写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

大己貴神(オオナムチ)

2017年03月19日 | 随想

2017年3月18日の日の出は立山の最高峰「大汝山(おおなんじやま)」から、だった。

前回の「鬼岳」からは、地図の縮尺から見て、約2kmほど北側に移動したことがわかる。

大汝山というのは、立山(雄山・大汝山・富士ノ折立)の真ん中にあって、最高峰(3015m)であるにもかかわらず、雄山(3003m)のほうにメインの神社が祀られていることが不思議なのだが、立山信仰が盛んだった時代には、大汝山の山頂にも「白山比咩神(=白山の神「菊理媛神」)」を祀っていた祠があったそうで、今でもその痕跡がほんの少しだけあるようだが、「立山」なのに「白山」の神を祀っているということに驚くし、だいたい、「おおなんじ」という名も、何か怪しい。(「富士ノ折立」という呼び名もあらためて考えてみれば、よくわからない・・・・)

どうも、「おおなんじ」というのは「おおなむち大己貴神)」からきているようで、つまり、大国主(おおくにぬし)の別名(一説では幼名)を冠した山である。

大国主は多くの別名を持つことが知られており、元々別の神であった神々を統合して語り伝えてきたがために、全国各地に多くの妻を持つとか、多くの子孫があるとか、多くの言い伝えがあるとのことだが、いつの頃からかインドの神「ダイコク」様と神仏習合して、結果、「白兎」から「ネズミ」に相棒が移ってしまったようだが、童謡「だいこくさま」では、「白うさぎ」を助けるのは「大黒さま」であって「大国主」ではない、というまでにゴッチャゴチャになっている。


大国主が高志国(福井県敦賀市西端の関峠から、新潟県の弥彦山あたりまでの領域、らしい)の沼河比売(ぬなかわひめ)を二番目の妻に迎えて生まれたのが諏訪大社(長野県諏訪市)の祭神「建御名方神(たけみなかたのかみ)」であり、この親子像が糸魚川の高速道路だったか国道だかのパーキングエリアに建っている。(因みに、娘のひとりが「井田川」の神「咲田姫」だということは「婦負(ねい)の言われ(2013年8月5日)でもコメントしているが、越国国譲りの杉原神社の説明のところにも出てくる。)

(すがりついている幼子が建御名方神)

 

建御名方神」といえば、国譲りに際して「建御雷神(たけみかづちのかみ)」に力比べを挑んで敗れ、「諏訪の地を一歩も出ません」と誓って命乞いをして助かったというのだが、現在の全国に散らばる「諏訪神社」の多さ(全国に約2,600社)はどう説明できるのだろう。

神社の数と言えば、最も多いのが「八幡社」の八幡信仰が7,817、次いで、伊勢信仰4,451社、3.天神信仰3,953社、4.稲荷信仰2,924社、5.熊野信仰2,693社、6.諏訪信仰2,616社、7.祇園信仰2,299社、8.白山信仰1,893社、9.日吉信仰1,724社、10.春日信仰1,072社、などとなっており、白山社も全国的に結構多い。

 

因みに、白山にも大汝という山があり、「白山とは、最高峰の御前峰(標高2,702m)・剣ヶ峰 (2,677m) ・大汝峰 (2,684m) の「白山三峰」を中心として、周辺の山峰の総称である。」との解説がWikiに出ている。