自転車屋男 2

神戸で自転車屋を営み
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変な男の人生色々日記

「八幡原の戦い」!!「第四次「川中島の戦い」!!

2019-10-18 15:35:07 | 地域
「10月18日(金)」

「八幡原の戦い」

「1561年10月18日」
(永禄4年9月10日)

川中島の戦い: 八幡原の戦い。

川中島の戦い(かわなかじまのたたかい)は、
日本の戦国時代に、
甲斐国(現在の山梨県)の戦国大名である
武田信玄(武田晴信)と
越後国(現在の新潟県)の戦国大名である
上杉謙信(長尾景虎)との間で、
北信濃の支配権を巡って行われた数次の戦いをいう。

最大の激戦となった第四次の戦いが
千曲川と犀川が合流する三角状の平坦地である
川中島(現在の長野県長野市南郊)を中心に
行われたことから、
その他の場所で行われた戦いも総称として
川中島の戦いと呼ばれる。

この戦による死者は、
上杉軍が3000余、武田軍が4000余と伝えられ、
互いに多数の死者を出した。

信玄は、八幡原で勝鬨を上げさせて引き上げ、
政虎も首実検を行った上で越後へ帰還している。

『甲陽軍鑑』はこの戦を
「前半は上杉の勝ち、後半は武田の勝ち」としている。

合戦後の書状でも、双方が勝利を主張しており、
明確な勝敗がついた合戦ではなかった。

しかし
武田軍にとってはこの戦で家中の調整役であった
信玄の実弟信繁が討ち死にしてしまったことが
後の義信事件の遠因になったとする見解もある。

この合戦に対する政虎の感状が3通残っており、
これを「血染めの感状」と呼ぶ。

信玄側にも2通の感状が確認されているが、
柴辻俊六を始め主な研究者は、
文体や書体・筆跡等が疑わしいことから、
偽文書であると推測している。


武田軍

旗本本隊(8000人)

総大将:武田信玄

武田信繁、武田義信、武田信廉、武田義勝(望月信頼)、
穴山信君、飯富昌景(山県昌景)、工藤祐長(内藤昌豊)、
諸角虎定、跡部勝資、今福虎孝、
浅利信種、山本勘助、室賀信俊

妻女山別働隊(12000人)

春日虎綱(高坂昌信)、馬場信房、飯富虎昌、
小山田信有(弥三郎)?、甘利昌忠、真田幸綱、相木昌朝、
芦田信守、小山田虎満(昌辰)、小幡憲重

上杉軍(13000人)

総大将:上杉政虎

柿崎景家、斎藤朝信、本庄実乃、色部勝長、五十公野治長、
山吉豊守、安田長秀、長尾政景、加地春綱、中条藤資、
村上義清、高梨政頼、北条高広、宇佐美定満、荒川長実、志田義時
直江実綱(小荷駄護衛)
甘粕景持(殿(しんがり))



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