goo blog サービス終了のお知らせ 

九寨溝ツアー|九寨溝現地ツアー|成都現地ツアー|成都パンダツアー|成都パンダボランデイア|成都現地旅行会社

雅安碧峰峡基地ツアー九寨溝ツアーと四姑娘山と成都観光成都現地旅行会社http://www.pandatabi.com

成都観光

2018-02-11 09:21:00 | 旅行
丹巴県は四川省西部甘孜チベット族自治州の西側に位置し、甘孜(ガンズ)チベット族自治州に属し、四川省都の成都市からは348キロ離れています。丹巴は四川省の西部旅行環状線の交差地点にあり、地理位置は非常に重要です。中国専門誌『中国国家地理』」の中で、「中国十大美しい村」のトップに選ばれました。丹巴チベット族の村は、「地球の花」とも呼ばれています。丹巴県は観光資源の豊かな土地で、貴重な自然景観が広がっています。五つの河が流れ、五つの山に囲まれて高い峡谷が続くという変化に富んだ自然環境で、氷河や雪下に、美しい自然と調和した様々なスタイルのチベット族の村が点在しています。河と山は、上空から見おろすと、丹巴を中心に360度で放射状に広がりまるで開花しているようです。ここには人間と自然がうまく融合し、甲居山寨や風景画のような牛溝(牛毛)、そして神秘的な墨爾多神山と党嶺山があります。遠くから見れと、谷間ごとに特徴のある石づくりの立派な建物が見られ、「千ちょう(石辺に周)(中国語で千のトーチカの意)の国」と呼ばれる丹巴には多くのトーチカでできた独特な風景の他に、野の花が咲き乱れる川や谷もあります。現地の住民は城、吊橋、ダムなどの建築が得意で、それらの家は大小様々な石から作られており、独特な民族雰囲気で満ち溢れています。

甲居寨
「甲居寨」とは、「関西」のような地域の総称で、チベット人民居が丹巴県において最も特色のある地域です。太陽に向いて、緩やかな傾斜に建設された数十軒から百軒の家屋から成っています。
朝の甲居寨の景色は特に春が美しいです。生い茂る水草、清くて底まで見える泉、折重なる山々、空中を舞う小鳥達の群れと共に、悠々とした田園風景が目の前に展開されています。 居寨の建築はすべて石と樹木でつくられています。人口の多少によって、階のトーチカ式住宅を建てます。一階は家畜を飼い、上から順に、キッチン、貯蔵室、寝室、経堂と角楼です。二階と三階には天井とベランダがあります。建築の壁はほぼ白色で、角楼の色彩は上から、白、紅、黒、白、黄色、で彩られ、その順序は変えられません。室内外に太陽、月、浮き雲、鹿などの宗教的な絵が飾られています。

ちょう(石ヘンに周)・楼 (トーチカ)
梭坂ちょう楼の数は多く、さまざまな形のちょう楼で有名です。全84棟もあり、ちょう楼の博物館、又は、中国語の意味で「千ちょうの郷」ともいえます。四角形のちょう楼だけではなく、五角形、八角形、十二角形、十三角形もあります。それらのちょう楼は川の岸に沿って建てられている為、一続きに連なり、壮観的なちょう楼群は、数百年経っても巍然と聳えたっています。ちょう楼の下に立つと、一瞬ぼんやりし、まるで歴史のトンネルにいるようです。丹巴のちょう楼は各自名前と性別があります。性別は梁の位置で区別します。女性型のちょう楼の梁は外にあり、時間が経つと黒い痕が現れます。

美人谷
丹巴の北30kmの巴底の南数キロから西側に入った谷です。チベット美人の産地として「美人谷」としてよく知られています。チベット村も峡谷に点在し、非常に綺麗に見えます。伝統的な祭日や盛大な祝日の日は丹巴美人が見れる時期です。丹巴各地からの美女が「美人谷」に集まり、歌ったり、踊ったりしますが、そんな彼女たちの姿は、自然の景観よりも美しいともいわれています。とはいうものの、丹巴チベット美人の「美しさの基準」はここに来なければ実感出来ません。
史書には、西夏(1038年~1227年)王朝が滅んだ後、皇室の妃たちが遥か遠くの寧夏からこの地に逃れ、この地に移り住んだという記載があります。
http://www.sctabi.com

四川省観光名所

2018-02-11 09:00:27 | 旅行
濾沽湖とはモソ語で山奥にある湖の意味です。濾沽湖は寧ろう県北部の永寧郷と四川省塩源県左側の山中に位置しており、湖面は明珠のように青いさざ波が立っています。「高原の明珠」又は「東方第一の奇景」の美称があります。純朴で秀麗な風情があり、濃厚な神秘的東洋ムードが漂っています。
湖面の面積は約50キロ、平均水深45メートル、透明度は11メートル、標高2690メートル、最深部が93.5メートルで、中国第二の深い湖と誇られています。三つの半島と五つの島があり、湖は原始林に囲まれています。
濾沽湖が有名になったのは、そこに住む原住民(モソ族)の独特な婚姻習慣と関係あります。モソ族はナシ族に属し、濾沽湖周辺に住み、総人口は約一万人です。モソ族は完全な母系社会を保持しており、一家の主は年長の女性で、財産はすべて母から娘へと受け継がれます。結婚は妻問い婚で、男性が結婚しても女性と一緒に生活しません。昼間は実家に住み、夜に妻の家に行き、翌朝、実家に戻るという結婚生活です。濾沽湖が有名になったもう一つの原因は、言うまでもなくその美しい自然景観です。澄んだ湖面に山や木々が映る景色は、美しく神秘的な印象を与えます。雲南省からも行けますが、四川側から行くとより田舎の風景を楽しむことができます。毎年、旧暦の7月25日には、「獅子山節」というモソ人の祭りが、濾沽湖の北にある獅子山(女神ゲムが住む山と言われている)の山麓で行われます。この日は大勢のモソ人が集まり、チベット僧が祈りを捧げる非常に盛大なお祭りです。 なぜ、濾沽湖周辺のモソ人だけが古い社会形態を保持しているのかは今も謎ですが、この地域がまわりから隔絶されて、アクセスの非常に不便なところにあることも原因の一つかもしれません。
http://www.sctabi.com

成都九寨溝ツアー

2018-02-09 08:21:12 | 旅行

神仙池
2003年9月にオープンした九寨溝神仙池風景区は、九寨溝より約75km離れています。九寨溝と黄龍の景観を併せ持つと言われますが、主に高山湖とカルシウム化した池から成っています。スケールは九寨溝や黄龍に比べるとやや小さいですが(九寨溝の5分の1、黄龍の約5分の2)、高山森林は黄龍より多いです。神仙池の入り口付近の標高は2500メートルで、頂上部は2800m、神仙池へいく途中の3900mの峠を通過します。風景区全体としては1200余りの湖水と大規模な竹林(数は多いですが、主な見所は4~5箇所です。)から成ります。 金銀灘、瑤池、仙女池、神蛙池、青龍海といった湖沼郡は、まるで輝やいている星のようです。 長さ3000メートル、広さ300メートルの高山谷にそれぞれ点在しています。絡まったツタや大小さまざまな松かさなど、原始的で美しい風景を展開しており、観光客が少ないため静謐な自然の 風景を楽しめます。
6月は主にアツモリソウ、ミャオソウなどは特に目立ちます。
7月はタリエンセ (百合)、リンドウ、キンバイソウ、トラの尾、シオガマ、風露草、蛇イチゴ、アネモネ、アザミ、メダカラコー、ケシ科キケマン属
神仙池風景区内に入り、海抜2500m~2800mの間にある遊歩道に沿ってハイキングし、往復で1週する。往復で所要約二時間半。途中は湖が点在します。
http://www.sctabi.com

成都現地旅行社

2018-02-07 15:26:53 | 旅行
金沙遺跡博物館
金沙遺跡は、2001年2月8日、成都市西郊の住宅開発に伴う下水道工事中に発見されました。
21世紀最初の中国における考古学的大発見でした。その後の発掘調査により、基本確認部分でも5平方キロに及ぶ大型遺跡です。ここからは金器200余点・青銅器1200余点・玉器2000余点・石器1000余点・漆木器10余点の5000点あまりと、陶器数万点・象牙1トン・動物骨片数千点が発掘されました。調査により、これはおよそ紀元前1200~500年(殷後期~春秋)のもので、2006年に中国重要文化財に指定されました。三星堆遺跡と並び、四川省における古蜀文化を体現する遺跡です。
2005年4月、金沙遺跡と出土文物の保護、研究、展示をするテーマとする金沙遺跡博物館が建設されました。博物館の敷地面積は30万㎡・延総建築面積は3.5万㎡で、遺迹館・陳列館・文物保護中心の主要な三つの建物からなっています。 出土品には、わずか直径20cmの太陽神鳥金箔に代表される金器や四節玉に代表される玉器に逸品が展示され、青銅人頭像に特徴がある三星堆遺跡とはまた異にした特徴を持っています。現在、三星堆博物館にも匹敵する、成都市の新観光名所になりました。
三星堆博物館
中国内陸部長江上流域の四川省広漢市にある古代の遺跡です。1931年に発見されましたが、数十年に渡る学者達の努力により、遺跡の面積は12平方キロメートルで、古城の面積は3平方メートルと断定されています。1986年には大量の金器、青銅器、玉器、陶器、象牙などが発掘され、世界的な話題になりました。これらの出土品を公開するために、1997年10月より約5年の歳月をかけ、巻貝のような博物館が20万平方メートルもの広大な敷地の中に建てられ、出土品の一部は海外にも巡回展示されています。
展示場面積は4000平方メートルもあり、千点以上の」展示物があります。特に注目されるのは、目が飛び出したような独特の造形の仮面「青銅縦目面具」や高さ3.96mもある「青銅神樹」、2.62mの「青銅立人像」などです。これらは黄河文明とは明らかに異なっており、殷末に長江上流域で発達した文明の遺産とも推定されています。
1986年7月、レンガ工場の土取りによって、一号坑が発見されました。これは地面に約4.5×3.4mの長方形に坑を掘ったもので、深さは約1.5m、壁と底はほぼ垂直に整っています。中には、人頭像や大型の青銅製品や大型の玉器や、黄金の杖が入っていました。
二号坑は一号坑の東南約30米にあります。1986年8~9月発掘されました。坑の口は長さ5.3米、幅2.2~2.3米、坑の底は長さ5米、幅2から2.1米で、坑の深さは1.4~1.68米です。坑の中はほぼ3層に分けられています。最上層には象牙が坑全体を覆うように敷き詰められ、その下に大型の青銅製品“立人像”“人頭像”などが置かれ、最下層には小型の青銅製品や玉石器などが大量の草木の灰とともに投げ込まれていました。
http://www.sctabi.com

成都 現地 発 ツアー

2018-02-04 08:13:49 | 旅行
楽山大仏
世界遺産 90年かけて造られた巨大な大仏
高さ71mを誇る世界遺産楽山大仏は、唐代の713年、海通という僧が水運の安全を願い、90年の歳月をかけて完成した巨大な磨崖仏(崖を削って造られた仏像)です。完成当初の楽山大仏は全身を金色と彩色装飾で彩られ、十三重の木造の楼閣におおわれていたと伝えられています。
楽山大仏の大きさ
「仏は一つの山、山は一体の仏」と言われ、まさに山と仏像が一体になっている仏像です。
楽山大仏は世界最大の磨崖仏と言われ、アフガニスタンのバーミヤン大仏より18メートル高く、日本人なら多くの人が修学旅行で訪れる奈良東大寺の大仏の全長が約15mというと、その大きさが想像できます。又、足の甲部分には100人ほどの人が同時に立つことが出来ます。
仏像の髪の毛は髻の形だけのように見られますが、実は髻の形は水の流れがばらばら流れないように水路になっています。
そして、耳の後ろに0.5m、高さ1mの排水溝が設けられ、頭からの水を受けて川にながれていきます。
仏像の肩、胸の後ろにもそれぞれ二本の排水道があり、仏像の表面は空気がよく通るよう、石灰が塗装されています。
凌雲寺
建立時期:唐代
設   計:弥勒殿、大雄宝殿、海師殿から成り立つ
概   要:海師殿には海通和尚と大仏造像に携わった他の二名が祭られています。
歴   史:海通和尚は大仏を作る資金を集める為全国を托鉢しました。地方の役人がその資金を奪う為、「眼を片方譲らなければやめさせる」と脅すと、海通は無言のまま眼を片方をくりぬいて差し出し言われています. 713年 仏の力を借りて、大仏建設開始するも頭から肩までの工事が完成した後、海通和尚はご遷化されました。その後、章仇兼瞻と偉皋が遺志を引継ぎ、90年をかけやっと完成。人々は海通和尚らの故事に感動し、さらに寺院を建立しました。
麻浩崖墓
建立時期:後漢時代から南北朝時代まで
設   計:崖に穴を掘って墓室を造り、その中に棺桶を入れて、埋蔵
概   要:凌雲山の裏側にあり、後漢時代(約1800年前)の崖墓群。大小様々500箇所以上の崖墓は当時の四川省地区では代表的な崖墓群。麻浩崖墓長さ200m、幅25m、各墓室の入り口や、壁や棺桶には数多い精緻な彫刻があります。考古学調査によると、中国最初の仏像が残っていることから、仏教が西北のシルクロードのルートで中国に伝わったことのほかに、インド~ミャンマ~雲南~四川という南方ルートで伝わったという可能性も示しています。
http://www.sctabi.com