goo blog サービス終了のお知らせ 

♪♪ 私の お寺ライフ ♪♪

 ブログアップして9年目に突入。相変わりませんが、私の「如是我聞」をお送りします。南無阿弥陀仏

慶聞抄2024年11月号

2024-10-20 16:58:51 | 随想

2024(令和6)年

11月号(No.132)

了雲寺 釈幸華

慶聞抄(きょうもんしょう)

  いとこの結婚式にて。右端が小学生の筆者。

 

歓喜!歓喜!

10月半ばの日曜日に、父の33回忌、並びに母の17回忌をお勤めしました。弟や子どもたちの家族は勿論のこと、来てほしい従妹たちへの周知徹底に励みました。「従妹会しいや」というのが母の常の遺言だったからです。(残念ながら父方で呼ぶような付き合いはなくて。)

年賀状での予告に始まり、夏の終わりに手紙でご案内、月初めに電話で駐車場などの細目連絡を電話・ラインでと、我ながら周到に取り組みました。それでも、(だからか?)結果は、想定していた人員の半分ほどの出席でした。理由は、高齢、不調、多忙と、致し方ないことで。時を改めてまた会う機会を作るようにします。

母の里寺の住職をしている一つ年下の従弟が調声人をしてくれて「仏説阿弥陀経」を皆でお勤めしました。声楽の専門家だけあって、本堂の空気を震わせるほどの声量。こんな小経のお勤めは、ひょっとしたら日本国中どこにもないのではと思うほど。負けじと声を張り上げましたが敵うはずもなく、「獅子吼」のお説法もかくやあらんです。

そのうち唱和しながら思いました。これは、歓喜の歌ではないかと。お内陣できらめくのは朱蝋燭(父母の7回忌からそうしています)。先日お磨きに励んだ輪灯がそれを反射し、洗いに出した上卓の打敷の金糸が映えます。

お勤めの後、従弟は子どもの頃の思い出を交えてご法話をしてくれました。懐かしい伯父さん伯母さんたち、御祖父さんと(遺影でしか知らない)御祖母さん。かけがえのない日々、なんて幸せな子ども時代だったのでしょう! そして、今この時を共に出来た(出来なかった人もいるけど)今日のありがたさ! 

ご法話の中の、親鸞聖人のご和讃はこれです。

 

安楽浄土にいたるひと

五濁悪世にかへりては

釈迦牟尼仏のごとくにて

利益衆生はきはもなし  *浄土和讃

 

阿弥陀さまのご本願のはたらきによって、お浄土に往生し仏さまと成らせていただいた人は、大いなる慈悲のこころをおこし、再びこの迷いの世界に還(かえ)り来て(還相回向といいます)、お釈迦様のように迷いのなかで苦しむ一切の生きとし生けるものを自在に救うはたらきをしていく、とうたわれています。

母は(2人の男兄弟は先に往生したので)4人姉妹の末っ子です。いずれも坊守で、晩年は毎月「姉妹会」と称して寺を巡り集まっていました。うちで開催された時に挨拶に寄ると、「これが最後かもしれへんなぁ」と口々に言って合掌してくれるのでした。こんなことを言えば失礼かもしれませんが、決して優れた人格者たちとは言えません。けれど、お念仏を誰よりも喜んでいた人たちであったのは確かです。

親鸞聖人の思想は、師の法然聖人の念仏往生思想を承け、その極致に達したものと位置づけることができます。悟りへの道を歩む能力の乏しい、いや全く能力を持たない者のために開かれた、言い換えれば100%救う側の阿弥陀仏の力(他力)のみによって成立する教えということができます。*内藤知康師「龍谷パドマ7」

 

宴が終わりお見送りした後、従弟から電話がありました。「帯、忘れてしまった」あらあら、送りますわ、と言ったその翌日、ご法礼をお渡ししてなかったことに気がついた私でした~! 

 

            合掌

 

釈明和 

明る~く和む今月の一言

           山の公園にて。

 

やっと秋らしくなりました。今年の夏は異常な暑さでしたね。

 

さて、夏の光熱費を見直していますと、7月、8月、9月は跳ね上がっていて、思わずのけぞりそうになりました。

 

今年は、どこのご家庭でも悲鳴をあげておられるのではないでしょうか。

 

それでもクーラーで快適に過ごせたおかげで熱中症にもならず、夏バテにもならず元気に過ごせたから感謝なんですよね。そう思うと安いもんだ ❤

 

  皆さんも予定外の出費や病気などで、多くの時間とお金を費やしてしまうことって あるかと思います。

不幸って何故か重なるもので、一難去ってまた一難💦 なんてこともありますよね。

 

 なんで~??とイライラしたり、はぁーとため息をつくこともありますね。

 

 そんな時は、良かったぁ、有難う~と言ってみてください。

 

 おかげで安くついた、おかげで時間ができた。

 

と思えば、チカラが湧いてくると思うんです。

 

 ブッダの言葉にこのようなものがあります。

 

 「ものごとはこころにもとづき、こころを主とし、こころによって作り出される」

 

   岩波書店「ブッダの真理のことば感興のことば」

 

いつも使っているスマホでも、とても便利で必要と思う人もいれば、不便で煩わしいと思う人もいる。赤ちゃんにとっては、舐めるおもちゃでしょうし、犬にとってはただの板なんです。

 

 その人がどう感じるかで、ものごとは決まっていきます。

 

 つまりは、自分の心によって世界が変わるということですね。

 

 だから、光熱費がいくら高くなっても有難うの感謝の気持ち!!

    (・・・ いやいやいや、程度っちゅうもんがあります、、、、)

                      合掌

 

  

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

慶聞抄2024年10月号

2024-09-20 11:27:46 | 随想

2024(令和6)年

10月号(No.131)

了雲寺 釈幸華

慶聞抄(きょうもんしょう)

      三上智恵監督 6年ぶり、渾身の最新作

本当の国防とは何か

友人のおつれあいの1周忌法要を任され大阪市までお出かけ。ランチは親族ら13人で近所の小さなロシア料理店を貸し切りで。初めて会う東京からのお孫さん兄弟は、シュッとした大学生と高校生でした。

友人とはお互い子育て真っ最中、生徒たちとのバトルの日々をともにした仲です。ある年の夏、帰ろうとしない故人の代わりに私が誘われて、長崎に一人暮らしておられるお姑さんをお訪ねし、有難いナガサキ平和学習の機会をいただきました。

友人と彼氏の出会いは、学生時代の10・21国際反戦デーのデモとか。米軍のベトナム戦争介入に反対するストライキに始まるもので、それは冷戦と呼ばれる米ソの代理戦争でした。
 

あれから半世紀以上たった今、「もう米軍基地がどうのと言っているレベルではありませんよ」と、三上智恵さん。大阪の平和を愛する女性たちの集会(大半は、私同様高齢者)でお話をお聞きし、ボーっと生きてる場合じゃないと知らされました。元は大阪の毎日放送、希望して琉球朝日放送のキャスター、その傍らドギュメンタリ―を製作。2012年初監督映画「標的の村」で数々の受賞後フリーに。

撮影日記のプロローグは印象的です。

「2016年の石垣島。山里節子さんという石垣島の『とぅばらーま』(八重山地方を代表する唄。その時々の気持ちを即興で歌う)の上手な女性が、『自衛隊の予定地はここですよ』と示してくれて、ロケをしたんですね。そうしたら、変な雲が降りてきて雨が降ってきそうなので、もうやめましょうかと言った時に節子さんがね、急に歌い出したんですよ。『イクサフム(戦雲)がまた湧き出してくるよ、恐ろしくて、怖くて、夜寝ることもできない、またここが戦場になるのですか』という内容だったのです。」

「節子さんはあの戦争で母や妹を失いました。『南西諸島防衛』を掲げて島に軍隊が入ってきて日常は激変。当時8歳だった彼女が見たあの地獄がまたやってくるのでは。自衛隊がミサイル基地を造ったら、島はまた戦場にされるのではないか、その強い危機感と怒りの叫びでした。」

その後「宮古島と奄美大島に自衛隊のミサイル基地が完成、それに先んじて『沿岸監視隊』を受け入れた与邦国島にも、来ないはずだったミサイル部隊の配備が決まり、『全島避難』という言葉もささやかれています。去年3月、ついに石垣島にも自衛隊基地が完成。ミサイルを積んだ不気味な軍用車両がぞろぞろと・・」

三上さんは重大場面に何とか駆け付けカメラを回しました。それは、沖縄県民が国防と言う名の国の圧力に抗しきれず、追い込まれ涙を流す場面ばかりだったのです。辺野古の埋め立て土砂は投入され続け、今や人々の犠牲を事実上覚悟した防衛計画が露わになりました。

「縦深作戦」・・いくつもの防御ラインを設定して敵を中心部まで誘い込む・・旧日本軍があの戦争で時間稼ぎにとった作戦名が、あろうことか今また語られなおされているのです。三上さんは言います。「沖縄、大変ですね、ではないんですよ。日本全体が大変なんです。」*全国14か所に弾薬庫新設、本年予算案222億円。一番近くは奈良に近い京都府精華町の祝園(ほうその)分屯地

 

「過去の歴史の反省に立って、戦争のない平和な世界を築いていくため、世界中の人びととの交流と対話をとおして、非戦・平和への取り組みをさらに進めていく」*9・18千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要の願い*から

                       合掌

 

       奈良県/藤原宮跡の蓮

釈明和 

明る~く和む今月の一言

 

先日、4年に1度のパラリンピックが終わりました。ご覧になられた方はおられるでしょうか?

 

私が注目していたのは、今、CMに引っ張りダコの、車椅子テニスのトッププレイヤーの小田凱人(おだときと)選手です。なんと、史上最年少18歳の金メダリストとなりました。

 

試合では、鮮やかな大逆転で会場を沸かし、その強靭なメンタルに注目が集まりました。

 

彼は、9歳の時に骨肉腫を発症し、車椅子生活になりました。そして、「病気と闘っている子どもたちのヒーローになりたい」と話します。車椅子の彼にしか出来ないことがあり、それを体現されています。

パラスポーツを入り口にして、一人ひとり違う個性を輝かせる社会になれば良いですね。

 

さて、SMAPの「世界で一つだけの花」に、そのような歌詞があるのをご存じでしょうか?

 

🎵 そうさ、僕らは

世界で一つだけの花

  一つひとつ違うタネを持つ

 

  そのタネを咲かせるために

  一生懸命になればいい 🎵 

 

実は、仏説阿弥陀経にも、同じようなことが書いてあるのです。

 

青色青光 黄色黄光

 赤色赤光 白色白光

 

これは、阿弥陀仏の浄土に咲く蓮の花のことを表しています。

青色の蓮は青く光を放ち、黄色の蓮は黄色の光を放つ。

 

私たち一人ひとりは、それぞれの色を持ち、それぞれの光を放ち、光り輝いているのです。

 

ついつい人と比べて足りないことを数え、アレコレ考えてしまいますが、そんなことに多くの時間を費やすよりも、ありのままの自分自身を輝かせることに一生懸命になれば良いのですね。  合掌

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

慶聞抄2024年9月号

2024-08-20 19:41:26 | 随想

2024(令和6)年

9月号(No.130)

了雲寺 釈幸華

慶聞抄(きょうもんしょう)

毎年9月18日、宗門として東京・国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑で全戦没者の追悼法要をお勤めします。恒久平和の願いを新たに撞かれる「平和の鐘」に合わせ、当寺としても取り組みます。

あの戦争は何だったのか

今年のお盆こそは高知でと、JRのチケットを買い求めたその日、日向灘を震源とするマグニチュード7の地震が起こりました。「大規模地震発生可能性が平常時に比べて高まっている」との気象庁の発表を受け、南海トラフの赤色に塗られた海岸にあるつれあいの町は、翌日早々に盆踊りと花火大会の無期延期を決定しました。数百回に1回の確率でも「高まっている」には違いないけど、何とも腹立たしいです。

腹立たしいと言えば、戦前の「総力戦研究所」。朝ドラの寅子の再婚相手となるべく登場した星航一の葛藤の原因は、そのエリート集団の一人であったことでした。あの戦争は、当時の「無知な軍部」が暴走したのではなく、机上演習によって「必敗」という結論が中枢機関で予測されていたのにも関わらず黙殺されたのです。「臣民」には知らせることなく! だったら戦後の私たち「国民」は、そこを掘り下げて聞いていかなあかんのと違いますか? 

毎年執り行われる8月15日の「全国戦没者追悼式」。この日を終戦の日とすることを「8.15神話」と呼び、日本のメディアの戦争・平和報道を他者の存在と降伏の事実を忘却した戦争認識に導くとの指摘があります。

「日本が連合国にポツダム宣言受諾を伝えたのは14日、15日はどの前線でも戦闘は続いていました。『終戦』は相手国のある外交事項です。降伏文書に調印した9月2日が国際法上の終戦日であり、翌3日をロシアも中国も対日戦勝日としています。交戦国ではなく、あくまでも『臣民』に向けた『玉音放送』があった日を節目としていること自体、極めて内向きの論理に基づいています」 *メディア史家・佐藤卓己氏

 我が寅子、「そもそもあの戦争とは何だったのか」とつぶやきました。原爆の被害者によるいわゆる「原爆裁判(55~63年)」の裁判官になった時です。モデルの三淵嘉子さん、裁判長古関さんら3人は、世界で初めて国際法違反との判決文を書きました。そして政治の責任も。

「国家は自らの権限と自らの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである。しかもその被害の甚大なことは、とうてい一般災害の比ではない。被告がこれに鑑み、十分な救済策を執るべきことは多言を要しないであろう。」

判決は、原告が求めた国家賠償法による賠償請求は認めませんでしたが、その後政治を動かし、68年の「原爆被爆者に対する特別措置法」などに繋がっていきます。以下はこの時の被告=日本政府の主張です。「原子爆弾の使用は日本の降伏を早め、戦争を継続することによって生じる交戦国双方の人命殺傷を防止する結果をもたらした。かような事情を客観的にみれば、広島・長崎両方に対する原子爆弾の投下が国際法違反であるかどうかは、何人も結果を下し難い。」 けっして米政府の、ではありません! *ジャーナリスト・佐藤和雄氏

先に帰省していたつれあいの「アヅイ~ッ」という電話のしわがれ声を聞くうちに、帰らなくて良かったと思えてきました。南海トラフが暴れ出したら津波でみんな持って行かれるのは必然。今更エアコンを新調する気はサラサラないし、お盆に高知は未来永劫無いやろうなぁと遠い目をしてサチコはつぶやくのでした。

9月を「平和を考える月間」に! 世界標準の終戦日45年9月2日、サンフランシスコ講和条約・日米安保条約調印日51年9月8日、満州事変勃発31年9月18日

                          合掌

 

 

釈明和 

明る~く和む今月の一言

 

まだまだ蒸し暑い日が続きますが、立秋を迎え、暦の上で秋が始まっています。

 

ホンマかいなー??と季節にツッコミを入れていたらまさかの南海トラフの地震。お盆のご予定を変更した方も多いと思います。

 

毎年、台風や地震といった災害が多くなっています。了雲寺でも、水道、ガス、電気が止まる、物流が止まるといったライフラインが絶たれた時にできる対策を考えたいと思います。

 

皆が困ったときに、いざという時に頼れるお寺にしていきたい。

 

冷暖房の設備や、備蓄なども考えていかなくてはなりません。災害だけでなく、大和高田線の大規模な渋滞で車が立ち往生などになれば、トイレの貸し出しや炊き出しなどもしなければなりません。

 

その時は、皆さん、ご協力お願いしますね。

 

気候変動に物価高、戦争、考えることは沢山ありますが、1番の備蓄は、家族の健康と笑顔ですね。

 

まだまだ暑い日が続きますが、笑って乗り切りましょう。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

慶聞抄2024年8月号

2024-07-21 13:52:41 | 随想

2024(令和6)年

8月号(No.129)

了雲寺 釈幸華

慶聞抄(きょうもんしょう)

 ムクゲ(木槿)=ムグンファ(無窮花)

  韓国では、散っても咲き、また散っても咲く生命力の強さから

  自国の歴史を踏まえて国の花にしています。

 

忘れたくない日本人

あるお家のお参りでお祖母ちゃん(と言ってもまだ若い!)のところに遊びに来ていた就学前の男の子二人組。遊びを中断して私の方をじっと見ているのが分かるので、お仏壇前に陣取るや否や「よし、そんならここに二人座り」と、左手後方を指図しました。素直に二人とも従うではありませんか。

「讃仏偈」のお勤めを終えてお念仏を称えていると、後ろから「お歌うたったの?」と聞いてくれます。「お経さんって言うんや」と答えて次に「重誓偈」もお勤めしました。体勢はちょっと崩れてはいるものの、まだいます。そこで、「お手伝いできる人」と呼びかけると、一人が寄ってきてくれたので「火消」をつまんで渡すと、お蝋燭の灯を消してくれました。大事なミッションが成功した後のドヤ顔! 後ろで見守っておられたお祖母ちゃんともどもほっこりできた時間でした。

たいていみんな子どもの頃はこんなに可愛らしかったことでしょう。このまま成長して大人になっていけたら、何も問題ないはずなのに、どうしてそうとは限らないのか。考えてみると、問題は子どもにあるのではなく、大人の方にあるのではないかと思われます。

6月のEテレ「100分で名著」は宮本常一(民俗学者1907~1981)の「忘れられた日本人」でした。探せば本棚のどこかにあるはずなのに、めんどくさくて本屋に寄ってみると、ご同輩がワンサカいるらしく、網野善彦の「『忘れられた日本人』を読む」まで用意されていて、まんまとのせられてしまいました。

「村の寄りあい」(対馬にて)がすごい。「いってみると会場の中には板間に二十人ほどすわっており、外の樹の下に三人五人とかたまってうずくまったまま話あっている。雑談をしているように見えたがそうではない。事情をきいてみると、村でとりきめをおこなう場合には、みんなの納得のいくまで何日でもはなしあう。」

それがはんぱない。「夜も昼もなく、暁方近くまではなしあって眠たくなり、いうことがなくなればかえってもいい。」「気の長い話だが、とにかく無理はしなかった。・・・だから結論が出ると、それはキチンと守らねばならなかった。」多数決でさえあればどんな状態でも民主主義と思い込んでいる輩に読んでほしい。

また女性たちの生き生きした実像が伺える「女の世間」・・宮本さんの故郷、周防大島・・「はァ、昔にゃ世間を知らん娘は嫁にもらいてがのうての、あれは窯の前行儀(?)しか知らんちうて、世間をしておらんとどうしても考えが狭まうなりませけにのう、わしゃ十九の年に四国をまわったことがありました。・・女の友達三人ほどで出かけた事がありました。・・どこへとめてもろうても芋ばっかり食わされての、それでもみな親切で宿に困ることはなかったんでありますで・・。」

父親が何も知らない間に、母親と示し合わせてすでに出ている友人を頼って逃げ出す若い娘も。旅の文化や他郷の言葉を身に付けることが女たちの一つのほこりであったとのこと。

何も、昔はよかったというつもりはありません。でも、網野さんが解説している中で宮本さんが残した言葉があります。「いったい進歩というのはなんであろうか。(中略)進歩のかげに退歩しつつあるものを見定めてゆくことこそ、われわれに課されている、もっとも重要な課題ではないかと思う」  

 

  我行精進 忍終不悔         

  (私は努力精進し 決して後悔することはありません)*「讃仏偈」末尾
                                       合掌

 

教区新報掲載アンケートに答えて

  石川南組 了雲寺 和田由美

 

 

1、どんな僧侶になりたいですか?

 唯一無二の僧侶でありたいと思っています。たまたま入った寺に私という僧侶に出会ったのではなく、私という僧侶を目がけて寺に行きついたというくらい、影響力のある僧侶を目指しています。私を通して若い方にも宗教を身近に感じていただけたらと思います。

 

2、得度習礼の印象は?
体力的にも精神的にも厳しかったです。若い方々に助けられ何とか乗り切りました。

 

3,座右の銘を教えてください

 「笑てもてナンボ」

新しい挑戦をするときに、例え失敗してもネタになると思うと勇気が出ます。自分の挑戦で周りの人に勇気を与えたい。

 

4,行きたいところ

 タイ、バンコクの寺院めぐり

 メキシコ、オアハカ州の死者の日の祭り

 

5、最近読んだ本

 大愚和尚の「自分という壁」

 

6、将来の夢は何ですか

 世界の様々な宗教の起源や成り立ちを見聞し、人間の真理を学びたいです。浄土真宗のみ教えを現代人の生活に落としむべく、ユーモアを大切に全国に発信したいです。世界にも大乗仏教の素晴らしさを発信していきたいです。

 

 *大阪教区新報『samgha』8月号に掲載されました。本体は、いろいろ省略されたので、ここには原稿をそのままあげさせてもらっています。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

慶聞将2024年7月号

2024-06-23 11:05:30 | 随想

2024(令和6)年

7月号(No.128)

了雲寺 釈幸華

慶聞抄(きょうもんしょう)

    大水のあとに・・・

 

知恵と智慧

「人新世」という呼び名は、地質学の国際組織の専門家たちからは認められなかった(今年3月)けれど、雨が降ればたいてい大雨になり、この5月の猛暑をみても、私たちは今までとは違う時代に生きていることは確かです。世界の各地から氷河の後退を始め、森林火災・大型台風・河川の氾濫など異常気象の報告にいとまがありません。地球温暖化、海水温の上昇が原因である訳ですが、ことはもう生態系全般に及び、絶滅種の増加と食物生産の危機と。もう元には戻れない臨界点を越えてしまって飢餓の時代がくるのではと悲観的になります。
 

こんな地球規模の大問題にも関わらず、戦争です。前世紀の遺物か(遺物です)、と思ってしまうほどの、どうしようもない陳腐な様相で。しかも核兵器の使用がかつてないほどの切迫感で! 

1970年の大阪万博のテーマが「人類の進歩と調和」でした。今となっては信じられないくらいの能天気。その3年後にオイルショックです。1950年代後半からの高度経済成長は終わり、今に至る問題が山積したのでした。来年の大阪・関西万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」だそうで、懲りない人たちだなぁと思うばかりです。子どもたちの未来へのメッセージなら、目の前の課題に責任ある取り組みをしてからにしてほしいです。

改めて、考えます。「人類の進歩」とは何か、「いのち輝く」とはどういうことか。

確かに当時、月面着陸のお土産の石が最大の呼び物でした。次は火星を目指す?(地球がもうダメという時に備えて火星移住計画が進められているそうで。ちなみに、グレートジャーニーの関野吉晴さんは「地球永住計画」です。賛成!)ここでいう「進歩」は「人類の」ではなく、科学・技術の進歩であって、映画「オッペンハィマ―」で、主人公の苦悩が大統領と多くの米国民には共有されなかった。ましてや被爆者の思いは?

また、「いのち輝く」とは、現実に輝けない命があまりにも多いからテーマに選ばれたと考えてしまいます。過労死、虐待死、いじめ、貧困、差別、孤立等々、社会の現実は過酷そのもの。失敗しようものなら「自己責任」と冷たく言い放たれる世の中です。そうではなくて、一人ひとりが大切にされ、誰もが「生まれてきて・生きてて良かった」と思えるような社会であってほしい。それでこそ人類の歴史を重ねて獲得する進歩と言えるのでは?

22年11月に始まった「生成AI」と言われる技術が、まさに時代を画するものだとされていて、議論をよんでいます。人工知能自身が独りでに学習を続け、人類総体の知恵を越える「シンギュラリティ(技術的特異点)」が45年だとする説まであります。(手塚治虫さんの漫画に出てきてました、確かハルと言う名で人類を支配する・・)

 

私たちの仏さまが、阿弥陀仏であることの重要性を思います。

「阿弥陀」は梵語(古代インドの言葉)のアミターバ(無量光)、アミターユス(無量寿)のアミタの音訳です。無量光は無辺の空間に隈なく遍満する「摂取して捨てたまわず」という「はたらき」(壽)をあらわします。

 

私たちの知恵はどこまでいっても「我」から離れられない。仏さまの智慧の光で「煩悩具足の凡夫」であることが知らされます。      合掌    

 

   ランタナと蝉の抜け殻

釈明和 

明る~く和む今月の一言

 

先日は、得度の時に同部屋だったルームメイトと京都で同窓会をしてきました。

 

なんと19歳(学生)、19歳(学生)、25歳(会社員)と私49歳(主婦)の女性ばかりの仲良し4人組です。

 

我が子ほど歳が離れているので、話が合うのか??と思われますが、得度では俗世での地位や名誉の全てを捨てて、阿弥陀さまの前ではみんな平等です。

 

何者でもないただの人間同士の集りは、利害関係やヒエラルキーもなく、フラットな関係です。そこには年齢差も性別も関係ありません。

 

人はいかに普段から役割を背負って生きているのかを知りました。同じ目標を持った人間が集まると、自然と協力し団結するものですね。

 

この修行を共にする仲間を仏教ではサンスクリット語でサンガと呼びます。

 

修行するのに、

1人ではサボってしまう、

2人では喧嘩して別れる、

3人では2対1で対立する、

4人だと違いを認めつつ精進できるとのことです。

 

なかなか良く出来ていますよね。

 

私のところに、お子さんに友達が出来ず困っているとのご相談があります。

 

私に合う友達なんていない!とか、本当の友達はどこにいるのだろう・・・と悩むのです。

 

 

 

 

まるでお見合いをするかのように友達を見つけるのではなく、サンガを作ったらいいのではないかと思います。同じ志、目的を持った集団に入り、切磋琢磨していると自然と仲間が出来てきます。

 

さらに、共通の敵がいたら、盛り上がることこの上なし。

 

我が家では私がピリッとすると、夫と娘が団結するのはそういうことだったのか・・・ 

     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする