おっちゃんでもブログ出来るんや

ゲーム、旅の思い出、日々雑感などなど。

おっちゃんのスマホ遍歴 5

2020-03-28 21:00:43 | 日記
Mimax亡き後、しばらくはZultraだけでしのいでいたがまたぞろ物欲が湧き出し次の機種を探し始めた。
そして見つけたのが、モトローラ社のMOTO X PLAY。
これが 7代目。
こいつがメインでサブZultraというラインでしばらくは使っていたがやっぱり何かが違う。端末としては可もなく不可もなしだが、アカン。
どうも満足できん。

次に見つけたのが、Vernee Apollo Lite。 8代目。



超コスパ機。
こいつは流石に安いだけあってダメダメだった。
特に写真が最悪。Zultraの方がマシだったためドナドナ。
因みに、写真にあるように MadOSを焼いたりして遊んでやった。2ヶ月の短命(笑)

次、9代目。



赤色に惹かれてポチってしまった。
これもあかんかった。
カメラが先代のApolloと同じセンサーで画質も同等。
知り合いがサブ機に欲しいと言ったので、ソッコーで譲る。

10代目。


Huawei Mate9。
自作PCのパーツを買いに訪れたショップの中古品売り場で、おっちゃんを見つめるこの子がおった。
めっちゃきれいやん。
店員サーン、これ見せて!

手にとって見る。
ええやん、ええやん。

傷も無いしほぼ新品。
大きさもええ感じ。
バックを見ると、おおっLeicaのロゴにダブルレンズ。
PCパーツはひとまずおいといて、こっちを衝動買い。

家に持ち帰り早速セットアップ。
何度も言います、この時が幸せを一番感じるときです。

OCNのSIM、64GBのMicroSDを挿入。
SIMカードを自動で認識してAPN設定完了。楽チン楽チン。

ランチャーはお約束のNova Luncher導入。
キャリアスマホと違って余計なアプリはあまり入ってないのがシムフリーの良いところ。

OTAでソフトウェアの更新も降ってきた。

2016年冬に発売された子が半年後に手元にきたわけだが、現在も活躍中。

このブログも、この子で書いている。
19年6月に電池が膨張してだめかと思ったが、メーカーで交換してもらい現在も問題なく稼働中。

負荷の大きなゲームはやらないので十分遊べる端末として重宝している。

少し前に書いたが昨年3月に手術して4月に退院したのだが、実は頑張って手術を乗り越えた自分へのご褒美で、新たな端末が手元にきた。

11代目。
Oneplus 6。


OnePlus7が出たばかりだったので6はかなり値を下げており思い切って注文。
10日くらいで手元に。速いやん。

セットアップ。
何度でも言う、この時が幸せの絶頂。

そして全ての設定を終え、現在に至っている。

現在の状況。
通話、普段使い、ヘビーゲーム、ONEPlus。
ゲーム、ブログ、時々動画 Mate9。
寝床で動画 Zultra。

こんな感じでガジェットライフを楽しんでいます。

アクセス、ありがとうございました。
おあとがよろしいようで(笑)








ビョーキの話、続きの続き

2020-03-21 00:23:49 | 日記
3月20日は手術記念日😇😇

手術室に入ってからの事は正直良く覚えてません。
映画で見たアメリカの薬物注射による死刑みたいに手術台に寝かされ両腕を固定された。💉打たれてからの記憶がほとんど無い。

次に目覚めたのは翌日の夕刻。
何と27時間眠ってた。
その間妙にリアルな夢を延々と見続けたが内容はここでは書けない。
後で聞いたら何度か叫び声を上げて起き上がろうとしたらしい。
目が覚めても、おそらく痛み止めが点滴に入ってるらしく意識モーロー。強烈な喉の渇きがあるがかろうじて出る声で「みーずー」と言ったら、看護師から明日の朝までは駄目との宣告。聞いた途端また眠りに落ちた。
こうしてICUでの闘病が始まった。
このときは気づかなかったけどベッドサイドに嫁はんがおったらしい。

術後3日めの朝、意識もはっきりしてきて水も飲ませてもらえるようになったが、摂取量は厳密に管理されていて、1日吸飲みに二杯程度。一口目の旨さが筆舌に尽くしがたいほど。
朝一番で嫁はんが現れ話すことができた。

アリャ? 声がめちゃめちゃかすれとる。
嫁はんが聞いてくれたところ、挿管した時に声帯が傷ついているためでいずれ治るとのこと。
顔はともかく、自慢の美声?が台無しやないか! と余計な心配。

嫁はんが言うには、手術は6時ころ終わる予定と聞いていたが一向に手術室から出てくる気配がなく、10時過ぎた頃には半分諦めていたらしい。
11時前にやっと出てきて担当医から説明があり、6時ころに予定通り終わったが出血が止まらない為再度胸を開けて止血処置をしたとの事。
ほんま、ヤバかったやん。
そんなことになってるも、息子と娘は来やがらん!
何たる親不孝者共め😡😤😡😤

3月24日、リハビリ開始。
幼児のように歩行器に捕まりながらヨチヨチ20メートル歩かされる。
ベッドから起きるのも大変やのに歩くんかい。無茶苦茶ツライがな。

3月25日、ICUを出て重症者用の一般病棟に移動。リハビリで歩く距離が徐々に長くなる。ベッドに寝てるぶんには傷口に痛みはないが、やはり動くとツライ。

3月28日、普通病棟に移る。


順調に回復ちう。
ドレンも取れて、腹から出ていた電極線も抜かれ徐々に身軽に。
リハビリは歩行器無しで歩けるようになった。

看護師共も回復の速さに驚くほど。
しかし声が全然出ない。先生には徐々に戻りますよと言われたが、8月くらいまでは森進一状態やった。


レントゲン写真はこんな感じ。
真ん中の6個の輪っかは切り開いた胸骨をつなぎ合わせるためのワイヤ。
よう見たら鉄筋を番線で縛るようなやり方。右下に人工弁が3つ見える。

4月4日、40日以上に渡る入院生活に別れを告げ帰宅した。

因みに退院時の体重がこれ。
183cm 70キロ有ったが情けないくらい痩せて、アフリカあたりの飢餓難民みたいな体になってしもた。


何度も入退院を繰り返し顔なじみになった看護師さん、お馴染みになったのを良いことに我がままも言いました。
ゴメンねそしてありがとね。

これで大団円を迎えるはずが、8月の外来検査で先生から来週一泊で入院せよとの宣告。

ん、どういうコッチャ?

理由は4種類の手術のうち最後のメイズ(心筋焼灼術で不整脈の治療)がうまく行かず不整脈が残ってるそうで除細動をかけるとのこと。
元々メイズは50%位の成功率と言われていたので、まぁしゃあない。

てなわけで、電気ショックをやって今日現在も無事生きとります。

お・し・ま・い





ビョーキの話 続き

2020-03-20 09:49:45 | 日記
年が明けて2019年。
1月1週目からまたぞろ呼吸が苦しくなって、病院が始まるやいなや外来に。
即日入院を言い渡され病棟へ。

今回は嫌に熱っぽく体温を測ると37度を超えてるやん。念の為検査をするとあんに違わずインフルエンザ。すぐさま個室に移動。差額無しで個室を専有、ラッキーって言っとる場合か!
3日後にはインフル感染者が増えたため、全員大部屋に移動させられたのはご愛嬌。
肺に溜まった水も順調に抜けて10日ほどで退院。

そして運命の2月26日を迎える。

3日くらい前からまた息苦し我慢できなくなって飛び込みで外来へ。
循環器内科の私の担当医が不在だったため院長直々の診察。
院長は私の病歴を知らなかったため以前のカルテを精査してくれて、

院長「Tさん、非常に悪化してますね。」
私 「どうしたら良うなるんですか? これだけ入退院繰り返して全然良うならんやないですか。手術でもなんでもやって何とかしてください!」
院長「おっしゃるとおりですね。ここまで悪くなると手術しかないですね。検査をするのでこのまま入院してください」

院長曰く、心臓の4つある弁のうち3ヶ所の弁がうまく閉じず血液が大量に逆流しているとのこと。エコーの動画を見せてもらったら初期の頃に比べてかなり悪化してるのが素人目線でもわかるほど。

なんでやねん! 循環器内科の先生そんなこと一言も言うてなかったで。
手術でもなんでもして何とかしてくれてって何度も言うたけど、そこ迄酷くはないですって言うてたやないか!

んな訳で入院生活が始まった。

入院当初は循環器内科が担当医に。顔馴染みのU医師で、「Tさん、しばらくは循環器内科が担当で術前検査しますが途中から心臓血管外科に担当が変わります。ホントに手術するんですね?」
まだ言うとる。
内科は薬で外科はメスで治療、とはよく言ったもんで手術することに不満みたい。

それからは、肺に溜まった水を抜きながら検査検査の日々。
日が経つにつれ点滴の針がさせる場所が無くなりついに首から入れる事に。
それが冒頭に写真。まるでインディアンの羽飾り状態。
なんでも首の血管に15センチ位入ってるそうな。

検査の最後はカテーテルで心臓血管系の造影検査。腕には挿入失敗の跡が。めっちゃ痛かったわ。
街なかで警察の職質受けて腕を見られたらジャンキーと間違われるんちゃう?


この下手くそな説明書はU医師のもの。
これでめでたく?心臓血管外科に引き渡された。

このあと心外の手術担当医(美人女医)から手術の概要説明があり、手術日が告げられた。
手術日は3月20日、そう丁度1年前の今日。

3月16日に詳細説明。
大動脈弁、僧帽弁、三尖弁の置換、形成。メイズ手術4種を同時に行うこと。
正中切開による開胸手術で心臓を一時的に止め人工心肺を使うこと。
時間は5時間位。
なんやかんや説明を受けたが、ドクターXみたいに「私、失敗しないので」とは流石に言わなかった。ほんま言うてほしかった😅

手術前日、剃毛も済まし(恥ずかしいから自分でやった)たら何もやることが無くなったので、持ち込んでいたスマホで万一の時に備えて書き置きをしたためておいた。
あれこれ考えていたらなかなか寝付けなかったので睡眠導入剤をもらい夜中に眠りについた。

3月20日当日、何時ものように6時に目覚めるとトイレを済ませ、ナースステーションで検温、血圧測定、体重測定をやってベッドに戻る。
午前8時頃嫁はんが来たが、息子と娘は来ないらしい。なんちゅう薄情なやっちゃ。

8時半頃ナースが来て、14時位に手術室に入ると告げる。
腹が減っているが食ったらあかんのでどうしようもない。テレビ見たり嫁はんととりとめのない話をしながら時間が過ぎていく。

ヘルニア手術のときもそうだったが、手術の前っていうのは執行を待つ死刑囚みたい。

いよいよ時間が来て看護師が迎えに来て出発。同室のオッサン連中に「ほな、行って決まっさ」と挨拶して嫁と一緒に手術室に向かう。
頑張ってなと言う声を聞いて「アホ抜かせ、ワシが頑張ってもしゃあないんや。頑張ってもらわなアカンのは医者の方や」と腹の中で毒づくも、勿論声には出さない。
手術室に向かう途中、出会う看護師みんなから頑張ってと声を掛けられる。
最後に会ったS看護師長が一言「Tさん、手術痛いよぅ」って言いやがった。
いらんこと言うな、わしゃただでさえ怖がりやのになんちゅう事言うんや。

手術室の二重扉の前で嫁はんと別れ、看護師も手術室の人と交代いよいよ人生で一番長い日が始まった。



つ・づ・く...


閑話休題でビョーキの話

2020-03-20 00:05:15 | 日記
スマホの話は休憩。
6年前の今日、夜半より息苦しくなって明け方にはどうにも我慢ができなくなって🚑を呼ぶ羽目に。
病院につく頃まで意識は有ったが🚑から降ろされた頃意識喪失。
次に目覚めたら酸素マスクをつけられ、腕には点滴、尿道にカテーテルというスタイルでベッドに横たわっていた。
あと10分遅ければ危なかったところを何とか持ちこたえることができた。
病名は心因性の肺水腫。肺に水が溜まって呼吸困難を起こしたそうだ。
この時、水に溺れて死ぬのはこんな感じやとしみじみ思った。
利尿剤の投与で水抜きをして2週間で退院。

これより毎年恒例のように3月になると入院することになるとは.....

2014年はあと1回、同様の症状で5月に入院。

それから、それから何度か入院を繰り返して魔の2018年を迎えた。

2018年、やっぱり3月に始まり5月、6月、8月、9月と入退院が続いた。
病名はすべて心因性の肺水腫。
担当はずっと循環器内科。
流石におっちゃんも「ええ加減に何とかならんのか?」と担当医に食って掛かったりしてた。
とにかく水分を排泄する為、バカ高い利尿剤を処方されていたので、毎月の薬代がトンデモナイ金額に😭😭
腎機能が低下したため、身障者手帳3級に認定された。

10月半ば今度は右下腹部に違和感があり、近所の医者に見てもらうと鼠径ヘルニア、所謂ダッチョ。
次の日総合病院に入院。
ネットで事前に調べたら、日帰りで手術できるらしいので気楽に考えていたら、おっちゃんの場合は抗凝固薬を服用しており尚且、腎臓心臓も不安があるので腹腔鏡手術は不可。開腹手術で行うとの事。抗凝固薬の効果がなくなるのを待って手術となり2週間の入院となった。

そうして2018年も暮れていった。

つ・づ・く

おっちゃんのスマホ遍歴 4

2020-03-19 13:14:36 | 日記
しばらくはMi5とZultra2台持ち。Zultraはテザリングだったが面倒になってZultrauにもSIMを入れることにした。通信料金のことを考えてこの際キャリアも乗り換える事に。OCNモバイルにMVNO。通話シム×1とデータシム×2を契約。通話シムはMi5にデータシムはZultraとその頃手に入れていたLenovoタブレットに入れ3台持ちで運用を始めた。
仕事に出掛けるときはMi5とLenovo、家では机上でLenovo、寝床でZultraこんな感じで半年くらい続いたときネットで理想的な中華端末を発見。
冒頭の写真にある6代目Xiaomi Mimax君。

6.44インチ FHD IPS液晶

4850mAh大容量バッテリー

Japan Band対応

Snapdragon 650・1.8GHz 4G LTE対応 SIM free 2 Slot・1600万画素 カメラ・RAM 3GB ROM 32GB


ええやんコレ。
Mi5を使ってるのでXiaomiに不安は無く、このときは中国の通販サイトが一番安かったのでGearBestで購入。1週間くらいで入手。
手元に来たときはちょっとカンドー。
ええ、メチャええやん。
液晶も綺麗しサクサク動く。
早速セットアップ開始。
この時がガジェオタにとっては至福のとき。
一通りセットアップを済ますとこの時点でMaxの虜に、そして6代目のメイン機に決定。
しばらくして、Mi5君はドナドナ (^^)/~~~

Max君には本当に色んな経験をさせてもらった。
中でもROM焼き。ZultraがあったのでROM焼き失敗して文鎮化もしゃぁないと覚悟を決めてLineageOSを焼いてみた。
Boot loaderアンロック
TWRP導入
などなど、調べながらもなんとか文鎮化せずにROM焼き成功!
慣れた方ならなんの事が無い作業も年寄りにはなかなかハードやったわ。

この子はホントに使い倒した。

ある夏の夜、寝床でこの子を使ってゲームをやっていて寝落ちしてたらはだけた胸が異様な熱さに見舞われた。
胸の上にあったMax君が異常発熱で妊娠状態になってるやない!
慌てて電源落とし改めてよく見ると液晶画面が割れる寸前まで膨れ上がっとる。
電池がもう爆発直前状態。
Mi5を修理してもらったお店はもう無くなっていたので自力で電池交換に挑戦を決めた。

ネットで情報を集めなんとか出来そうなので交換バッテリーを注文する前に一度分解してみようとやり出したが、いきなりパシっと音がして敢え無く液晶画面が割れる。
アリャリャ、こらあかんがな。
元々そんなに高いもんじゃなかったし、液晶とバッテリーを買ってまで自力で修理できないかもとおもたら残念極まりないけど廃棄処分となってしまった。

To be continued!!