見えない世界がなんとなくあるんだろうなぁ
と感じながら、どんどん暗闇の中へと突き進んでいた。
方向が間違えていると気づき、まず自分の足元を見ることに決めた。
結婚し、長女を授かり、さらに次女も授かった頃
整体の仕事をしていた。
体の不調と「心」は切り離して考えられない
という思いから、整体の仕事をしながら「心理学」も学んだ。
この仕事で独立することは難しく、先が見えない、家族を養っていけるのか?
としばらく悩みながら仕事を続けていた。
すると、
当時の社長から「デイサービスを立ち上げてみないか?」
というお話をいただいた。
デイサービス
介護の世界
は全く知らない世界だった。
立ち上げのためのリサーチをしているうちに
「介護」こそこれから絶対に必要な仕事じゃないかー
という気持ちになっていった。
0から素人がデイサービスを始めることは容易ではない。
整体の仕事で一生家族を養っていく自信はない。
少ないお給料だけど、介護の世界へ転職するのは今しかない。
もう39歳になっていた。転職のラストチャンス。
社長にはとてもとてもお世話になったけれど、思いを伝え、介護職へ転職する決意をした。
妻もドン!と背中を押してくれて、一生懸命介護の求人を探してくれた。
そして、なるべく条件の良い、続けられそうなオープニングの介護施設を探し当ててくれた。
転職後はとにかく3年。
介護福祉士国家資格の受験要件を満たすことのできる3年は絶対に何が何でも続ける覚悟で働いた。
まだ転職して3ヶ月も経たない頃だったと思うけど、夜勤中に入居者さんが転倒。
センサー音が鳴ると同時に居室へ向かったが、途中で「ドシンッ!」と鈍い音が・・・・
救急搬送・・・・大腿部頸部骨折・・・・入院。
ご本人に申し訳がなく、ご家族に申し訳がなく、心が折れそうになった。。。。
「そんなこと気にしていたら介護職なんて続けられないよ!」
と妻の一言。キツかったが、その通り。ここは踏ん張った。
なんとか3年続けて、介護福祉士国家資格取得。
管理者のお声もかかった。
荷が重く、転職。
自宅から徒歩10分の介護施設へ。
かっこいい言葉で言うと
ライフワークバランス
ってやつを真剣に考えた。私の場合、
ライフ7:ワーク3
くらいじゃないと、続かないな、と実感。
夜勤のある特養で2年、キツかったけどライフの時間はたくさんあった。
その間に介護職員処遇改善の手当など介護職になりたての頃よりは
介護職の待遇もだいぶ良くなってきた。
転職して本当によかったな。
背中をドスン!と押してくれた妻に感謝だな。
と思っていたら、施設長から「デイサービスの生活相談員になってもらえませんか?」と声をかけられた。
寝耳に水
正直「特養キツイなぁ〜」「夜勤は嫌だよぉ〜」「怖いよぉ〜」と我妻善逸の如くギャーギャー心の中で叫んでいたので、二つ返事でOKしたかった。
が、妻にこの話をしたら猛反対。
夜勤がなくなるため、収入が下がることが問題だった。
この話を正直に施設長に話したら、収入は下がらない条件でデイサービスへ異動となった。
過食症に悩んでいた暗黒時代
必死にもがいてもがいて「自分が」「自分が」と暗闇の中を突き進んでいた。
足元の仕事や家庭をないがしろにして、
・楽に生活できる方法
・好きなことを仕事にして
・セミリタイア
そういうストレスフリーな生活ができれば「過食症」も良くなるという幻想を抱いていたおバカな私。
「内在神」と言う自分の中に光が在ることを知ってから少しずつ
・目の前の仕事
・家庭
に根を張って生活するようになっていった。
今は昼間しっかり働いて、夜はちゃんと眠れる生活。
夜9時までには食事を済ませられる生活。
日曜日は必ず休み。
年末年始も休める。
自宅から徒歩10分。
家で過ごせる時間も多い。
本当に有難い環境だ、と心から感謝しています。
真っ黒黒の暗黒時代
真っ暗闇に現れた「光」。
それは「内在神」という
すでに自分と共に在る
自分の「良心」でした。
自燈明
幸せの青い鳥
メガネ、メガネ。。。笑
こんな感じの自分史シーズン2は「内在神」という存在に気づかせてもらってからの15年間のストーリー。
これからも大変なことはあるのでしょうが、自分の「良心」さえ見失わなければ
なんとかなるのかな、という自信にもなった。
つづく。
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