バブル3世の猫バカ一代SE録

猫2匹と鬼嫁との4人9脚の共同生活。 無責任なサラリーマンSEの日記。

ハードディスクの性能計測、エラーチェックができるフリーソフト「HD Tune」

2007年01月31日 10時06分35秒 | 便利なソフト

「HD Tune」

ハードディスク性能を計測できるフリーソフトです。

インストールは、
http://www.hdtune.com/
のホームページで、「Download」をクリックしダウンロード画面に進みます。

インストール方法、簡単な使い方は以下のサイトで説明してありました。
http://saka4ta.net/sakanet/freesoft/fsoft05.html

ちなみに下図がディスクチェックした画面です。
エラーがみつかrました。。。泣

 

 


VBScriptのFormat関数

2007年01月31日 08時44分57秒 | 便利なソフト
通貨記号を使って通貨形式の文字列に書式を変更したい FormatCurrency
日付形式または時刻形式の文字列に書式を変更したい FormatDateTime
数値形式の文字列に書式を変更したい/桁区切り記号を使用して、数値を区切りたい FormatNumber
パーセント形式 (100 で乗算) の文字列に変換し、パーセント記号 (%) を付加したい FormatPercent

ヤフー、フィルタリングサービスを無料提供

2007年01月30日 00時00分09秒 | 便利なサービス

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20070129/259907/

 ヤフーは2007年1月29日、同社が提供するフィルタリングサービス「Yahoo!あんしんねっと」を無料で提供すると発表した。

 Yahoo!あんしんねっとは主に子供にとって不適切なWebサイトをしゃ断するサービス。2006年6月に開始し、これまではYahoo! BB会員とYahoo!プレミアム会員という有料会員向けに提供していた。今回からはYahoo!JAPAN IDを取得した無料会員も利用できるようになる。

 


不二家、諦めと停滞の果て

2007年01月29日 22時57分23秒 | 子ネタ

不祥事の根源は12年前の1月23日にあり

 ずさんな品質管理が相次いで発覚し、消費者の前から商品が姿を消した不二家。「ペコちゃん」で親しまれてきた国民的ブランドは一瞬にして失墜し、創業以来の危機に直面する。突然訪れたかに見える危機も、実は12年前のある日を境に問題が社内で静かに膨れ上がってきた結果にすぎない。

 1995年1月23日――。不二家が定例の取締役会を開く月曜日だった。当時の社長は藤井俊一。創業者、藤井林右衛門の孫で5代目社長。今回の不祥事で退任した6代目社長の藤井林太郎の従兄弟に当たる。その日、東京の気温は10度を超え、春の陽気を思わせた。俊一は、いつものように出社し、いつものように取締役会をこなすつもりでいた。

 

 俊一が異変に気づいたのは、取締役会が始まる直前のことだった。突然、別室に呼び出されたのだ。そこには4代目社長で当時会長だった藤井和郎のほかに、経営を退いていた2代目社長の藤井誠司と3代目社長の藤井総四郎もいた。伯父たちに当たる歴代社長が居並ぶ席で俊一は引導を渡される。

 抵抗しようにも、俊一の知らないところで幹部への根回しが済んでいた。その数日前、不二家のほとんどの取締役は「秘密厳守」で、藤井家の人々が居を構える横浜市鶴見区にあるビジネスホテルに招集されていた。その席で、藤井家の有力者は俊一の退任を予告。かつての上司に「異論はないな」とにらまれて反論できる者はいなかった。

 別室から出た俊一は、すぐに取締役会に臨む。そして最初にこう告げた。「私、藤井俊一は、体調不良につき社長を辞任させていただくことになりました」。円卓を囲む10人余りの取締役の多くに驚きはなかった。目をそらすようにうつむくか、無表情を装って黙っているか。そして、6代目社長に林太郎が選任された。

 社員に向けて社長退任の挨拶をする機会もなかった。社長退任後、俊一が不二家の門をくぐったのは取締役の辞表を林太郎に届けた1回だけ。冠婚葬祭を除けば、藤井家の集まりで俊一の姿を見かけることはなくなった。

 12年前の突然の社長解任劇を同族企業にありがちな骨肉の争いとだけ捉えれば、現在不二家を揺るがす不祥事の根源は見えにくい。5代目社長の俊一が藤井家に疎んじられた理由は、その経営改革にあった。

 「僕の考え方は、能力主義。一族かどうかは関係ない」。俊一はこう公言し、人事に反映した。不二家に40年勤めた元役員は今も俊一の経営を高く評価する。「血のつながりに関係なく、いろいろな人を取締役に引き上げてくれた。僕もその1人。きちんとした会社にしたかったのだろう」。

 労使関係の改善も図った。不二家の労働組合は過激な活動で名を馳せていた存在だった。工場を閉鎖して、店舗の前に赤旗を立てて、社長の自宅に大挙して押し寄せる。そんな組合員を前に、俊一は労使交渉の場を設け、「おまえたちをクビにしない。約束するから安心しろ。もし約束を違えることがあったら、俺のクビをやるよ」と正面から向き合った。こんな姿勢が労組の共感を呼ぶ。「人間として信頼できた」(当時の労組幹部)。社員からの人望も厚かった。

 こうした俊一の経営は、創業者の息子でありながら社長に就任せずに会長になった父、五郎と共通したものだった。五郎は事あるごとに社員に「おまえたちは従業員じゃなくて、従属員だからダメなんだ」と檄を飛ばし、同族経営の弊害を解消しようとしていた。

 五郎、俊一の父子には同族経営からの脱却というほかにも、海外企業との提携を経験した点が共通する。父は米ペプシコとの合弁によるスナック菓子展開を、息子はスイスのネスレとの合弁によるチョコレート菓子展開を、それぞれ担当取締役として導いた。海外に開いた窓を体験したことが、藤井一族の中でも異色の経営観を育んだ。

 こうした考え方は藤井家に容易に受け入れられるものではなかった。五郎が社長になれなかったのも、そのためと見る不二家関係者は多い。まして、俊一は社長。62年に株式を公開したとはいえ、兄弟で社長のイスを持ち回りにしてきた藤井家に「俊一に任せていたら、不二家の社長はいずれ藤井家ではなくなる」という焦りをもたらした。

 「不二家という社名の由来には、世間に知られていない話がある」。不二家の内実をよく知る金融機関の幹部が言う。創業者が洋菓子店を開業するに当たって、藤井と富士山から不二家としたのは有名な話。さらに、「不二家にあっては藤井家以外は家ではない」という意味があると一族から明かされた。藤井家と、そこで働く人たち。80年代になっても、社員を「職人」と呼んで藤井家と一線を画す社風に、この金融機関の幹部は強烈な序列意識を感じた。

 こうした中では、「五郎さん、俊一さんは、不二家では傍流だった」(元不二家社員)となる。「和郎の次、創業者の孫世代で最初に社長になるのは、誠司の息子の林太郎」というのが不二家の“既定路線”だった。これがひっくり返ったのは、82年に「最後の相場師」と言われる是川銀蔵が不二家株を買い占めたことがきっかけだった。

 是川の自伝『相場師一代』によれば、不二家株を取得したのは円高と砂糖市況の暴落に伴う製菓業界の原料安メリットに着目したため。発行株式数の23%を所有して筆頭株主となった是川は、不二家に買い取りを依頼する。しかし、交渉は不調に終わり、不二家株は仕手集団ビデオセラーに渡った。

 当時を知る金融機関関係者によると、86年秋頃、不二家に米国の弁護士から「ビデオセラーが保有している不二家株を米国企業に売却する」との連絡が届く。藤井家は不二家株の買い戻しを余儀なくされた。

 この時に、銀行や生命保険会社から資金を工面したのが俊一だった。この功績が買われて、社長に就任した。もっとも、当時の不二家の状況を考えると、大株主となった銀行や生命保険会社と太いパイプを持つ俊一に藤井家も任せざるを得なかったとも言える。

 株買い占めの処理が一通り済んだ95年。「既定路線への揺り戻しが起きた」(元役員)。それが、俊一の解任、林太郎の社長就任というわけだ。

 「仕掛けたのは、総四郎さんだろう」。当時を知る元役員が重たい口を開く。おとなしい性格の林太郎を社長にして、自らが“院政”を敷く。この過程で、義郎と正郎という双子の息子に社長を譲る道筋を立てようとしていた。周囲がそう見るのも無理はない。

 林太郎が社長に就くと、総四郎は「最高顧問」を自称して取締役会に出席するようになった。そして2003年6月には、義郎と正郎が取締役に選任される。「能力も人望も欠けるのに一族というだけで役員になれるのか、と社内では批判が噴出していた」と不二家を知る多くの関係者が口を揃える。

 この人事で、不二家の社員は俊一が試みた同族打破が、完全に幻に終わったことを目の当たりにしたのだろう。社内には諦めと停滞のムードが広がっていく。「怪文書が社内に飛び交うようになったのはこの頃から」。労組幹部は寂しそうにつぶやいた。

 その当時、社長を追われた俊一はネスレ日本の社長兼CEO(最高経営責任者)を務めていた(その後会長を経て現在は相談役)。ネスレグループに経営手腕を認められ、日本人として初めてネスレ日本のトップに抜擢されたのだ。不二家の元役員は「世界で通用する経営者だったのでしょう」と言う。

 不二家は今回の不祥事で初めて創業家以外から社長が出た。とはいえ、1992年には1300億円を超えていた売上高も、今では850億円弱まで落ち込んだ。信用回復がかなうかも不透明なままだ。一族以外からの社長登用。12年前の取締役会に時計の針を戻すことができるのならば、新社長は今とは全く別の未来を描けていたはずだ。=敬称略

 


プレスリリース

2007年01月28日 16時56分49秒 | SEO

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