「病気」の定義のあいまいさについて

 

持論を書かせていただいてきました。

 

最近は「唾液で簡単!うつ病チェック!」とかあるんですね。

 

痛くない、鼻から注入するワクチンなんかもでてきたり。

 

至れり尽くせりですね。

 

何のため、誰の為に研究・開発・商品化してるのかは??ですけど。

 

うつ病、躁病と言うからややこしくなる。

 

ウィキの信ぴょう性は??であるが、

 

「病気」をちょっと調べてみればかなり多様な

 

観点からの分類があることがわかる。

 

肉体的・精神的に表れた変調をすべて病気と捉え、

 

医学で治癒させるべき対象と決めているふしはないか?

 

本来は本人が社会生活を営むのに不都合だと感じたら

 

対処すればいいのであって、これじゃぁ

 

「このままだと社会生活を営むのに不都合になるかもしれませんよ!」と

 

おせっかいしているだけではないか?

 

生きて行く中で当然に落ち込んだり、ふさぎこんだり、

 

生きる意味を見失って自暴自棄になったりする。それは必要なこと。

 

・・・それを皆で考え受け入れていくのを目指す社会ではだめなのか?

 

それを

 

「この社会は人に迷惑かけちゃいけないんです。

 

そんな落ち込みを受け入れるほど皆寛容な社会では無いんです。

 

だから早く見つけて治した方がいいですよ」

 

と誘われてるように感じる。

 

種をまき、追いつめて籠にいれる。

 

マッチポンプもいいところである。

僕は虫歯・歯周病も同じだと思うんだけれど。

 

医療は「自分達の仕業ではない」と言うだろう。

そう、医療が「仕掛けた」わけではない。

 

教育や食・政治・経済・すべてが一体となってのマッチポンプだと思う。

とはいえ、こんな愚痴を言ったところで

 

「ごめんなさい。じゃあ、あらためます」とすぐに変わる社会でもない。

だったら、一人一人が惑わされないよう自覚してブレない軸を決めるしかないでしょ。

 

ブレない軸は作るんじゃなく、

 

きっと誰だってもともと持ってますよ。





ブログランキングに参加しています。

いつもポチっとありがとうございます!。

 




のぼりつめたその先に

2013年10月30日 | 自然と調和

いろんな方の記事を読んでいてあらためて気付いたことが。

 

・・・人間って、生態系ピラミッドの頂点なんですよね。

 

他の生物や動物は捕食したりされたりと

 

実にうまくバランス取ってるんですよね。

 

人間って、ピラミッドの頂点に君臨してるけど

 

ピラミッドそのものを維持するのにどんな役目を果たしているんでしょう。

 

せめて、自然を破壊せず、守り、立て直していく・・・

 

そんなことくらいしか出来ないのでしょうか。



そこで、生態系ピラミッドって、一体誰が考え出したんだろう?

 

って調べてみたら、イギリスのある生態学者さんにヒットしました。

 

脊椎動物の動態調査や大戦後の自然環境保護に尽力した、と。

 

つまり生態系ピラミッドは、脊椎動物の頂点である人間目線で作られたのが

 

大前提なのだろう。



個体としては、人間より大きくな動物、小柄ながら獰猛な動物も存在するのに、

 

ウィルスなどの微生物の前に太刀打ちができないような、

 

生物としては弱い存在の人間がなぜ?

 

知恵をしぼり、道具を作りだし、使いこなす頭脳を持っていたからでしょうか。

 

罠を仕掛けたり、家畜として飼育することをおぼえたり、

 

農耕、収穫という生産に目を向けだしたからでしょうか。

 

いやいや、そのまえに、なぜ他の動物はそのようなことをする

 

進化過程を取ってこなかったのでしょうか。

 

なぜ人間だけが・・・。

 

ここからは僕の勝手な想像です。

 

道具を使いこなしたり、生きて行くための食を作りだし、

 

自然界にあるものを加工利用してでも我が命を存続させようということ

 

これは、管理と支配と言ってもいいかもしれない。

 

つまり、人間にだけ与えられた管理と支配欲ではないか、と。

 

とすれば、侵略行為の一つである戦争を繰り返すのもその表れか?

 

或いは、ほかのどの動物よりも恐怖心が強く、生物的に弱い存在であるがゆえに

 

強烈に知恵を絞って身に付けたある種「苦肉の策」なのかも。

 

そうまでしないと自然界で淘汰されてしまいかねないなんて、

 

ピラミッドの頂点どころか、もっとも底辺に位置するのかもしれない。




季節外れの台風襲来がつづき、

 

大変な被害に見舞われた方が大勢いらっしゃいますね。

 

野菜や魚が高騰、というニュースも伝わってきます。

 

生産者の方のダメージとご苦労は計り知れないことと思います。

 

これも僕の想像でしかないのですが

 

昔から洪水や台風被害は甚大だったと思うんです。

 

高かろうが安かろうが、獲れないものはものは仕方がない。

 

きっと昔は、手に入るものを食べていたのではないかと思うんです。

 

その年、その時期に手に入るもの。

 

つまり、旬のもの。無理なく手が届くもの。

 

ややこしい人為的細工をせずとも食べれる物。

 

栄養のバランスだ、彩りだ、にこだわらず。

 

生活の為の食というのは、そういうものが自然なのかな・・・と。

 

「あれが食べたい」というのは言わば贅沢品・趣向品的な食べ物であって、

 

生きるためのそれとは、本来違うような気がする。

 

「今日はあれが食べたい」

 

「これは昨日も食べたから今日は違うもの」

 

今ではこんな会話日常的だし、実際にお金を払えば手に入る。

 

もしかしたら、我々は生きるための食を忘れて、

 

日常的に趣向を楽しんでるだけなんじゃないか・・・と。

 

つまり、日常的に快楽に浸ってる状態で

 

身体の調子を壊してるとすれば、それありきで成り立ってる医療って一体・・?

 

だって、人間の肉体構造や命のシステムは

 

数百・数千年と変わってるとは思えませんから。

 

 

いつだったか、台風は気温や気圧や海水温度を撹拌してくれる、

 

地球規模でみて無くてはならないもの、という記事を読んだ。

 

神(?)といわれる存在が地球を創造し、人間を創造したとすれば、

 

旬でもないものに背伸びをし手を伸ばし、

 

食べたいものを手に入れるため意図的に命を作りだし、

 

そのために不自然な有害物を混ぜ込み、

 

同じ仲間である人間を騙し欺き・・・。

 

神(?)が人間に備えたかもしれない管理・支配欲。

 

その欲をどこに使えばいいか、良く考えてみたい。

 

 

・・・とはいいつつ、今日はなんとなく

 

パスタが食べたいと思ったりする矛盾した僕です(@_@)




ブログランキングに参加しています。

いつもポチっとありがとうございます!。