2011年3月11日14時46分に発生した東日本大震災の発生から、今日で1年が経過しました。忘れる事は出来ません。日本の観測史上最大マグニチュード9、0という大地震は大津波を引き起こして東北地方の太平洋側に甚大な被害をもたらしました。
岩手県交通が運行している池袋駅西口~釜石営業所間の夜行高速バスに「けせんライナー」というのがあります。東京都の池袋から岩手県内陸の一関、千厩を経由し、沿岸部の気仙沼(宮城県)、陸前高田、大船渡を経て釜石までを結ぶ路線です。3月11日の大津波により、海に近い気仙沼~釜石間はとても大きな被害を受けました。特に気仙川の河口付近を渡る国道45号線の気仙大橋や県道の姉歯橋は崩壊し、気仙沼~陸前高田間の交通は寸断され、上流側へ大きく迂回を強いられます。「けせんライナー」は運休となりました。
被害の大きかった地域だけに運行再開までには時間がかかりました。まず、震災から約1ヶ月が経過した4月8日の気仙沼発から、池袋~気仙沼間のみで運行を再開します。その約2ヶ月後の6月1日の釜石発からは、通行出来ない気仙川の橋を迂回するルートで池袋~陸前高田、大船渡、釜石間を結ぶ、もう1本の「けせんライナー」が運行を開始、「けせんライナー」は先に再開した『池袋~一関、千厩、気仙沼』と、『池袋~陸前高田、大船渡、釜石』の2ルート体勢に分断されて運行する事になりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/7d/4b2edf6d9fe7c66382ff083f4efa5a8e.jpg)
夜の池袋駅西口です。22時50分発の「けせんライナー」釜石行きが停車中です。後ろには23時00分発の気仙沼行きも待機中。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/d2/90946b81967330abe29e4c647f667fd0.jpg)
釜石行きと気仙沼行きで発車時刻が違う旨を知らせる看板が立っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/3f/4e7d3899867c8a3b485cc8e752f91b57.jpg)
バスポールにもお知らせが貼られていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/f2/6279dc5ff201afa5ea91ee18745929db.jpg)
池袋駅西口22時50分発 釜石営業所行き「けせんライナー」
3列独立シート車です。撮影した日は月曜日にも関わらず満席でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/86/b2a5a2826e6a15ea6f2adf1d6bfe9aba.jpg)
一関、千厩、気仙沼の文字の上には紙を貼り、停車しない案内がされています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/ff/9d8ee64658c47092a161ed2724922aaa.jpg)
池袋駅西口23時00分発 気仙沼駅前行き「けせんライナー」
「けせんライナー」の車庫は釜石にあるので分断されてしまった池袋~気仙沼間は4列シートの貸切車で運行しています。
運転席には「路線バス」の文字が見えました。今も週末を中心に混雑する気仙沼行きですが、この日は座席に余裕があったようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/6f/4c7fbe426b2ea8484c8fa72526fe464a.jpg)
正面にも表示がされています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/6c/b74e7a907b982091be05ffc9a245444d.jpg)
2011年7月10日には待望の気仙大橋の仮橋が開通し、気仙沼と陸前高田間を迂回せずに通行できるようになりましたが「けせんライナー」は2ルート体勢を維持します。被災された方ばかりではなく、復興作業に関わる方、ボランティアの方など、多くの方々が利用しました。2012年1月にはNHKで「池袋発三陸行き 夜行バス物語」が放映され、池袋から被災地へ向かう人々の様々な人間模様が紹介されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/67/9f00000399b643d56ca31f354ca0e3ff.jpg)
そんな「けせんライナー」ですが、震災から1年が経過し、2012年4月1日からは2ルートを統合して1往復体制に戻る事が決まりました。鉄道の復旧した気仙沼までの便と、復旧していない陸前高田や大船渡への便では、どうしても乗客数に偏りが出てしまいます。混雑する時期はこれまで通り増便で対応する事が出来ますし、統合する事でバランスの良い輸送力になったと言えそうです。まだ発着出来ない停留所や移転した停留所もありますが、これでほぼ震災前の形に戻る事になりました。
震災から1年間の「けせんライナー」の動きを振り返ってみましたが、東京とこれらの都市を直接結ぶ公共交通機関は夜行バスだけです。東京から見れば地方路線の一つに過ぎないかもしれませんが、被災した地域にとっては大都市と繋がりのある大切な路線です。これから復興が本格的に進むにつれて「けせんライナー」の役割も変わらず重要でありつづける事でしょう。
最後に自らも被災された状況の中で、交通手段確保のために職務に励まれた岩手県交通の職員の方々をはじめ、全ての交通従事員の皆さまに感謝の気持ちを込めたいと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/2d/7534368179849377cd06923cce8bf250.jpg)
「けせんライナー」が池袋駅西口を発車しました。ネオンが輝く池袋の街からは想像も出来ませんが、このバスが7時間後に到着する場所は、復興の進む気仙沼です。
岩手県交通が運行している池袋駅西口~釜石営業所間の夜行高速バスに「けせんライナー」というのがあります。東京都の池袋から岩手県内陸の一関、千厩を経由し、沿岸部の気仙沼(宮城県)、陸前高田、大船渡を経て釜石までを結ぶ路線です。3月11日の大津波により、海に近い気仙沼~釜石間はとても大きな被害を受けました。特に気仙川の河口付近を渡る国道45号線の気仙大橋や県道の姉歯橋は崩壊し、気仙沼~陸前高田間の交通は寸断され、上流側へ大きく迂回を強いられます。「けせんライナー」は運休となりました。
被害の大きかった地域だけに運行再開までには時間がかかりました。まず、震災から約1ヶ月が経過した4月8日の気仙沼発から、池袋~気仙沼間のみで運行を再開します。その約2ヶ月後の6月1日の釜石発からは、通行出来ない気仙川の橋を迂回するルートで池袋~陸前高田、大船渡、釜石間を結ぶ、もう1本の「けせんライナー」が運行を開始、「けせんライナー」は先に再開した『池袋~一関、千厩、気仙沼』と、『池袋~陸前高田、大船渡、釜石』の2ルート体勢に分断されて運行する事になりました。
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夜の池袋駅西口です。22時50分発の「けせんライナー」釜石行きが停車中です。後ろには23時00分発の気仙沼行きも待機中。
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釜石行きと気仙沼行きで発車時刻が違う旨を知らせる看板が立っています。
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バスポールにもお知らせが貼られていました。
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池袋駅西口22時50分発 釜石営業所行き「けせんライナー」
3列独立シート車です。撮影した日は月曜日にも関わらず満席でした。
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一関、千厩、気仙沼の文字の上には紙を貼り、停車しない案内がされています。
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池袋駅西口23時00分発 気仙沼駅前行き「けせんライナー」
「けせんライナー」の車庫は釜石にあるので分断されてしまった池袋~気仙沼間は4列シートの貸切車で運行しています。
運転席には「路線バス」の文字が見えました。今も週末を中心に混雑する気仙沼行きですが、この日は座席に余裕があったようです。
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正面にも表示がされています。
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2011年7月10日には待望の気仙大橋の仮橋が開通し、気仙沼と陸前高田間を迂回せずに通行できるようになりましたが「けせんライナー」は2ルート体勢を維持します。被災された方ばかりではなく、復興作業に関わる方、ボランティアの方など、多くの方々が利用しました。2012年1月にはNHKで「池袋発三陸行き 夜行バス物語」が放映され、池袋から被災地へ向かう人々の様々な人間模様が紹介されています。
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そんな「けせんライナー」ですが、震災から1年が経過し、2012年4月1日からは2ルートを統合して1往復体制に戻る事が決まりました。鉄道の復旧した気仙沼までの便と、復旧していない陸前高田や大船渡への便では、どうしても乗客数に偏りが出てしまいます。混雑する時期はこれまで通り増便で対応する事が出来ますし、統合する事でバランスの良い輸送力になったと言えそうです。まだ発着出来ない停留所や移転した停留所もありますが、これでほぼ震災前の形に戻る事になりました。
震災から1年間の「けせんライナー」の動きを振り返ってみましたが、東京とこれらの都市を直接結ぶ公共交通機関は夜行バスだけです。東京から見れば地方路線の一つに過ぎないかもしれませんが、被災した地域にとっては大都市と繋がりのある大切な路線です。これから復興が本格的に進むにつれて「けせんライナー」の役割も変わらず重要でありつづける事でしょう。
最後に自らも被災された状況の中で、交通手段確保のために職務に励まれた岩手県交通の職員の方々をはじめ、全ての交通従事員の皆さまに感謝の気持ちを込めたいと思います。
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「けせんライナー」が池袋駅西口を発車しました。ネオンが輝く池袋の街からは想像も出来ませんが、このバスが7時間後に到着する場所は、復興の進む気仙沼です。
バスにあっては、その利便性や柔軟性とうい性質からも、期待に応えなければ・・・というプレッシャーもあることでしょう。
並々ならぬ苦労があると思いますが、応援しています!
空白期間がありましたが運行再開したとはいえ3列シートの池袋ー陸前高田・大船渡・釜石と4列シートトイレなし観光車使用の池袋ー一関・千厩・気仙沼に分かれてしまったのですね。
でも来月からもとの池袋ー一関・気仙沼・陸前高田・大船渡・釜石に戻りますので再生への第1歩を歩みだしたのですね。
その間は池袋・秋葉原・上野ー新花巻・遠野・釜石・大槌・(後にですが)道の駅やまだ(山田町)の「遠野・釜石」(国際興業・岩手県交通)がカバーしていたので少しは安心(?)だったでしょうね・・
最後になりますが「けせんライナー」が東京(池袋)と被災地(気仙沼・陸前高田・大船渡・釜石)をつなぐ足として機能することを願います。
仲間や家族の安否もわからない状況下での勤務は辛かったのではないでしょうか。そんな中で果たした仕事は誇りを持っていいと思います。早く落ち着ける日が来てほしいですね。
>宮城交通フォレストさま
運行再開当初は、快適性よりも座席数の多さの方に重点が置かれていたかもしれませんね。発車オーライネットで検索すると、今でも週末は気仙沼1台、釜石4台出ているようです。統合で気仙沼も3列に戻れば、4列よりも車内で体を休めてもらえる事も出来ますね。
ちなみに山田町に延伸した「遠野・釜石」も週末は5台出ている日もあるようです。