先週の稽古では、チェンドラワシの踊り合わせがありました。チェンドラワシCendrawasihは、1988年に創作された二匹の番いの極楽鳥を表現した舞踊。作曲はバリの大作曲家イ・ワヤン・ブラタI Wayan Berathaと芸術大学の当時は若き作曲家イ・ニョマン・ウィンダ I Nyoman Windhaの合作、コレオグラファーは、大学教員のスワスティ・ウィジャヤ・バンダムSwasthi Wijaya Bademというものすごい顔ぶれの作品。当時は教育関係者がつくった実験的な作品でした。
この舞踊がバリで初めて披露されたのは1988年の2月のことで、とにかくバリで大センセーショナルを巻き起こした当時の問題作でした。私はちょうど、芸術大学に留学中で、バリのアートセンターにおいてこの初演を見ています。バリ舞踊の基本的な型はかなり変形して、「これがバリの舞踊か?」といわれるほどの現代作だったのです。しかもその衣装もそれまでみたことのないものでした。
今では、もう誰もがバリ舞踊の一つとして踊るチェンドラワシ。20年以上が経過したことで、それだけバリ舞踊も大きく変化し、チェンドラワシはもはや「バリ伝統舞踊」の域に達しようとしています。
今回の浜松公演では、舞踊界の若きホープの一人で、バリの芸術大学に留学経験のある安田冴さんと、なんと2年の留学を終えて7月半ばに帰国する大野里美さんの二人が踊ります。大野さん、まだバリなんですね。写真は、ジャウック・マニスを踊る荒内さんが、大野さんのかわりを務めています。
この舞踊がバリで初めて披露されたのは1988年の2月のことで、とにかくバリで大センセーショナルを巻き起こした当時の問題作でした。私はちょうど、芸術大学に留学中で、バリのアートセンターにおいてこの初演を見ています。バリ舞踊の基本的な型はかなり変形して、「これがバリの舞踊か?」といわれるほどの現代作だったのです。しかもその衣装もそれまでみたことのないものでした。
今では、もう誰もがバリ舞踊の一つとして踊るチェンドラワシ。20年以上が経過したことで、それだけバリ舞踊も大きく変化し、チェンドラワシはもはや「バリ伝統舞踊」の域に達しようとしています。
今回の浜松公演では、舞踊界の若きホープの一人で、バリの芸術大学に留学経験のある安田冴さんと、なんと2年の留学を終えて7月半ばに帰国する大野里美さんの二人が踊ります。大野さん、まだバリなんですね。写真は、ジャウック・マニスを踊る荒内さんが、大野さんのかわりを務めています。