ブラジルマニア オ・ペイシ 名古屋サンバ 沖縄サンバ

沖縄サンバカーニバル、名古屋サンバカーニバルへのオ・ペイシの情熱を語っています。世界一、心のこもったカーニバルを!

カーニバル サントスFC応援団

2009-02-27 | サンバ
 私のカーニバル3日目は、サントスFC応援団、トルシーダ・ジョーベン・ド・サントスのパレードでした。

 このチームには、1997年から出場しており、最初の年は、妊娠6カ月の大きなお腹で出ていました。そして生まれた息子が、すでに11歳。今では、このチームでバチバチ、タンボリンを叩いているわけですから、年輪を感じます。

 そして、私がこのチームのコルチ(王室)を務めて、かれこれ8年。いまだに私を使ってくれるチームに本当に感謝をしています。

 沖縄サンバカーニバルで日本に一時帰国をした2週以外は、私は選曲会の段階から全ての練習に出ました。途中、コンテストがあり、自分はもうクビでは、と思っていた時期もありました。

 カーニバル直前には、30年近く出場しているマドリーニャ(見守り役)の大先輩が突然、とあることに怒って「出ない」と涙ながらに抗議をしたり、去年はハイーニャがカーニバル2週間前に病気で急死してしまい、バテリア(打楽器隊)の前で踊るのは、私とマドリーニャの2人きりになってしまったり、さまざまな出来事を乗り越えて、ようやく2009年のこのカーニバルの日がやってきたわけです。

 出発前はジーンとするはずなのですが、8年ぶりのメイン会場、アニェンビーのパレードで、チーム全体がアタフタとしていました。
 また夫も、最前列で演奏するクイッカ11人の面倒やら、他の楽器の人の世話で出発寸前まで駈けずり回っており、実にあわただしく出発したため、感激に浸っている余裕が全くありませんでした。

 バテリアは、パレードコースの途中、20分ほど止まって演奏し、チームが通り過ぎて行くのを見ることができるのですが、そこで初めて、今年のジョーベンは、すごい! と感激しました。参加者の数、大きな山車、ふだん練習で顔を見た、みんなの笑顔。これは、ここ数年にない規模のパレードです。

 しかし、パレード終了後、昔からバテリアにいるメンバーが耳元でささやきました。
 「残念だけど、ジョーベンは下のカテゴリーに落ちてしまうよ。ポルタ・バンデイラ(旗持ち)の衣装が、途中ではずれちゃったらしいよ」

 これは致命的な出来事でした。カーニバルの審査項目九つのうちの一つが、ポルタ・バンデイラ&メストレ・サラ(旗持ちカップル)で、彼らの得点の比重は大きいのです。

 ですが、責任を彼らだけに押し付けてしまうのは、あまりにもむごいことです。
 審査員が、衣装の不備を見ていなければいい・・・ そう願うしかありませんでした。


 

 

 

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モシダージ・アレグレ 優勝!

2009-02-26 | サンバ
 カーニバル2日目は、オ・ペイシの原点である、モシダージ・アレグレのパレードでした。我が家は、このチームに14年前から出場しています。私は、X-9のコルチ(王室)に受かった年は、同じカテゴリーでライバル同士となるモシダージに出ることができませんでしたが、この年以外は13年、毎年欠かさず出場している思い入れのあるチームです。

 前日のペルーシには、客人的な立場で出場したのですが、14年いるモシダージは、我がチームで、自分が率先して頑張らなくては、という気持ちが強くあります。
 長らく私はモシダージの最も伝統のあるアーラ(小集団)の先頭のパシスタ(フリーダンサー)でした。ですが、パシスタは、全体の流れを止めてしまう、という理由で、モシダージでは、アーラ前のダンサーは廃止になりました。
 それでも、私はこのアーラを続けて、毎年出場しており、いつも最前列の左側、というポジションで出させてもらっています。

 今年のモシダージも3,500人の参加者みんながよく歌い、踊り、観客をよく盛り上げました。
 
 パレードの3日後に行われた昨日の結果発表で、モシダージは見事優勝! 14チームどこも本当に力を入れてカーニバルをしているので、優勝を獲得するには、壮絶な戦いを勝ち抜かなくてはならないのです。

 今年のテーマは「ハート」。チームの代表いわく、メンバーに「感動」を与えるために、このテーマにしたそうですが、最高の「感動」をこの優勝で味わうことができました。

 優勝トロフィーが届いた大混乱のフェスタの様子をまた後日、書こうと思います。

 明日は、カーニバル4日目に出場したトルシーダ・ジョーベンの結果発表です。
ドキドキ。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カーニバル パシスタ

2009-02-24 | サンバ
 今年のサンパウロのカーニバル、懲りもせず、私は結局、またしても3チームで出場しました。
 私のサンバ熱狂ぶりを知っているブラジル人は、「アキ、今年は何チームで出るの?」と聞くのが、挨拶がわりになっています。

 金曜日、土曜日、月曜日と3日間のパレードが無事に終わり、とりあえずは安心しています。

 金曜日は、サンパウロのグルーポ・エスペシャル(スペシャルチーム)、「ペルーシ」というチームで出ました。
 このチームには、縁もゆかりもなかったのですが、沖縄のサンバ居酒屋「オ・ペイシ」に以前、来てくれて、よくオ・ペイシの羽根やサンバシューズを頼んでくれる日本の名門サンバチームの方が「パシスタ(フリーダンサー)で出たい!」ということで、私がたどりついたのがペルーシでした。

 彼女の用事でペルーシを出入りしているうちに、ペルーシのサンバやスタッフの人たちに愛着がわき、私もパシスタのアーラ(グループ)で出場することにしました。
 夫や息子には、「余計なチームにまで出て・・・」と、あきれられながら。

 パシスタのグループは、いわゆるサンバステップをたくさん踏んで、自由に大きく踊るところです。このチームのリーダーには、わずかな期間でしたが、サンビスタ(サンバ人)として教えてもらうところがありました。

 衣装が出来上がったのは、パレードの当日で、しかも、かなり強引に受け取りました。このあたりのことも、今度、落ち着いたらゆっくりブログに書きたいと思います。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジョーベンのエンサイオ・テクニコ

2009-02-08 | サンバ
 今日は、サントスFCの応援団、「トルシーダ・ジョーベン・ド・サントス」のカーニバルの予行練習、エンサイオ・テクニコでした。
 ジョーベンで、このアニェンビーの地を踏んだのは、実に8年ぶりのこと。ようやく、サンパウロのカーニバルのメッカ、アニェンビーに返り咲いたのです。

 先週はモシダージの予行練習で、週に2度も来た場所ではあるのですが、ジョーベンとして、このアニェンビーに来たのは、まさに「戻って来た!」という感激があり、うれしかったです。

 気温40度近い、炎天下でのパレード。最後まで体力が持つか心配になるくらいでしたが、もう最後まで行ける、と確信してからは、ペースアップして踊ることができました。

 ついついバテリア(打楽器隊)に酔いしれて、前進するのが遅くなってしまい、アルモニア(統率係)に「早く行け!」と2回も怒鳴られてしまいました。反省反省。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バテリア 練習用の服

2009-02-02 | サンバ
 サントスFCの応援団、「トルシーダ・ジョーベン」のコルチ(王室のメンバー)に選ばれ、今年もバテリアの前で踊れることになったのは、本当にうれしいことなのですが、困ったことがありました。
 それは、セクシー系の練習用の服が私には圧倒的に少ないことです。
 
 特に1位と2位に選ばれた、ハイーニャ(女王)とプリメイラ・プリンセーザ(第一王妃)は、かなりのベテランでサンバは、もちろんのこと、練習用の服がすでに、衣装になっているのです。ハイーニャは、毎週、自分で新しい衣装を作って来ており、プリメイラ・プリンセーザは、おかかえの仕立て屋さんに、画期的なデザインの服を作ってもらってきています。

 私は、街の洋服屋さんで、黒、白、黄色のチームカラーのそれらしき服を探すのですが、彼女たちの間に立つと、どうしても地味になってしまいます。先週の服は、ハイーニャに習い、市販のブラジャーにカーニバル系の装飾を縫い付けました。

 先日のバテリアの練習で、カイシャを叩いていたとき、ポルタ・バンデイラ(旗持ち)の女性が私のところに来て、「楽器を置いて、こっちに来て」と言ってきました。「コルチなのに、楽器を叩いている場合ではないよ」とまた怒られるのか、とドキドキして彼女の呼ぶ部屋へ行きました。

 そこにいたのは、3代前のハイーニャを務めていたお母さんでした。彼女がバテリアの前で踊る人用の練習着を作って来たというのです。私にとっては、救いの神でした。チームカラーの奇抜なミニスカートやミニドレスを次々に見せてくれました。

 ちょっとこれは着れない、という過激な服もたくさんありましたが、バテリア用と割り切って、買うことにしました。値段も街中の服より、全然安いのです。とりあえず、今年のカーニバル用の練習着は、これで何とかなりそうです。

 今度のアニェンビーでのエンサイオ・テクニコ(予行練習)用の服も、前で踊る女の子たちで、色を決めて、それぞれ準備しよう、と言っていたのも、これから布地を買って、仕立て屋さんに頼まなければ、と思っていたのですが、元ハイーニャのお母さんのお陰で、絶好の服を調達することができました。

 カーニバルの舞台裏には、こうしたセンスをもった人がいてくれるお陰で、華やかな世界ができるのだと、本当にありがたく思いました。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする