11月19日、堺駅の観光案内所のお姉さんに、市内の観光案内マップをいただき、3日前に大阪市内でみた「熊野街道」を歩こうとした。が・・・堺市内では切れている。 なんでもはっきりどの道かわからないところは、図示していないとか。市役所は間違ったことができなくて・・・とのお話。
気を取り直して、「紀州街道」にします。
南海堺駅改札の上にある「南蛮屏風」。南蛮人との交易の様子が描かれています。

堺駅を出て、南へ。フェニックス通りに出て、東へ進みます。阪堺線の路面電車が走る大道通りの手前の筋にあるのが、千利休屋敷跡です。


あの天下に名だたる千利休の屋敷跡にしては少しさびしい気がします。
大道通が紀州街道です。

南旅篭町の看板が。街道沿いらしい町名です。旅篭町ってのはないみたいです。
けし餅の看板、堺名物だとか。 老舗も老舗 300年以上前の創業!!

阪堺線から別れて、旧集落っぽい路地へ。何となく昔のたたずまいです。

船待神社。名前の由来は次のとおりです。
「901年(昌泰4年)菅原道真が左遷により大宰府に赴く途中、道明寺にいる伯母の覚寿尼に別れを告げた帰途、船を待つ間、菅原氏の祖神を祀る当社に参拝し、松の木を植え出発したと伝わる。」
しばらく南下すると、もう昔の雰囲気はありません。
石津太(いわつた)神社
これもまた、いわれがすごい。
「伝承では、伊奘諾命・伊奘册命(イザナギ・イザナミ)によって流された蛭子命がこの地に漂着し、携えてきた五色の神石を置いたという。蛭子命が漂着した場所を「石津の磐山」、「五色の石」を置いた場所を「石津」という。鳥居の前の交差点に「五色の石」を地下に埋めたとされる場所があり、その場所を示す地上部分に石が置かれている。」「日本最古の戎社」


石津川を渡り、諏訪ノ森駅へ。今日のところはここまでとします。4.5kmです。
気を取り直して、「紀州街道」にします。
南海堺駅改札の上にある「南蛮屏風」。南蛮人との交易の様子が描かれています。

堺駅を出て、南へ。フェニックス通りに出て、東へ進みます。阪堺線の路面電車が走る大道通りの手前の筋にあるのが、千利休屋敷跡です。


あの天下に名だたる千利休の屋敷跡にしては少しさびしい気がします。
大道通が紀州街道です。

南旅篭町の看板が。街道沿いらしい町名です。旅篭町ってのはないみたいです。
けし餅の看板、堺名物だとか。 老舗も老舗 300年以上前の創業!!

阪堺線から別れて、旧集落っぽい路地へ。何となく昔のたたずまいです。

船待神社。名前の由来は次のとおりです。
「901年(昌泰4年)菅原道真が左遷により大宰府に赴く途中、道明寺にいる伯母の覚寿尼に別れを告げた帰途、船を待つ間、菅原氏の祖神を祀る当社に参拝し、松の木を植え出発したと伝わる。」
しばらく南下すると、もう昔の雰囲気はありません。
石津太(いわつた)神社
これもまた、いわれがすごい。
「伝承では、伊奘諾命・伊奘册命(イザナギ・イザナミ)によって流された蛭子命がこの地に漂着し、携えてきた五色の神石を置いたという。蛭子命が漂着した場所を「石津の磐山」、「五色の石」を置いた場所を「石津」という。鳥居の前の交差点に「五色の石」を地下に埋めたとされる場所があり、その場所を示す地上部分に石が置かれている。」「日本最古の戎社」


石津川を渡り、諏訪ノ森駅へ。今日のところはここまでとします。4.5kmです。