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九寨溝 ツアー

2018-03-07 09:43:05 | 海外旅行
九寨溝
九寨溝は、四川省の北部、南坪県の岷山山脈の奥深いところに位置し、総面積は約6万ヘクタールにわたります。1992年世界自然遺産に登録されました。 風景区は、樹正溝、則査窪溝という3つのY字型の峡谷により構成されおり、全ての長さを合わせると60kmほどになります。 手つかずの原生林の中に大小108の湖、泉、滝などが分布しており、その自然が織り成すエメラルドグリーンの世界はこれまでの中国に対するイメージとは全く異なり、カナダやスイスの景色を思い起こ...
地理的に、北は甘粛省、青海省に接しており、チベット族が多く住んでいるエリアですが、他にチャン族、漢族、回族なども居住しています。九寨溝に行ってその魅力に圧倒されない人は誰もいないでしょう。もしこの世界に“仙境”というものがあるならば、それは間違いなく九寨溝だと言う人もいるくらいです。もともと、この地にはチベット族の村が9つあったことから、九寨溝という名がつけられました。「黄山より帰りて山を見ず、九寨溝より帰りて水を見ず」という中国のことわざが物語るように、九寨溝は湖、泉、滝などの水が織り成す景色で有名です。

黄龍(こうりゅう)は、成都の北約400kmにあり、1992年に九寨溝とともに世界文化遺産に登録された景勝地です。 石灰岩が溶けてできた棚田に黄色い龍が渓谷に身を伏せて見える様は非常に神秘的な景観です。
黄龍 九寨溝黄龍の見所は、なんといっても標高5588mの雪宝頂の北麓にある渓流沿いに繰り広げられている神秘的な風景が、約7.5kmにわたって続きます。上から眺めると、まるで黄色い龍が渓谷に身を伏せているように見えることから、黄龍(こうりゅう)と名づけられたといいます。日本でも秋吉台のような鍾乳洞内では見られる光景ですが、標高3000mを越す山中に突如出現するこのような自然の造形美には、ただただ驚嘆するしかありません。
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成都 現地ツアー

2018-03-07 09:24:24 | 海外旅行
成都 青羊宫
成都市街地の西部に位置し、一環路沿いにあり、成都市で最も大きな道教寺院です。南に百花潭公園、武侯祠があり、西に杜甫草堂、東に二仙庵があります。最初は「青羊肆」と呼ばれていましたが、三国時代から「青羊観」と呼称が変わり、唐代になると「玄中観」と呼ばれ、唐の僖宗時代に「観」を「宮」にし、五代からまた「青羊観」と変わり、「青羊宮」となったのは宋代からです。現在青羊宮は中国の重要文化財に指定され、国内外から大勢の観光客が訪れています。

青羊宮の名の歴史的由来は、老子(春秋時代の哲学家、思想家、道教創案の中心人物)が青い羊に乗ってここで教えを説いたことからきています。唐代に建立されましたが、明代に焼失し、現在のものは清代に建てられたものです。主要建築物は南北一線上に並んでいる霊祖殿、混元殿、八卦亭、三清殿(無極殿)、玉皇閣(闘姥閣)、降生台、説法台、唐王殿(紫金台)などがあります。中でも三清殿と八卦亭によく特徴が表れています。

三清殿(無極殿)の面積は912㎡、石の円柱28本、木の円柱8本を使用し、殿内には「三清(道教の神様)」の聖像が祭られています。玉清元始天尊(真ん中)、上清霊宝天尊(左)、太清道徳天尊(右)です。殿前には二つの羊の銅像があります。1本角の羊は、清朝雍正時代に大学士の張鵬羽によって北京から運ばれましたが、全長90cm、高さ54cmで、十二支の動物の特徴を持ち、奇特な造形をしています。それぞれの身体部位が鼠の耳、牛の鼻、虎の爪、兎の背、龍の角、蛇の尾、馬の口、羊のひげ、猿の首、鶏の眼、犬の腹、猪の尻を持ち合わせています。残りの双角の羊は1829年(清の道光9年)に雲南の工匠陳文炳と顧体仁によって鋳造された物です。無病息災の願がかなう羊と言い伝えられてきた為、今でも参拝者が絶えません。
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成都 ツアー 現地

2018-03-07 09:15:40 | 海外旅行
成都 杜甫草堂
杜甫草堂は成都の西郊にあります。ここは一代の詩聖と言われた杜甫を記念するために杜甫草堂を建てました。唐代の大詩人杜甫は安史の乱を避けるために,759年の冬に家族を連れて成都に移り,親友の助けの上で浣花溪の畔に藁葺きの家を建てて4年ほど住んでいました。杜甫はここを[成都草堂]と名付けました。
最初の草堂はこんなに広くなかったので,規模も小さかったのです。当時,杜甫が建てた藁葺きの家は丈夫なものではなかったので,761年の秋に大風に吹き飛ばされてしまいました。その時,杜甫が有名な[秋の風に破れらた藁葺きの歌]の詩を作詩しました。その後,何回も再建され,いまの規模になったのは1500年と1811年の拡張工事を経てからのことです。当時のぼろい藁葺きの家は今は当然なくなり,替りに20ヘクタールもある記念の建物と庭園の機能を兼ね備えたを観光地になりました。
成都 武侯祠
武候祠は著名な三国時代の名所旧跡をとして成都市の市内にあります。1961年、ここは中国国務員に全国重点文化財として指定されました。三国時代には魏と呉と蜀の三国が鼎立していてこの当たりは蜀と呼ばれていました。曹操と曹丕の親子は魏の国を造り、黄河流域の大部分の土地を支配して都を洛陽に置きました。孫権は呉の国を造り、長江の中流と下流地域を占め、南京に都を置きました。四川と云南と貴州などを占領した劉備は蜀の国を建て成都は当時の都でした。日本版の[三国志演義]...
今の武候祠は諸葛亮と劉備を祭ったところです。諸葛亮は生前に武郷候に任命され、死後は忠武候という贈名が与えられました。昔の武候祠は諸葛亮の慰霊のところだけです。この祠は6世紀の始めに劉備を祭った[昭烈廟]と並んで建てられたのです。昭烈とは劉備の死後に与えられた贈名です。14世紀の末になって武候祠は昭烈廟に合併されました。ですから,武候祠の正式の名前は[漢昭烈廟]で、ここは蜀国の君臣紀念館というべきです。ところが,人々は君主の劉備を上回る諸葛亮の才能と人徳をしのんでこれに因んで武候祠と呼ばれるようになりました。
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