夜桜や 夢に紛れて 降る、寝酒・・

観念らの規定性らによる、事象らの成り立ちようらへの解枠にも絡めて、 天下経済系の可能的な成長の度合を増すべき事らを述べる

観念な属性らから構成されて観られる現象としての、 光や、質量やら。 数千人以上の日本国民たちを監禁している、シナ

2017-04-16 14:28:54 | 政治・経済
【 日本の主権者として、 日本国民たちの各々は、 自ら進んで、 自らへ押し付けられてある、
デフレ不況性を解消し、 自らの防衛性の度合いを飛躍的に高める為にも、 日本国民たちの足元の、
地下へ、 避難経路らと、 快適に住める避難所らとを、 作り拡げる、 公共事業らを成さねば成らない、
利害関係性を押し付けられて在る 】。


ネット記事+論弁群+;

@ 物質は、 光の速度に到達すると、
質量が、 無限大になり、

光速を超えられない、 と、 聞きましたが、

宇宙空間のような、 無重力の状態で、
質量が、 物質に、 どんな影響を与えて、
光の速度を超えられないのか、 わかりません。

知識の少ない、 わたしに、 どなたか、 教えていただけませんか?



◇ 質量ってのは、 「重さ」じゃないんです。

重さは、 例えば、 地球上に立っていると、
ある物質の質量に応じた地球の引力で、
「重さ」になるんですね。


例えば、 宇宙ステーションでのように、
「無重力」状態にあると、

物質に、 重さは、 ありませんので、

空中に、 ものを持ち上げて、 手を放すと、

そのまんま、 そこに浮かんでいます。


重力が、 0だからですね。

でも、 質量は、 あります。


宇宙須停所内で、 宙に浮いている、
直径が、 10cm の、 スポンジを掴 ツカ んで、
引っ張ると、 たやすく、 手元に持って来れるでしょう。


でも、 直径が、 10cm の 鉄の玉だったら…

やっぱり、 宙に浮いていますが、
そいつを手元に引き寄せようとすると、

「 ぐっ 」 、 と、 手応えがありますね。


もしかすると、 体の方も、玉に寄せられるかも知れません。 質量とは、 そう言う事です。


さて、 宇宙空間の無重力状態でも、

鉄の玉なり、宇宙船なり、惑星なり、
なんでも、 物体を動かそうとすると、

その質量に応じた、 エネルギー

≒ 物、を、 ある一つの向きへ、 動かす、
という、
物理学における意味においての、 『 仕事 』 、
をする、 『 能力 』 、 が、
必要になるんです。


一度を、 力 ( エネルギー ) を与えて、
それっきりで、良いのなら、


物体は、 『 等速運動をします 』 。


でも、 光の速度に近づけようと、
どんどん加速するためには、
ず〜〜っと、 力を与え続けなければなりません。


ところが、 物質は、 一定の質量ではなく、
速度が上がるにつれて、
それ ≒ その質量 、 が、 大きくなるのですから、 それはもう、 大変です

( もっとも、 光速の80%ぐらいにならないと、
激増と言うわけではないのですが ) 。


そして、 質量が無限大になったら、
もはや、 それ以上に、
加速するエネルギーを与えられないんです。


それには、 エネルギーもまた、 無限大のが、
必要ですから。



◇ 質量が無限大になる, というのは、

ニュートン力学での、 運動量
( 質量 ✖ 速度 ) を見る目で、

相対論的現象を見ているためで,
現在の相対論上は、 質量は、 定数です。


速度が、 【 光としての属性らを、
我々の各々の観念らの成り立つ場で、 観念な事らとしても、 与えられてあるものが、 移動してあるさまに観られ得る現象を成す事らにおいて、
いつも、 観測させる、 その移動の、 ある初めから、 ある終わりまでの距離を成すに至るまでの、 その距離、と、 時間の量として度合いとの、
関係性である 】 、

光速に近づくと、

単純な、 質量 m ✖ 速度 v よりも、

運動量が大きくなっていきます

( mv / √ { 1 - ( v / c ) ^ 2 } )。


これを、
「 運動量は、速度に、単純に比例してはいない 」、 と、 解釈するのではなく、

「 速度vでは、 質量mが、
m / √ { 1 - ( v / c ) ^2 } に変化する 」、
と、 解釈すると,

光速に近づくと、

【 その現象を成立たせて観せる事へ、 要りような、 エネルギーの全体にも相当する 】 、

質量 、 が 、 無限に増える事になる訳です。


相対論が言うのは,

光速に近づくと、 運動量も運動エネルギーも、
無限に増えていく、 ということだけです。


質量が変わることにすると、
計算過程が、 楽になることが多いのですけどね。



◇ 質量が増えている、 という、 結論を出す前に、
実際に、 質量が増えているか、どうかを、
計算してみれば、 そのように考えられている理由が、 解かると思います。


同じ大きさの力を加え続けると、

古典力学では、 物質は、 同じ割合で、
速度が増していく筈でした。


実験らの結果においては、

そうは、 なりませんでした。


光速度に近付くほどに、
速度の増加の割合は、 減少してゆくのです。


加えられた力は、 どこかへ消えてしまったのでしょうか。
そんなはずはありません。

エネルギーは、 保存されていなければ、
物理的に、 辻褄 ツジツマ が、あいません。


速度の増加が少なかったのは、 不思議ですが、

質量と速度とを掛けた、 運動量が変わらなければ、 良いのです。


物体に固定されていない座標から観測すると、

加えられた力に比例しないで、 移動する物体は、

その移動の速度の増加分が、 無い分だけ、
質量が、 それだけ、 大きくなっている、
と、 観測されることになります。


【 質量が、 それだけ、 増えているので、
無ければ、 より、 加速されてある事になる筈、
だから 】 。


物体に固定された座標から見ると、

お互いに静止していますから、 質量は、
増えていない、 と、 思えるでしょう。



◇ 【 光子と、 E = mc^2 】 。


光は、 決して、 止まれません。
止まったように見える現象は、 ありますが、
本当に止まることは、 ないんです。


つまり、 光子は、

【 物質 ≒ 粒子 、 としての振る舞いようらと、 波としての振る舞いようらとを、 人々へ観測させ得る宛 アテ ・ 対象 になる 状態で 】

常に、 運動してます。


E = mc^2 ;

エネルギー = 質量 ✖ 光速の2乗 、

という式は、


静止質量と、 エネルギーとの、 関係です。



運動している粒子の関係式は、

E=√{(mc^2)^2+(pc)^2}・・・①

となります。


p は、 運動量です。

ここで、 光子の場合は、

m ( 静止質量 ) = 0 、 ですが、

このときに、
E = pc 、 となり、
エネルギー、 運動量を持ちます。



【 なぜ、 光子は、 黒穴 クラナ
≒ ブラックホール 、 に落ちるのか? 】;


観測事象らに基づいてある、 アインシュタイン氏らによると、

『 時空が歪んでいるために 』 、

光の

【 ある何かが、 光としての属性らを観念させ得る状態で、 ある位置から、 別の位置らへ、
移動してある、 と、 観える、 現象を成す場合において、 それが、 より、 初めの位置から、
より、 終わりの位置まで、
進んでゆく様を成す、 その 】

経路が、 湾曲します。


その経路を、 『 測地線 』 、 と言います。


測地線とは、 推進力のない粒子
( 光子らの各々に、 限らない ) が、
進む経路のことです。


ブラックホール内部の場合においては、

その測地線の向かう先が、 すべてが、
ブラックホールの中心になってしまうのです。


どう運動しても、 必ず、 黒穴の中心へ向かうしかないのです。


さらに、 上記の通り、 光は止まれません。

なので、 時間が経過するたびに、
黒穴の中心へと、 確実に近づいてしまうのです。


測地線については、 難しく考える必要は、
ありません。

真空中で、 ボールを投げた場合に、
ボールが辿る経路が、 測地線です。


【 光らの各々なり、 その全体な波なりが、
ある、 より、 初めな位置から、 より、 終わりな位置へと進んでいる様に、 人々へ観させる、
現象を成す事において、

その光なるものが、 進む、 道筋らは、
黒穴らの各々へ連なってあり、
その事は、 観測事実らと合致してある由 ヨシ 。

時間の量としての度合いと、 距離の度合いとの関係性においても、 質量らや、 運動らに、 それらの度合いら等を定義する場合には、
そのどれ彼らの関係性と、 その他の何彼らとの関係性との、 辻褄を合わせる必要性を生ずる事にも、
成る。

時計的な、 観念な時間、 時間の相、 との関係性で、 辻褄を合わせる場合には、
時計的な、 時間の相らを列ね合わせて観る事に置いて、
時間の進む速さを緩めたり、 速めたりする事にも、 成る。

これは、 機械的に成されてある、
観念らへの、 観念らでの、 操作でもある 】 。



・・ ◇ 【 重力波、 重力子とは、 何か? 】 ;

時空の歪みが、 周囲に伝わる場合においては、

さざ波のように、 時空が振動します。


≒ 観念な、 時間の相らと、 空間の相らとが、
そうしたものとして、 関係付けて観られる 。


これが、 重力波です。


重力波の存在 ≒ 在る事や、 在りよう 、
は、

連星中性子星への観測から、 間接的に、
実証されてます。


重力波を、 量子化したときに現れるであろう、
素粒子、 が, 重力子です。


このように、 力を伝える粒子を、
『 ゲージ粒子 』 、 と言います。


しかし、 時空の量子化に成功した理論は、
ありません。


電磁力、 強い力、 弱い力、の、 ゲージ粒子ら

≒ 働きらが在る様らを観させる、 動的な位置ら 、 は、

発見され、 そのメカニズムも、解明されてます。


しかし、 重力と重力子に、 このアナロジー
≒ 類推 、 を適用すると、
理論が、 破綻してしまうんです。



◇ 【 重力波、 重力子は、 ブラックホールから、 出れるのか? 】 ;


私も、 以前に、 気になって、 色々と考察しました。
結論は、 「 出られない! 」 、 です。


ブラックホールが形成されると、

重力波たちも、 内部に、 閉じ込められてしまいます。
外へは、 出れないのです。

内部で、 いくら、 重力波が発生しても、
外部へは、 伝わりません。


ここで、 重要な事は、

静的 ( または、 球対称運動 ) な黒穴
≒ ブラックホール 、 の、 周りの時空は、 変動せず、

時空の歪みも、 固定されているために、

重力波 、重力子も発生しない、 と言うことです。


ブラックホールが、 何かを取り込み、

時間的に、 重力場が、 非対称に変動した場合に、 それらは、 発生するのです。


この場合においては、 ブラックホールの外側の時空から、 重力波が生じるのです。



◇ 【 重力波の速度は? 】 ;

物理学を知っている人にとって、
非常に興味深い事は、

重力波らにおいては、
位相速度、 と、 群速度が、 共に、 光速だ、
ということです。

速度分散が、 ないんです。


これが、 意味する事は、
光なら、 水や空気で、 屈折するのに、
重力波は、 屈折しない、 と言うことです。


常に、 光速で伝わります。


さらに、 あらゆる物質らを素通りします。

恒星だろうが、 銀河だろうが、
何もないかのように、 通り抜けます。


そのために、
重力波への検出に成功し、 アンテナの感度が、
向上すれば、

超新星爆発の中心部の様子や、
ブラックホールの形成の過程に、
はては、 宇宙の極初期の状態が、 手に取るように、 分かるはずなのです。


現在に、 世界中で、 重力波アンテナが稼動中ですが、
未だに、 検出に成功してません。

それでも、 希望的観測をするなら、
20年以内に検出できるのではないか、 と、
思います。



☆ ブラックホールに限らず、
質量が存在すれば、

その周辺の空間は、

【 観念な属性らの宛 ・ 対象に成ってある、
物理的な、 観念な、 運動の相らと、 空間の相らとの関係性において 】

ゆがんでいます。


これが、 重力場です。


重力場の中を真っ直ぐ進むと、
空間のゆがみのせいで、 軌道が曲がります。

これが、 重力による影響です。


光子の質量があろうが無かろうが、
重力の影響を受けることになります。


E = mC^2 、は、
エネルギーは、 質量に比例するよ、
という式ですが、

これは、 静止している場合には、
速度の影響が、 無視できるので

こういう簡単な式になるよ、 という話でしか無く、

光速で運動している光子には、適用できません。


光子の相対論的エネルギーを考えるには、
もう少し、 複雑な式を学ぶ必要があります。


重力の伝わる速度については、

重力の影響は、 重力場という形で、
周辺の空間に、 すでに、 存在しますので

重力場に入ったものは、
重力源からの距離に関係をなしに、
即、 影響を受けます。

質量が変化して、 それが為に、
重力場が変化するときには、 その変化は、
光速でしか伝わらない。



@ 光は、 その質量が、 0 、 なのに、
何故、 エネルギーをもっているかが、
分かりません…。

どなたか、 出来るだけ、 簡単に、 回答していただけませんか?

というのも、 「 ブリタニカ国際大百科事典 」
で、 「 慣性質量 」 、 と、 引くと、


「 振動数が、 V の光は、

エネルギーhv ( h は、 プランク定数 ) の光子で、

その慣性質量は、 hv / c^2 」 、
と、 書かれていました。


等価原理によれば、
慣性質量 = 重力質量 、
ということなので、
いまや、 完全に、 混乱してしまっています。

一つ疑問なのですが、
光子とは、 光を粒子と扱うときの呼称であって、

光と同一のもの
( 正確に言うなら、 光という言葉の一部に含まれるもの ) では、 無いのですか?
もし、 そうであれば、 混同していない気がしますが…。


@ 慣性質量とは、
物体の加速されにくさを表す、 物理量です。


加速度運動するものにしか、
慣性質量は、 意味を持ちません。


光は、 加速度運動をしません。

発生した瞬間から、 光速です。

したがって、 光らを宛にしては、
慣性質量を定義することは、 できません。


定義することが、 できない、というのは、

ゼロ 、 ということとは、 違います。


慣性質量が、 ゼロの物体があるならば、
その物体は、 ほとんどゼロの力で、
無限大の加速度で運動することになりますが、

これは、 光の運動とは、 違います。


ですから、 光の慣性質量は、 いくらか、
と、 問われれば、
定義不能、と、 回答する以外に、ありません。


一方で、 光の質量は、 ゼロ 、 という言い方が、 よく使われます。

この根拠は、
光のエネルギー運動量ベクトルの内積が、
ゼロ 、 であることにあります。


普通の物質であれば、
エネルギー運動量ベクトルの内積は

( 静止質量 ✖ 光速度 ) の、 2乗 、
となるので、

これが、 ゼロであれば、
静止質量が、 ゼロであろう、 というものです。


とはいっても、 これを、 慣性質量とみなしては、 いけません。


光の質量が、 ゼロ 、 といったときには、

エネルギー運動量ベクトルの内積がゼロである、
という以上の意味は、 ありません。


光を相手には、 慣性質量を定義できませんが、
エネルギーを宛にしては、 定義できます。


光は、 他のものに、 エネルギーを与えることができ、
その量を測ることができるから、 です。


光については、 慣性質量とエネルギーとの間には、 関係性が、 ありません
( 今に知られている限りでは、 ですが )。


光子とは、 光を素粒子として扱うときの呼称、です。 光、 と、 同一のものです。



@ 日系アメリカ人の南部陽一郎博士が、
ほぼ、論争に、 区切りを付けたようです。

光とは、 現象であって、 粒子ではない。


ということで、
エネルギーとして、発現しているものらの中の、
一つだそうです。


南部博士によると、
「 質量 」 、 と言う問題ではない。

もともと、 質量をあてることが、 誤りで、
現象だ、 とのことです。


網膜を刺激する現象に、 質量を語るのは、
蝋燭の炎の重さを量るに等しい。

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