ロッテホテルからリムジンバスでチェジュ空港へ。 9:35発光洲行き
空港でキンパップ(海苔巻き)、ウドン(うどん)を頼みました。 海苔巻きにはお吸い物、沢庵がついてきます。 味もやさしく食べやすいです。 これは日本の統治時代の産物なのですよねえ。
光洲に到着後、すぐにインフォーメーションに行き、駅、5・18記念公園、市外バスターミナルへのスケジュールを立てました。
バスにて市外・高速バスターミナルまで。ここで荷物をコインロッカーに預けて。
光洲駅までは バスで行くつもりで並んでいましたが、地元の親切なお嬢さんが「タクシーのほうが早いし、安いよ」と勧めてくれて、タクシーに変更。 お嬢さんも出発間際に運転手に「オルマエヨ?」と尋ねてくれます。 「5000ウォン」彼女は2000ウォンだからと言っていましたけど・・・・ 遠ざかるタクシーの窓越しに手でバッテン印を作っている彼女が見えましたけど・・・・・
これは模範タクシーだったのですねえ。 ソウルにいる時には常に注意していたのに、チェジュではこの差がないので、忘れていました。 本島に来たら、また模範に乗らないようにしないとねえ。
駅ではアタコさんがインターネットで購入していたKRパスをもらうことに。 KRパスがもらえる駅というのは限られています。 色んなタイプがありますが、我々は3日間乗り放題を。セマウル号にも乗れます。 しかも、行き先を紙に書いて見せるだけで、早い順からモニターで表示してくれるので 旅人にはとてもお役立ちです。
今度は一般タクシーを選んで、「5.18記念公園」へ。
ここは光洲事件のモニュメントがある場所。 「モレシゲ(砂時計)」。「ペパーミントキャンデー」を見てから、絶対に行きたい所だったのです。
光洲事件・・・80年5月18日 光洲市を舞台に起こった事件。軍部による戒厳令拡大に反対した学生・市民と戒厳軍が衝突。 多数の死者が出た
ドラマの中では その時期に徴兵で軍部にいた友を市民運動の中に巻き込まれた男が見ます。 徴兵でいた友も不本意ながら、発砲・・・ その後の人生において大きな傷になります。 韓国の民主化のスタートポイントとなったとモニュメントに書かれていました。
ここからは歩きで30分だよとインフォーメーションのお姉さんが言っていたけど、大した事無いだろうなんて 歩き出しました。 やっぱり街中は歩かないと匂いや雰囲気なんて分からないものねえ。 で、やっぱり、汗だくの30分でした。
バスターミナルに着いて、順天までのチケット購入(順天までは何故だか、列車はなくて、バスで行きなさいということです) 出発までの時間は15分弱? フードコートに行って「ジャジャミョン」を一人分注文。 急ぐ時には、ジャジャ麺は頼まない方がいいようです。 麺を茹でるのに時間がかかります。 結局5分くらいでお腹に入れてバスに直行!
小気味良い睡魔が襲って、チョイお昼寝タイムした後、到着。
順天市外・高速バスターミナル
ここで楽安巴城民族村までのチケットを買おうとすると、「オプソ~(ない)」と言う事で、ピョルギョンというところで乗り継いで行くというようです。 ま、調べたのと違うけど、こんなことも有りでしょう. ビョルギョンまで来て次のバスに乗ると田舎のバスと言う感じ。 運転手もなんだかおとぼけ系で、「モンゴル~、日本~」と聞きます
なんでバスで行くんだ~と笑っているようでしたけど。 運転中は演歌をかけ、時々手で踊ってましたねえ。 で刈入れ近い水田を通って・・・・到着。
楽安巴城民族村
韓国の伝統的な村や町の姿は城壁に囲まれた城郭都市。 近代化の過程で多くが失われた中、ここは昔ながらの城壁が残っていた。・・・ 民家の一部には実際に人が住む生きた民族村だ。(地球の歩き方)
鳥が歩いていたり、畑があったり、おばあちゃんが座っていたり、食べ物を売っていたり 家の間の路地を通りながら・・・・ 一番村で偉い人の場所では中央にお仕置きの台が作られている。 ここでお尻を叩かれたりするんだよねえ。
で、ここでは切符売りのお兄さんが荷物を向こうから預かってくれた。
先のスケジュールを考えて、予定より一つ早いバスで行こうと変更。 今、この時間はバスの出発時刻。 急げ~。 うわーー バスが行っちゃったよ~
バス停のおじいさん(ハラボジ)が「アイゴー。アイゴー」と言ってくださって。 生アイゴーが嬉しい私。 タクシーで行く事に。 しかし、目の前に止まっているのは模範タクシー。 と思っていると、一般タクシーがどうやら誰かに呼ばれてきたようだ。
このハラボジ。運転手の呼ばれているからを押し切って、のせてくれた。 しかも料金も「いいじゃない~、日本からきているのにぃ」と値切って決めてくれた。 この運転手さんも良い人で決めた値段より安いメーターでおつりをくれようとした。
ハラボジ、運転手さん、ありがとう。
「愛と野望」セット場
自分達も、これはねえ~とは思ったのですが、凄いオープンセットが残っていて、きっと素晴らしいドラマに違いないと見に行ったのです。 見たことが無いドラマなのですが。 左端の立っているのは、「コッチ」の長男、「クァンキ」の先生のチョ・ミンギ
山の上までの貧乏そうな家と川沿いの豊かな家並み。 きっと貧乏な家の子が金持ちの子と恋愛して・・すったもんだ・・あるんじゃないの~ 想像ですけど。
映画館も2件。 病院も2件。 踏み切りも川も 韓国ってこういう風にセットを作っちゃうのも凄いし、 残しておくのも凄いなあ。
こちらは切符売り場で御願いして荷物を置いてもらって、タクシーも呼んでもらいました。
スンチョン駅まで。 そして、今回初めてのKRパスを利用。 座席指定のセマウル号で全洲まで。 十分に足が延ばせる心地よい作りです。 乗務員の方につく頃教えてくださいと御願いしたら、 駅に近くなって、「そろそろ準備してくださいね」と言いに来てくれました。 韓国語は知らなくてもジュンビってちゃんと耳に入っちゃうところが凄い!
スンチョンはビビンパpが有名な場所。 でも到着が8時を過ぎて、既に暗い。 宿が決まってない。・・という訳で夕食はパス 日本からネットで何回予約を入れても満室でダメだった全洲韓屋マウルに向かいます。 アタコさん、「絶対に大丈夫だから~」 うーーっ。 お任せします。 で「ヨギカジ カジュセヨ (ここまで行ってください)」
私達は言葉が話せない可哀想な旅人(アタコさん指令) 、玄関で指差し会話本で御願いすると、やっぱり部屋が無いとのこと。 中では集会が催されていました。 きっと全館借り切ったのでしょう。 それでは「どこか泊まる場所を教えてください」との指差し。 それで電話をかけて すぐ近くのハノク(韓式宿)を紹介してくれました。 歩いて直ぐ! やったね!
到着すると黒服のおじさんが沢山立っています。 ちょっとやくざさんの集会~
実はソウル市長が私達の泊まる部屋の隣で取材を受けていたのです。 カメラスタッフもいました。 明日の新聞に出るそうで~。
こういう経緯が分からない我々は ただぼんやりと覗いていて、「日本からの、お客さんです」と市長に挨拶されて、疲れたぼーーっとしたままだった・・・はず。 後で、えーー、凄い有名人ジャン! 写真撮るとか握手するとかしておけば良かった!!と思ったのですけど・・・・・
床に油紙を引いた伝統的な韓式宿で、朝ごはんをいれて二人で7万ウォンでした。 お布団が綺麗だし。 夜はオンドルを入れてくれて、初オンドル! オンドルって、全部が暖かくなるのではなくって、ところどころ暖かくなるのですねえ。 綺麗なお布団でしょ?
部屋についたら、おかみさんが煎茶を入れてくれて手作り羊羹でもてなしてくださいました。 このおかみさんのお喋りが上品で可愛くって・・・・われらは日本からの最初の客だったようです。 喜んでいただけました。
オンドルで、試してみたかった事。 「愛の群像」でもシニョンさんがジェホの為に靴下を洗ってオンドル床において乾かしていました。
晩御飯はまたまたパスでした。 気がつけば、空港とバスターミナルのジャジャ麺以外、チョコパイだらけの我ら・・・ で、順調にスケジュールがこなせて・・・幸せ
韓国のお布団て可愛いって思っていたのですが、
一般にそうなのですね。
先日韓国料理屋さんで初めて韓国風海苔巻きをいただいたのですが、
とても美味しかったです。
日本の統治時代の名残なんですね。
なるほどです。
タクシーでの値段交渉、お宿確保、バスや電車の乗り継ぎ。。。ハングル使えないと出来ませんよネェ。
ちゃぎさんの語学力?アタコさんの演技力?
キンパp、うどん、ジャジャン麺、こういうものが食べたいんですよね。韓国旅行では。
結構薄いのです。 皆さん固い所に寝て平気なのだ・・・とあらためて感心しました。
ところどころに出てくる日本の統治時代の名残!
ドキッとしますよね。
民主化のスローガンになった「クアンジュ」・・絶対に行きたかったんです。
で、韓国の皆さん、親切でおせっかいで嬉しいです。欧米旅行のようなちょっと小馬鹿にされたような気分にはならない・・・
ハングルは「○○カジカゴシポヨ。」で十分。 あとはアタコさんのような度胸の良さ。 今回はとてもお勉強になりました。
海苔巻きは韓国のものだと主張している人も多いと聞きましたよ。
ジャジャ麺もどきもよくつくります。満州で覚えたという友人のお母様におそわったのですが、中国の物だと思っていました。
どちらもそのうち本場物が食べたいなあ。
韓国人は カッパエビセンもインスタントラーメンも自分達が作り出したなんて言ってたり・・・
ジャジャ麺は中国からの物でしょう。 でも、ドラマでよーーく誰もが食べていて・・・韓国に行ったら食べたい物の一つです。ドラマではこれに沢庵が絶対につくの。 これはどこから来たのだろう~
こういうの考えるのも楽しいかもですねえ。 うちでも母がつくった「もどき」を良く食べていました。
韓国は中国と日本の間の国だなあって・・・