後期高齢者群への加入記念、残念ブログはじめました!

始まりは1965年の春、17歳の僕と1学年下のきみの6年間のダイアリー。緋色のルーズリーフノートの思い出です。

1967年4月29日 (土)

2023-10-10 15:37:00 | 日記

晴れて大学生となった二人、

月に一度は京都でデート。月一で実家に帰ることにしていたので、その時は京都でデートして一緒に帰った。

京都でのデートは四条木屋町のリプトンで待ち合わせ。

2年前、初めての京都でのデートは植物園。その頃のきみは、

🎵僕の可愛いミヨちゃんは 色が白くて小さくて 前髪たらした可愛い娘 あの娘は高校二年生🎵

2年経って、阪急電車神戸線・京都線を乗り継いで河原町まで。四条通りの地下通路が加茂川で途切れる東端の出口を上がると目の前がリプトンだった。

🎵待ち合わせた地下鉄の 

プラットフォームのはずれで 

君は目立たないように 

本を見ていたね 

近づくとはにかんで 

にっこり笑ったね

とても感じがよかったよ🎵

初めて京都での待ち合わせ、地下通路の出口で僕が待った。きみは四条大橋を渡って小走りでやって来る。リプトンに入って先ず日記を交換、忘れっこないのに先ず交換する。お茶飲んだか飲まずかで店を出て、ふたり手をつないで歩く。すぐ近くのカップルの聖地、鴨川の河原を歩く。等間隔でカップルが河原に座っている。僕たちふたりも空いた場所を見つけ、手をつないだまま座る。

やっとゆっくり話ができた。

たったひと月会わなかっただけなのに、話すことが多すぎて

すっかり暗くなるまで手を繋いだままだった。

予備校通学以来の市電に乗り京都駅、さらに電車に乗り実家のある駅まで一緒に帰るのだ。市電の乗車賃は15円、回数券が7100円で、残った切符を二人で分けて持った。電車はもちろん4人がけボックスシートに並んで、降りるまで手を繋いだまま。

こうしてふたりの学生生活が始まった。


1967年2月〜3月

2023-09-26 14:52:00 | 日記

19672月〜3


19672

KG大法学部に合格。発表の後すぐに授業料免除の申請書を貰ってきた。入学する気まんまん。

S大にはもちろんベストを尽くすが、KG大の入学金だけは払ってくれることを両親に了解してもらった。

最後の入試までまだ一か月以上ある。両親との約束だから頑張らないと!


きみもKJ短大に合格。DJ大は及ばなかったが、京都に通うことは決定した。


19673

S大の試験日まではデートもせずに頑張ったが、結果は及ばず。

日記だけは毎日欠かさなかったが、きみも僕もただ「逢いたい」と書くばかり。

きみは入試が済み卒業式を待つだけの、高校生時代で一番楽しいはずのときなのに、唯一の親友のO谷さんとおしゃべりするだけみたい。

僕は自分としての目標は達成したのに、親に見栄を張ったばかりにきみの貴重な時間を奪ったのかもしれない

それなのに僕は・・・


早春の風に背中を押されているようなそんな不思議な高揚感があった。風は僕に語りかけていた。前へ進めと、夢を叶えよと。

1967年の春。

僕は高校を卒業し一浪を経て郷里を離れ、KG大に進むことになっ


1966年12月

2023-09-20 22:00:00 | 日記

受験対策、受験大学を決める話をきみと繰り返した。


きみ)

四年制ならDJ

短大ならKJ短大

自宅通学なのですんなり決まり。もちろん第一志望は四年制。


)

なんとしても決めたい。

第一志望はS大。学費負担が少なく、自宅通学含めて金銭的には一番。きみも自宅通学が条件なので問題ナシ。

第二志望はKG大。

選択肢はKG大とKO大。キープしている育英会の奨学金は私学が有利だが、今年入学しなければ権利喪失だ。どちらも私学の中では入学金や学費も相対的に安く、学費免除対象となれば入学金さえ負担して、あとは一定の成績を四年間キープすれば卒業できるのが魅力だ。私学で受験科目に数学があるのがKG大とKO大だが、きみが関西なので必然的にKG大となる。

最終的にSKG。難易度は偏差値でも試験科目でも決定的な差はない。自宅通学は絶対条件ではないと思っており、法律を学びたいとの思いがあり法学部を選択するならKG大となる。

試験日が早いのがKG大。合格すればそのあとS大の試験まで気持ちをキープできるか自信がないと。こんなことまで話しあったのも、このテーマなら受験生であってもきみと一緒にいられるから。つまりはデートの言い訳だ。


そして二月


1966年8月 月曜〜金曜

2023-09-17 15:14:00 | 日記

〜ふたりの一日〜


6時半 きみが自転車で我が家に

7時前 電車で京都・岡崎の予備校へ

9時〜12時 特別講義

15時頃 昼食を済ませ我が家に帰宅

1時間 復習・おやつ・おしゃべりなどして日記交換も。この間毎日交換していたんだ。

16時〜 一時間程散歩がてら自転車のきみを送る

つまりこの間は毎日日記を交換して、10時間以上一緒にいたことになる。家族以上だな

それにしても1か月も京都岡崎に行って、平安神宮にも疏水にも南禅寺にも行かなかったとは、受験生二人とはいえ立派!とは自画自賛👏すぎるかな?


1966年4月〜7月

2023-09-17 03:50:00 | 日記

4月からきみは高三、僕は京都岡崎の予備校に通って受験勉強に励んだ。月曜から金曜は朝六時台の電車に乗り、午前2コマ午後1コマの講義。昼休みは極端に短く、学校の向かいのエコーという軽食屋で日替りランチをかきこんで、午後の講義が終わって直ぐ帰宅。朝は電車で眠り、帰りは受験に役立ちそうな読書。定番の岩波文庫と流行りの新書版のカッパブックスを中心に、たぶん月十冊以上は読んだだろう。


こんな日常を繰り返し、月一度の日記交換デートを土曜の午後に月二度、いっしょの時間は半分にしてでも回数を増やしたかったんだ、ふたりとも。

待ち合わせは一年間お世話になった図書館が見える学校の正門、散歩して僕の家の近くの""という小さな喫茶店で日記を交換。この店はママ一人でやってる店で、カウンター45人、テーブル席二つ。高校入学時からの行きつけで家族やクラスメートなどが集まる場所。そんな喫茶店でほぼ隔週デートしていた。


そしてきみが突然「予備校の夏季特別講義に行きたい」と言い出した。


1966年 3月20日

2023-09-15 12:51:00 | 日記

既にK大は不合格。今日発表のS大も残念でした。

この間約束どおり日記の交換のために二度会っただけ。僕の試験が一週間前に終わり一応卒業式も参加できたが、きみとはゆっくり話できなかった。

一年の浪人が決まったので、今後のことも話できる。きみは高三となって京都の女子大を目指し、僕は京都の予備校に通って滑り止め対策もしてS大に再チャレンジすることにした。だから一年間はまだこの町で暮らせるのだ。

この街が好きさ 君がいるから

  この街が好きさ君の思い出あるから

「きみとの思い出あるから」が正解なんだけど…

高校を卒業して引越し。姉弟二人で暮らしていた家から、姉の結婚を機に両親の元への引越し。土間から一直線の高い階段を上がり薄い板扉一枚で入る部屋は、今までの四畳半一間から八畳二間続きでほぼ4倍に。広すぎ!

あるものは文机と小さな本箱が各一と、His Master’s Voice で有名な犬「ニッパー」を置いたビクターのステレオ。

あとは全て広い押し入れに収納。

さあ、予備校生活が始まる。

一年で脱出するぞ!


「早春の風に背中を押されているようなそんな不思議な高揚感があった。風は僕に語りかけていた。前へ進めと、夢を叶えよと。」

(乙坂鏡史郎『美咲』)


高校時代の昼飯の思い出

学校を出てお濠の京橋を渡ってすぐ右にあった喜龍軒のチャンポンがお気に入り。あまり年の離れていないお兄さんと彼のお母さんの二人でやってたお店。今この街の名物はチャンポンらしいが、喜龍軒発祥のチャンポンではないようだ。残念!


1965年11月3日(水)

2023-09-13 21:33:00 | 日記

京都市美術館のツタンカーメン展へ


京都市美術館の歴代入場者ベスト10の第一位は1965年この年開催のツタンカーメン展で、前年のビーナスや後のモナリザ展を超えた第一位だが、いかに混雑したか皆さんには想像できないだろうな。

そのツタンカーメン展に祭日に出かけた。それも受験生の身にも関わらずだから、如何にデートの理由が欲しかったのか!

一時間以上も並んで、黄金のマスクの前を通り過ぎたのは1分足らず。早々に美術館を出てお決まりのデートコース、疏水沿いに白川通から南禅寺へ歩いた。

受験生らしからぬ最高の贅沢デートだったが、「文化の日は晴れの特異日」で暑い日差しの休日だった。そんな陽照りの下を、歩道が整備されていない当時の仁王門通なので、疏水脇を歩くことができなかったのが心残りかな

この日をスタートにこの道はふたりのお決まりのデートコースとなり、デート記念日となったのだ。


1965年12月24日(金)

2023-09-13 21:24:35 | 日記

交際九か月、初めての

二学期が終わった。あと同じ学校で過ごせるのは実質一月程度。終業式の後いつものとおりみたいに、実は約束もしていないのに図書館で待ち合わせて日記を交換し、一緒に校門を出て初めて右へ歩き、初めて僕のうちへ。狭い急な階段を上がり僕の部屋へようこそ!

中央に鎮座ましましている小さなコタツに向かい合って座り、僕が卒業してからのことをどうするのか決められず黙って見つめ合っていると、きみの目から涙が

「きみの瞳が問いかけている。僕は答えなければ!」

僕はたまらずきみを抱きしめていた。小さいコタツ越しに交わした生まれて初めての口づけは、"少ししょっぱいレモンの香りだった"と思い込んでいる。


1965年10月5日の補足

2023-09-13 14:33:00 | 日記

「かがよい」という名の由来は、きらきらと光り輝く様子を表す古語、かがよふ。見た目だけの輝きではなく、時空を超えた光と美しさが続くというメッセージを宿しています。

国語辞典風にいえば

耀い

読み方:かがよい

ワ行五段活用の動詞「耀う」の連用形、あるいは連用形が名詞化したもの。

きらきら光って揺れる。


1965年12月3日(金)

2023-09-13 09:36:00 | 日記

受験する大学を決めた。国立二期の地元S大と記念受験として京大、どちらも経済学部。滑り止めはナシとした。経済学部とか滑り止めナシとか、受験を真剣に考えていたとは思えない。とにかくあと二か月程度で終わるんだぐらいの気持ちだった。そんなだから、私立大生に有利な育英会の特別奨学金が決まっていたのに、滑り止め受験ナシとは、全く考えられない選択だった。


受験生の交際にはさまざまな困難がある。まず一番にお互いの気持。特にきみがよく言ってた「勉強の邪魔してる」という遠慮。

でも9か月間育んできたふたりの交際は日記を交換することで続けられた。放課後はたとえ10分でも20分でも図書館のふたりの指定席で読書し勉強し、お喋りもし、日記を交換してからいっしょに濠端の道を下校した。これが二人の交際のカタチで、その足跡をさらに一歩一歩交換日記として続けるには?結局ふたりの世界を続けていくために当面3か月間、日記交換は月一回とすることにした。

ただ約束したわけではないのにこの後も、登校した日は下校時までには図書館の指定席できみの顔を見ることができた。