拉麺歴史発掘館

淺草・來々軒の本当の姿、各地ご当地ラーメン誕生の別解釈等、あまり今まで触れられなかっらラーメンの歴史を発掘しています。

【追記】旭川<百年>ラーメン物語 ~それは小樽から始まった

2021年09月02日 | ラーメン
【上】旭川<百年>ラーメン物語 ~それは小樽から始まった の『日本蕎麦屋はいつからラーメンを出したのか』の項から続く

※2021年9月2日追記 本稿をWEB上にUPしたのち、本稿内容の確認をお願いした近代食文化研究会様より、日本蕎麦屋がラーメンを出した時期などについて、同会の著書「お好み焼きの物語」(*1)に記述があるとの指摘がございました。同書はボクも所持して拝読させていただいたおりましたが、当該部分の記憶が欠落していたようです。引用させていただきます。

『中華料理の中でもこと支那そばに限っていえば、その普及にもっとも貢献した外食店は、蕎麦屋であったろう』
 
 『作家の平山蘆江(*2)の「東京おぼえ帳」(*3)において、大正時代に蕎麦屋に支那料理が広がっていったさまを次のように描写している』

 『>東村山の貯水池のほとりに一軒、すばらしいそばやふが出来たのは、東京市中のそばやがあら方焼売とチヤアシウ麺に占領されかけた大正末期のことだからすばらしい』

 ということなので、旭川の蕎麦屋で、昭和の初めからラーメンを出したことには何ら違和感はない、ということである。


(*1)「お好み焼きの物語 執念の調査が解き明かす新戦前史」 近代食文化研究会・著、新紀元社。2019年1月刊。 Kindle版にて「お好み焼きの戦前史 第二版」もあり。
(*2)平山 蘆江(ひらやま ろこう) 1882(明治15)年~1953(昭和28)年。
(*3)「東京おぼえ帳」 平山 蘆江・著、住吉書店。初版は1952(昭和27)年刊。2009年、ウェッジ文庫より復刊。