こんにちは 〜。
calchoです。
今日は釣りの話。
おっちゃんの生まれた所は、大阪の十三(じゅうそう)って下町。
ちょうど大阪の玄関口梅田の対岸だが完璧下町やった。
家から100メートル位のところに淀川(ホントの名称は新淀川)が流れていて、そこが遊び場でおっちゃんの釣りの原点。
祖父、親父が釣り好きだった影響で、おっちゃんも幼少のみぎりより釣りを仕込まれた。
そんで、この川がおっちゃんの釣りの学校になった。
小学校の高学年になるまでは、まだまだきれいな川でいろんなものが釣れたし、橋のたもとには多数の貸船も舫ってあった。
爺さんは鰻が専門で、夜暗くなる前に土手から沖に伸びた石積みの隙間にドバミミズをつけた仕掛けを何箇所も差し込んで、朝引き上げると豊満な鰻が掛かっていた。
これで鰻は買って食べるものではなく、取って食べるものと刷り込まれた(笑)
で、おっちゃんはというとシジミ取りに始まって(この頃はめちゃくちゃ取れた)夏から秋になるとハゼ釣り。
ハゼはいくらでも釣れ、天ぷら、甘露煮で美味しく頂いた。
余ったやつは素焼きにして、カラカラに干しあげて正月のおせちに昆布巻きで登場してた。
夏の夜は、爺さんと違っておっちゃんは投げ釣りで鰻狙い。
投げ釣り言うてもリールがわりの空き缶に糸を巻いて錘と針というとちょー簡単な仕掛け。
これを何セットも用意して、それぞれにアタリが分かるように鈴をつけた30センチくらいの竹ヘラも用意。こいつに糸をセットして土手に差し込んでの待ちの釣りのやった。
欲張ってたくさん仕掛けを投入すると、チリンチリンと鈴がなってもどれがなったかわからず右往左往したこともあった。
親父との釣りは小学校低学年の頃からヘラ釣りに始まり、20年くらい前に神奈川県に引っ越す迄よく一緒に行ってた。
親父の釣りは半端ないくらいのキチが付く凝りようやった。
よくオカンが「お父ちゃんは釣りさえせぇへんかったら、ええお父ちゃんやのに」とよくため息漏らしとった。
親父は酒は好きやったけど外では一切飲まなかった。もちろんギャンブルもせず、すべてが釣りに集中しとったのは、いっそすがすがしいくらいやった。
ある時など、自分が役員をしてる釣りクラブで✈️をチャーターして五島列島に磯釣遠征したのには驚かされた。
その様子は、週間読売で報道されたのを覚えている。
見出し曰く「快挙! 大阪の釣クラブ、チャーター機で釣り遠征」 そんな感じやった。
遠征といえば、五島列島の他にも屋久島、三宅島にも行っとった。ベースは和歌山の周参見、四国の日和佐辺りで週末はほぼどちらかの磯に上がっていた。
おっちゃんも2度くらい連れて行かれた。
我が家には車がなかったんで、列車の移動。
十三から大阪駅に出て、環状線で天王寺駅へ。
天王寺駅発23時くらいだったかの列車で周参見迄行くんやけど、乗客の大半は磯釣り客やったんを覚えてる。
親父は底物(石鯛やクエ)、おっちゃんは何でも釣れたらええって感じで足元でブダイやガシラを虫餌で釣ってた。
2回磯に上がったけどどちらも天候が悪く、昼前に渡船の迎えが来て不満の残る釣りやったけど、親父も不満らしく「お前と来たらいっつも天気悪いやんか」と吐いて、以来二度と誘われなくなった。
親父の磯釣りにはもう一つ思い出がある。
底物狙いの磯釣りの餌やけど、あの頃は結構な餌を使ってた。
それはナガレゴ(アワビのちっこいやつ)やサザエで、石鯛が釣れないと余った餌を持って帰ってくるのでそれを美味しくいただくのが楽しみやった。
だから釣った石鯛よりそっちのほうがええから、ボーズ(一匹も釣れないこと)をみんなが願ってたんは親父は知る由もない(笑)
親父は小遣いが逼迫してくると贅沢な餌はもったいないと考えたのか、ザリガニを餌にすることを思いついたらしく、夜中にザリガニとりを手伝わされたこともあった。
それで釣れたかどうかはよう覚えとらん。

中学にあがるころからになると淀川の水質も悪くなったけど、それなりに魚も釣れたし、食べても臭くはなかった。
が、残念なことに堤防の工事が始まり土の堤防がコンクリに覆われ徐々に姿を変えていくことになる。
高校生になるとなんか釣りから離れるようになり、ガキの頃からの連れとつるんで、あんな事やこんな事をしとったけどここでは書くわけにいかん。
そうこうしてるうちに、あっというまに大学受験になり勿論合格するはずもなく、敢え無く浪人生となった。
予備校に通いながら、その年始まった大阪万博のドイツ館にバイトの口をみつけ連れと3人で潜り込んだ。
結局閉幕までの半年間バイトに明け暮れて本格的に受験勉強を始めたんは9月も終わり頃やった。
翌年の春、なんとか潜り込んだ大学は学園闘争の真っ只中。
学内で内ゲバ殺人がおきたりして無茶苦茶な有様。
授業もあったりなかったりで混沌としとったな。
二十歳の年に、住み慣れた十三から甲子園球場に近い西宮に転居。長年の長屋住まいから戸建て(それも注文建築!!)で一人部屋を与えられた。
十三の家は三軒長屋の借家で、四畳半二間+六畳+台所に両親と姉妹おっちゃんがひしめき合って住んでたから、それに比べたら天国みたいなもんやった。
釣りの方はというと、海釣りから渓流に軸足を移した親父とハエ(関東で言うオイカワ)、アマゴ(関東で言うヤマメ)釣りと行くようになった。
勿論ヘラ釣りもやってたけど、そのヘラ釣りで衝撃的な出会いがあった。
あるダム湖でヘラをやっていると突然水面がざわつき出した。
多数のワカサギが水面を飛び跳ねその下で何やら大っきい魚が走り回っとる。
「何やろ?」って思っとるとおっちゃんの浮きがスッと沈んだ。
慌てて合わせをくれてやると掛かったけど、えらい引き様。
どない考えてもヘラではなさそうやけど、ヘラやったら大きいのがスレで掛ってる感じ。
糸鳴りする程走り回っとるが次第に寄って来たと思ったら、突然水面から魚が躍り上がった。
えええ、何やこいつ? 見慣れん魚がハリ掛かりしとるやない。
それも背中にスレで掛かっとる。
ようようの事でタモに収めた魚は25センチくらいの緑色で横縞のある奴。顔はスズキに似てるけど初めての見る魚やった。
後ろで人の気配がしたんで振り向くと、見慣れん格好をした兄さんが立っていた。
その人は手に、短いリールの付いた竿を持ち竿先には何やら疑似餌みたいなのが付いとる。もう一方の手には銀色の金属製と思われるボックスが。
もの問いたげなおっちゃんに、「それブラックバス言うんやで」と声をかけてきた。
元来いやしいおっちゃんは、「これ食べれます?」って聞いてしまった。
「ウン、スズキの仲間やから美味しいっちゅう話や。オレは食べたことあらへんけど」、、、、
これが初めてのバスとの出会いやった。
のちのちこいつにどハマリすることになろうとは、このとき夢にも思わんかった。
一緒におった親父も物珍しそうに魚とお兄さんを交互に見てた。
家に帰ってオカンに魚をみせると「ほぅ、美味しそうな魚やな」と早速煮付けに(笑)
その日の夕食にはバスの煮付け、ヘラブナの洗(キレイな池のヘラは旨いねん)が出たのは言うまでもない。
オカンは「美味しい美味しい」言うてバスを一人で食ってた。
それから数年、バイトに麻雀に明け暮れてめでたく大学を除籍され、バイト先にそのまま就職してもうた。
ここでもう一つの出会いが。
取引先の担当者が大の釣り好きで意気投合、そこから釣り熱が再発してしもた。
F氏は滋賀県の近江八幡出身で大阪市在住ということで、春になると氏の地元で渓流のアマゴに始まりモロコ、小鮎と足繁く通うようになった。