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自分を探す旅

趣味は何?と聞かれても、自信を持って「これ」ってものはない。このブログを立ち上げる事で見つけられたら・・・

山芋

2012-06-06 06:51:17 | 日記
山芋を植えました。

昨年指の先ほどの大きさの「むかご」を植えたら、半年で写真のようなものができた。


そのまま育てると、下へ下へ伸びて掘れなくなるため、ネットで見つけた栽培方法をとることにした。



少し、傾斜をつけないといけないらしい。



薄く土をのせた上においた。


この上に土をかぶせて、準備完了。

ちなみに昨年の収穫時に切れた端を食べたら、うまかった。

さてどうなるのやら、乞うご期待!


なにわ筋 その2

2012-06-01 23:38:35 | 日記
西大橋駅~なにわ筋~鶴見橋商店街~R26~天下茶屋

芦原橋駅の北です。この辺りは片側3車線あります。真ん中に対面の片側2車線づつ、分離帯がそれぞれその外側にあり、もう1車線ずつ。変則です。


芦原橋駅前の「道の駅」一般的な「道の駅」ではありません。果物屋です。石焼き芋1本150円は安い!


JR環状線のガード下をくぐります。


ふれあい空間「なにわ温泉」 看板はきれいで、古くないようですが、残念ながら閉鎖しています。
平成15年7月オープン 昨年5月に閉鎖だそうです。


じゃりん子チエばりのホルモンやさん テツが出てきそうです。


このあたりは2車線です。あまり人もなく寂しい感があります。


鶴見橋商店街です。東西約1kmにもわたる商店街です。日本で2番目に長いとか。もちろん一番は天神橋筋商店街です。
この商店街の存在を知らない人は多いのでは?
あまりに長くて出口が見えません。



この商店街、ユニチカの前身「大日本紡績」木津川工場に通う人たちの通勤路に、商店が集まったようです。
大衆演劇の劇場もあるようです。


シャッターにモンサンミッシェル修道院が描かれています。他にもスフィンクスや京都の東寺など。
アートジャック実行委員会というのがあって、あちこちの大学生が「世界遺産」を描いたとのこと。モンサンミッシェルは甲南大学、スフィンクスは大阪府立大学だそうです。


おもしろい店名をいくつか発見
またです。堺筋で見かけた「株式会社ほねほね整骨院」に次ぐ株式会社、「勉強堂」
ニューヨークの隣が東京!


国道26号線に出ました。鶴見商店街を出ました。ここから南に下ります。


スーパー玉出。本日何件目かってくらい、あちこちにあります。
外観も名前もパチンコ屋かと思いますよね。
大阪南部でしか無理やろうな。北部には多分受け入れられない。


ニューヨーク、東京なんて小さい小さい。
「世界」だ!


少し暗くて見にくいけど、今度はほんまもんのパチンコ屋さん。「七福神」 縁起もんですなぁ。


天下茶屋までもう少し。
最後も縁起物で締めます。松竹梅最上位!
地名で「松」ってのもすごい。


今回は後半が楽しめました。残念ながら体重はあまり落ちませんでしたが、最近では最長距離でした。

おわり。

なにわ筋

2012-06-01 05:39:17 | 日記
西大橋駅~なにわ筋~鶴見橋商店街~R26~天下茶屋

今日はなにわ筋です。

長堀鶴見緑地線西大橋駅をひたすら南下しました。



「HERZ」 という革製品の店があります。店の中に入ると、革の匂いがいっぱいです。
さい段から縫製まで行う、手作り革製品工房で渋谷と博多にも工房、直営店があるようです。


チョット撮ってみました。設備系の会社だったかな?

で今日もまた出会いました。道頓堀川


なんだかすごい門構え。どこかの宗教法人でしょうか?凡人には近寄りがたい雰囲気です。

大阪木工機械協同組合。組合作るほど木工機械やさんがいるのかと思ったが、ちゃんとHPもあります。
そこでの記事
 大阪木工機械協同組合は、製材、木工機械の問屋街として全国にその名を知られた浪速区幸町に店舗を構える有力問屋13社が、経済的地位の発展向上を目的に昭和38年8月に設立された。
ということです。さすがに大阪。問屋街があるんですね。
 以前みた西長堀の木材市場に通じるのかな。


前も通った(さ迷った)大阪市立難波中学校です。どっかの漫画に出てきた通天閣高校はありませんが、難波中学校はあります。



すぐ南の小学校。災害時避難所に指定されてますが、いろんな言葉で書かれています。これも大阪の一面ですかね。


突如ですがこの続きはまた。

堺筋を歩く

2012-05-31 03:19:45 | 日記

堺筋本町~日本橋~恵美須町

このルートは、景色、人の雰囲気が見事に変わっていく。
堺筋本町~長堀橋はオフィス街。歩いている人たちも「サラリーマン」。

長堀橋~日本橋はだんだん繁華街って感じに近づき、人も多くなってくる。すれ違う人たちも大きく変わり、外国語を話す女性たちや、「チョットお兄さん」って誘う女性もいたり。

日本橋~恵美須町は、急に人も減り、電化製品、プラモデル、DVD買い取り販売などの店が連なり、その筋系の人たちがいたり。

恵美須町の駅上のあたりで通天閣が見えるあたりまでくると、店のシャッターがしまったので、道端で今から就寝といった人がいたり。

見事にその風景が変わっていきます。


さてまず堺筋本町を南へ。「バンコック銀行大阪支店」です。タイ国最大の銀行です。支店数700を超え、海外21支店ってことですが、タイ国内に約700も本支店があるってことで、すごいの一言です。タイ国的には「バンコク」ではなく「バンコック」って発音なんでしょうか。



次に、フランスとイタリアの国旗を掲げた店が。なんだろうかと思えば、
新しい食文化を創造する複合空間「堺筋倶楽部」。
イタリアン・フレンチレストランとなってますが、1階がイタリアンで2、3階がフレンチということで、空間(建物)の中で複合ということです。帰って調べなけりゃ、出てくる料理が複合なのかと勘違いするとこでした。


長堀通を過ぎると、「百姓一揆」って立ち飲み屋の看板。このビルの裏側には、長さ20m は大げさかもしれないが、大手居酒屋チェーン店なみの大きな看板があります。立ち飲み屋には到底思えなかったです。


次は、「シロクマカレー」。東京に2店舗、大阪はここ1店舗。そしてなんと香港に1店舗が開店間際!
お店のHPの地図ではどこにあるのか全く解りません。住所が頼りになります。

かわいいシロクマです。

そうそうシロクマはなぜ大きいか?ベルクマンの法則なんてのがあって恒温動物は緯度が高い所にいるものほどデカイのです。もうひとつアレンの法則ってのもあって、恒温動物は緯度が高い所にいるものほど、耳や足や尾のような突出物が小さくなるのだそうです。だからシロクマは体が大きいが耳が小さいってことになるようです。どちらの法則も体温調節の関係のようです。

人間もベルクマンの法則は当てはまりますよね。赤道付近に住む人たちに比べ北欧やロシア人のデカイこと。なるほどと思います。

一方アレンの法則は? ん~ ここではやめておきます。



次に現れたのが、「ほねほね整骨院」しかも株式会社!?


道の横に少しスペースがあり、石碑が二つ。大きい方は何が書いてあるのかよくわからなかったのですが、小さい方は「皇紀二千六百年記念 大阪市長坂間棟冶」
神武天皇が即位した年から数えて2600年の昭和15年に建てられたものです。

ちなみにゼロ戦(零式艦上戦闘機)のゼロ(零)はこの皇紀2600年の末尾の「0」です。

ここのポケットパーク、何やら異様です。進入口のバリカーが厳重。3種類も入ってます。自転車やバイクで乱入したり、駐輪場とする輩を排除しようとしているのでしょうか。石碑を壊されたら大変ですもんね。
にしても、「ここまでやらなあかんのか」と情けない気持ちになります。


すぐ横が道頓堀川です。写真は堺筋の東方面で落ち着いてます。心斎橋方面の西側は全く違い電飾ですごいことになってますが、写真は撮りませんでした。



日本橋駅を過ぎて、黒門市場の入り口にあるペットショップに目が行きました。
こんな時間(午後10時回ってた)に店を開けておく理由がよくわかりませんが、もしかすると、店の外まではみ出して鳥かごやら置いてるから、店を閉められないとかだったりして。


次に現れたのは、レトロな建物。「高島屋東別館」
南海なんば駅にある高島屋は知っていたが、この東別館って知らなかった。
じつはこの東別館は、元は「松坂屋」で、松坂屋が北浜に移転する前にここにあったようです。移転後の建物を高島屋が買い取って、1階を店舗に、その上を倉庫や事務所に使っている模様です。

また、高島屋資料館ってのもあって、高島屋が集めた美術家の名品などが所蔵されているようで、入場無料で入れるようです。
写真は建物横の駐車場のもので、堺筋に面した側は、歴史を感じる立派な建物です。


最後に、昔懐かしいCMで、「来た!見た!買(こ)うたの喜多商店」。
こんなとこにあったんや!



恵美須町駅南側より駅に降ります。ここまで来ると、通天閣が見えます。カメラの電池切れです。通天閣はまた今度。

吉村昭氏について

2012-05-29 00:27:05 | 日記
ここ2年ほどになるが、作家 吉村昭氏の本をいくつか読んだ。

最初のきっかけは、香取慎吾主演の「黒部の太陽」。黒部第4発電所、黒部ダム建設のための資材搬入路であるトンネル建設を描いた話で、その昔、石原裕次郎が主演した事でも有名だが、それはさておき、この中で、「黒部第3発電所」建設のためのトンネル工事のシーンが脳裏に焼きついた。

現場が熱くて、水を作業員にかけながらの工事で、ダイナマイトが自然発火。

「黒部第3発電所」とは一体何か?

昭和11年に戦時の電力確保という「国策」による悲惨極まりない工事が着工された。これが「黒部第3発電所」「仙人谷ダム」の着工であった。

どんな工事か? それを書いた作家が吉村昭氏。

以下を見ればその概要はわかります。
http://www.shokoren-toyama.or.jp/~unazuki/shiru-kuro3.html

吉村昭「高熱隧道」はこの史実を題材に、死と隣り合わせの作業員と一定の安全を確保された技術者の立場の違い、過酷な工事を完成させるために、作業員とどう向き合うのかなど臨場感あふれる内容でした。

最後の終わり方も恐ろしくて恐ろしくて。

現場監督している人には、一度読んでみてはどうかと思います。

なお、この現場を当時の電力会社「日本電力」より受注したのは最近新潟県で事故が発生した現場を受け持つ「佐藤工業株式会社」。このときは、同時に受注した別の会社が工事続行不可能で降りた後、代わりに請け負って工事を進めています。

富山県が発祥で、黒部川電源開発に携わり、トンネルの老舗会社です。トンネルといえば元オリックスブルーウェーブのパンチ佐藤の出身企業「熊谷組」も有名ですが、佐藤工業の下請けをやってたとのことです。

トンネル工事って鉄道や道路トンネルのイメージがあったのですが、実は日本各地の電源開発にたくさんのトンネルが作られ、そのトンネルを使って、発電所やダムの資材を運び込まれています。ダム完成後は保守点検のアクセス路はもちろん、観光に使われているケースが多いと思います。

もう30年以上前ですが、福島県の奥只見ダムに連れて行ってもらったことがあります。新潟県側から行きましたが、トンネルの多さ、長さに只々びっくりしました。発電用ダムは高低差を利用するため、たいがい道もないような山奥に作るわけだし、当然トンネルが掘られます。

これらトンネル工事で命を落とした数々の人たちの冥福を祈ります。