Mi Aire

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子どものものさし

2007-12-02 00:04:16 | エッセイ
こどもの頃、世界は広かった。
それは、こどもの行動範囲はたいてい身の回りの世界に限られているから
未知の世界はその外側に無限に広がっていたからだ。
普段あそびにいく範囲は、町内会からはみでることはなく、
小さな世界の中で友達や兄弟と飛び回っていた。
少し離れた友達の家に遊びに行くのも大冒険。
秘密の場所やお気に入りの場所、誰にでもそんな場所があったはずだ。
ひとつずつ年を重ねるごとに、行動範囲は少しずつ広がり、
手の中に収める世界を広げていく。

私の父は転勤が多く、単身赴任で地方に住むことが多かったから、
夏休みは父の家に行くのが楽しみだった。
普段都会で暮らすこどもにとって、まだまだ自然の残る土地で、
わずかな間でも暮らすことは、毎日がわくわくするおどろきと発見に満ちていた。
夕焼けの色のあまりの迫力は怖いくらいであり、むせかえるような草の匂いや
風の音、雨の音、すべてが五感にうったえかけてくる濃厚な世界だった。

大人になった今、行動範囲も広がり、ものごとをはかるものさしも変わってきた。
列車や飛行機に乗って、もっともっと遠い世界にでかけていくことも出来るように
なった。
さらに、今やインターネットでたちまち世界の様子がわかってしまう時代である。
世界は狭くなったような気がしているのは大人だけではないかもしれない。
今のこどもたちはインターネットやメディアを通じて昔のこどもなら想像もつかない
世界を疑似体験しているのだろう。
瞬時に伝わる情報、映像、疑似体験。しかしそれは実態のないものだ。
本当かどうかなんて、誰にも分からないのではないか。
疑似体験で体験したつもりになっているものは、本物の体験にはならない。
どんなに便利になっても、人の手の大きさを超えられないもの、
体験してはじめて体の中に残るものは時代が変わっても普遍のはずだ。

こどもの頃にくらべると、ずっと世界は広くなった。
こどものものさしではかった世界の大きさ。
大人になって世界は広がっても、それはまだまだ「本物の世界」の大きさにくらべたら
微々たるものなのだろうと思う。
所詮、世界中を一人の人間の手の中に収める事なんて出来ないことなのだ。
こどもの頃はかったものさし。畏敬の念、感動する心、それは大人になっても決して
忘れてはいけないもの。



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