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興味津々

日々思ったことを綴ります

母のことが嫌いです

2024年08月11日 | 65歳未満
初盆のお参りの日を機会に母に一時帰宅してもらうことにした。
施設でどうしているのかと聞くと、あまり良いことは聞かない。大概はベッドに横たわり、スタッフに依存しがちだという。出来るはずの゙ことも、やってもらおうとしがちだと。夜中にお腹が空いたと看護師さん呼び出しのベルを押したり、トイレもさせてもらったり 等。

そんなことを聞かされ、さらに時間を伝えて迎えに行っているのになかなか来ない。車椅子に乗せられて、靴下も履かず杖も持たずメガネだけぶら下げて ようようやって来た。

帰宅してきても、その言動がいちいちに腹が立つ。まず先に鍵を開けて待ってくれている私の夫によそ行き挨拶、◯◯さんすみませんねぇ、って。汗をカキカキ迎えに行った私については当たり前だと思っているのか、待たせておいて、平気な顔で そうやったん?と帰ることを初めて聞くように言っていたのに。

そこからしてデタラメだ、と感じる。

お寺さんを待つ間は 友人に電話。
電話で話したら少しでも元気になるかと思えばこそなのに。
元に元気に話していたのに。

その友人への愚痴を私に話す。
厚かましい人で亡くなった弟をこき使った、こき使っておいて何の悔みやお礼も言わない、と。何で弟が母の友人にこき使われたことになったのか?私はその経緯を知らされていなかった。引越の手伝いをしたらしい。
ということは、母が友人が引越すから一緒に行ってくれ、と言ったのだろう。友人から息子さんに手伝ってくれ、なんて急に言うはずはない、母が友人に息子をアピールするために引き合わせたのだ。そうしておいて、感謝を述べない友人、恩を売れなくなった友人を悪く言っている。寂しい時に電話かけてくれる友人なんてそれだけでもありがたいのに。表面では親しげに話しておいて私に悪口を言う。
そういう母が嫌いだ。
自分の友人関係に子どもを巻き込む。
子どもは自立出来なくなる。私も弟も。

仏間を2階の私のかつての部屋に移されたことも腹立たしい。そうしておいて、2階には上がれないと言う。良く分からない仏壇の掃除やら、弟が布団引きっぱなしにしていた仏間の片付けやら掃除やら お寺さんが来る準備やら全て私にさせておいて 前回はさらに当座になってから、お寺さんのおしぼり持って来いだの襖は閉めろ、開けろ、と色々指示して来る。そしてお寺さんにいくら包むのかと聞いてもわからない、と答えなし。

今日は2階に上がる際に階段の最後の段を上がった後、動けない、と到着したお寺さんの前で どうにもこうにもならなくなった。上がってしまっているのに、私は下から拝んでおく、とか 手を引っ張ってくれと言っておいて引っ張るとイタイッと言う。体が動かないのではなく、ヒステリーのようになっているように感じる。そんな時に、母の言うようにお尻を押したり出来ない私に怒ってくる夫にもウンザリ。ともかくも欠点のある、時に私に冷たく感じる夫ではあるがこの夫がいないと私は前に進めない。依存しているのである。母はそれを知っていて、こんな(ダメな)娘だけれどもよろしく、と夫に媚びるように挨拶する。

施設のことも文句タラタラである。
1人で怖い、誰も助けに来ない、ご飯が少なくてお腹が空く、朝の5時にカーテン開けられる、体操も何にもしてくれない、新聞なんて来ない、そんなん嘘や、
とどこまでが真実なのか分からない愚痴を言った後、そんなこと言っているなんて言わんといてや、とトドメを刺す。

ポータブルトイレに関しても、歩けるのにわざわざ使っているように思える。ポータブルトイレを使った後起き出してきて、ブツブツ自分はおかしいとか何とか言いながら 母の寝ている間に買っておいたゼリーやらジュースを冷蔵庫から出して口に入れている。私はテレビを切ってその場を離れた。スプーンを出す気も起こらない。勝手にどうぞ、もう姿も顔も見たくないです、って感じになってしまう。母が足を引き摺りながら寝に行った気配をみて、食堂を見に行くと やっぱり食べた後のゼリーの入れ物は置きっぱなし、ティッシュの丸めたのがあちこちに、電灯もつけたままである。毎回ティッシュの片付けである。私がするのが当然のように。

こういうことだから私はどこに行っても他人に使われる立場になってしまうのか。

施設でポータブルトイレの処理や掃除をしている人に何かあげたら良いかな、と言う。例えばお金を小さな袋に入れて渡すとか、500円とか…。って。私はもうそういうのに付き合いたくない、それが常識なのかどうなのかも分からない。ヘルパーさんにちょっとしたものを買ってきて、とか、そういうのも色々過去にしたけど もう疲れた、渡しそびれたとか、そういうのも もうイヤなんだ。母の思いつきのような他人との付き合い方に巻き込まれるのは、害あれどほとんど利がない。
ほとんどが不愉快な思い出である。

そんな大嫌いな母なのに、どうか幸せの方向に向きなおって欲しいと真剣に願っている自分がいたりする。本当にどうしようもない。
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ご先祖の納骨が終わりました

2024年08月05日 | 65歳未満
祖父母が共に遠方の県からやって来て 何度か市内の借家を経た後、落ち着いたのが現在の実家の始まりだ。
祖父は 里子に出されて育てられ高等師範出身の教師だった祖母の支えもあり、苦学の末に地位を得た。私の子供の頃は祖父の知人やお弟子さんと言われるような人達が母屋に出入りするようなそんな家であった。私はその家の初孫である。祖父が帰宅すると脱いだ帽子を幼い私に被せ、学会でもらって来たであろう造花やプラスチック製虫めがね付きの小さな定規のついた名札を土産にくれて上機嫌に可愛がってくれた。気難しいと言われた祖父は自分だけは可愛がっている、と言うような特別感が私を幸せな気持ちにして今まで引きずってしまっているのかと思う。

祖父は昔でいうところの家長だった。
金銭感覚に普通ではないところがあり、庭や住居にお金をかけていたことは薄々知ってはいたが
その程度が極端でそのために父が長年借金を背負わされていたことは私達世代には知らされていなかった。それもここ数日、母の雑多な大量書類を夫が整理する過程で次第に分かってきたことだ。父は祖父に反発したこともあったようだが、それでも最後まで祖父母を尊敬していたことは私にもよくわかった。

叔父の突然死、弟の病気を始め色々なことがあり、果ての私は自分でもそのような祖父母や父や母に全く相応しくない、ろくでもない人間となり年老いてしまったと自分でも思う。毎日が生きづらい。

父が亡くなり、母と弟で購入し祖父母の故郷から移した墓地は僻地で誰も通うことが出来なくなり まだ古くない墓を畳んでようやくこの度全体を本山に納めることとなった。
それを済ませたのが昨日である。

私の役目は曲がりなりにもこれで一段階を終えた、落ち着くところに落ち着いた という安心を得た。

実家に血縁のない夫と私の2人で10躰を優に越える大量で重い先祖納骨を何とか終えて 後は遅い昼食である。

円山公園、八坂神社に長楽館、と大谷さん、知恩院、それぞれの位置関係が長年分かっていず、今回の機会でようやく少しわかった。

見つけた食事処が いもぼう。有名で歴史あるお店にすんなり入ることの出来たラッキー。古風な襖や建付けを残した椅子席で個室の佇まいに満足したのも最初だけだった。店員スタッフの若さから来るのか振舞いがまず残念。出されたお茶にも幻滅。土瓶は欠け茶碗を差し出すも ご自分でどうぞと置いて出ていく。そのお茶は出がらしのような味。茶碗の洗い方が良くないのか臭いも変だ。鯛めしの食べ方を尋ねるとパウチされた説明を見てください、と返してきた。遅い時刻のためもあろうが日曜日の観光地、なのに客は私達だけだった。スタッフの数は決して足りていないはずはない、障子越しに雑談が聞こえてくる。夫の頼んだ鰻を一口もらったらカビの味。久しぶりの鰻に満足気な夫にそれはさすがに言えなかった。夫の言うように山椒がかかりすぎていたのかも知れない。
私の鯛めしは、生卵が付いていた。だしを生卵にかけて鯛の刺し身薄切りを漬けてご飯に乗せて食べる、とある。これにもいささかガッカリした。卵の黄身はなるほど大きく味濃い目、かも知れないが そもそも私は生卵が苦手なのだ。いつまでも口に残る卵の黄身味、口直しに飲むお茶が変で口直しにならない。5切れ程の鯛の刺し身も特段美味しくもなく、本当に失望した。夫の゙鰻に添えられた小さな昆布巻きを口に入れたが この味も苦手だ、と不味いお茶に手を伸ばす。
夫曰くメニューにはインバウンドさらに1000円プラスと表示されていたらしい。
あーはるばる外国から京都に来て有名店だと思って出された食事がコレだったら。しかも1000円プラス。ヒドイ。日本のイメージダウンだ。
後で調べると こっちが本店。本家と名のつく店舗も近所にある。本家の方がマシだったのか。それとも看板のいもぼうを食すべきなのか。海老芋を棒鱈で炊いた、いもぼう。味が滲みて美味しいんだそう、私はそもそも特に夏場にそんなものは食べたくない。大枚叩いてまで。

というわけで いもぼう店に文句たらたら。
最後に立ち寄ったのは これも有名和菓子
清浄歓喜団を販売するお店。

菓子の元祖、唐菓子 と呼ばれるお菓子だ。
一度は食べてみたかった。
想像していたものの、かなり硬い厚い生地を揚げた皮に包まれた餡は甘さはあれど、はっきり言えば私にすれば線香の味そのものだった。ものものしく黒に金文字で菓子名など記された2個入り箱。ええカッコしいの箱に思えるのがちょっと残念。でも一度は食べてみないと、である。
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片付けの昨今

2024年07月25日 | 65歳未満
母の入居に伴い、忙しいことを予測して1ヶ月間パートを休ませてもらった。時給は最低賃金に近い。それでも決まった曜日に数回出れば収入にもなるし買い物やお昼の楽しみはある。大して役立っていないばかりか、失敗で迷惑もかける私に嫌な顔もせず1ヶ月も休みをくれるなんて私に取っては有り難すぎる職場である。
なのに、1ヶ月はあっと言う間だった。母以上に心配な状態の親戚への押し掛け訪問も先方に実行予告しながら叶えられていない。旅行どころか自分の家の片付けさえ出来てない。

ようやく昨日は貯まった生協の注文書をファイルに挟んだ。5月から挟めてなかった自分に驚かされる。
今日はパソコン周りや書類の片付け。これもかなりに手間取っている。実家の片付けに気を取られているが、まずは自分の方がこのありさまだ。

洗面所も衣類ダンスも食品周りも片付けないと。
今月中に片付けないとパートが再開してしまう。

私にすれば随分恵まれた環境なのに、職場復帰が嫌で恐くてたまらない。

始めようとしていること
第九合唱参加
スイミング
洋裁

この3つとパートの仕事、貸し農園、実家片付けに母への訪問。
片付けしたら少しはストレスなくなるけれど、まだまだ思うようにはならない。
私は決して働き者の部類じゃない。しかも無能力極まりない、すぐに疲れる、ぐうたら人間だ。
やだやだ 仕事始まるのはヤダ!
しかし立場とお金は手に入れたい。友達はない。
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眠れぬ熱帯夜に

2024年07月06日 | 65歳未満
母が施設に入ることになり準備に集中すべき時が来た。
正直入ってくれるのを心待ちにしている。
寂しさもあるのだろうが、ほとんど自分勝手な電話をかけてきて度々 1回来てくれ、と何度も言って来る。毎日通っていても初めてのように「1回」、高圧的に感じて仕方がない。
来ればテーブルの上は毎度散らかり放題。何度言ってもティッシュの丸めたのをごみ箱に捨ててくれず、やっと捨てるのかと思いきやごみ箱周辺に多数落ちている。
片付けに困る私を嘲りたいのかと感じるほどだ。で だんだん怒鳴り体勢に入ってしまう。怒鳴った後は自己嫌悪。

この熱帯夜に寒い、と言ってすぐにクーラーを消す。そして何度も起き出すから翌日しんどい、と訴える。
泊まってクーラー一晩つけたら、ぐっすり眠っていた。
ほらみたことか、と翌日泊まると
バタンとガラス引戸を開ける大きな音に起こされた。
しばらくして動く様子がないので見に行くと、明かりをつけてリビングに座っている。クーラーの前で。
で、寒い、クーラー消して!と言う。
いや 30度超えてるよっ 点けたり消したりしない方が電力もかからないらしいし クーラーはつけて寝てくださいって言っていたから!とかなんとか怒りながら言うと寝に行ってくれた。

電灯を煌々と上からつけているから、注意すると
つけといてっ!とまた命令調。
スイッチどこへやったの?寝る時渡したのに、明るいと良く眠れないでしょっ。とスイッチを捜しだして豆電球にする。心配やねん、とか もちゃもちゃ言って眠った。 

生活が変わるのだから心配で眠れないのはわかる、けど
何かともかく 言ってることもやってることも堂々巡りでメチャクチャだ。

ほら、やっぱり。クーラーつけとく方が正解じゃん
と安心したのもつかの間
今度はパタンとポータブルトイレを使う音に起こされる。
その後 台所の冷蔵庫をさぐっている。
喉が乾いたのかぁ、
それはわかる。けど歩けるんなら、トイレに行ってくれ
何故ポータブル使うんだっ とまでは口には出さないが思ってしまう。
そして間仕切りのガラス戸はまたもや開けっ放し、冷気が逃げるやん、と思い閉めに行くと ダイニングの扇風機まで回しっぱなし。寒かったんじゃないのか、訳わからん。

お腹を出して寝ているからタオルケットをかけようとすると、今度は暑いっ!と。
熱あるの?と聞くと イヤ熱はないねん、とにかく暑くてたまらないから 冷やしたタオルか何か持って来てくれへん?
これも私には高圧的発言である。

クーラーついてるし、そこまでする必要あるんか
さっき寒いから消せって言ったじゃん!

何かにつけて 常にこんな調子なのだ

無事に施設生活が軌道に乗るまでの辛抱ってことか。
怒鳴らないように意識的に自分をコントロールする術を身に付けよって神様に言われてるのかも知れない。
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忘れるべき記憶

2024年06月27日 | 65歳未満
覚えていなくても良いことは忘れた方が良いやん、
とかつて母の元主治女医は、自身が記憶を失うことを自覚して辛くなっている母に寄り添うように言った。
まぁ覚えてんならんことは覚えてんとあかんけどな、
と小さく付け加えることも忘れなかったけれど。

色々なことがあって好きでなかった年老いた、しかし若く見える女医さんだったが この言葉は未だに私に刺さっている。実際母の昔の記憶の中に母の都合の悪いことは残っていないように見受けられる。

確かに覚えてなくても良いことは忘れた方が良いに決まってる。そして人は通常自然にそういう風に出来ているのだろう。

だが、私の頭の中は忘れるべきことばかりがぎっしり詰まっていて しっかり覚えておくべきことを弾いて追い出しているように思える。

忘れるべきことを覚えているのは、そういうことに次回なった場合 に備える自己防衛反応とも言えるし それほど自分が臆病とも言えるのかも知れない。

何しろ自分にはろくなことがない と思い続けるのはバカらしい。

今朝はその友人関係での悪い記憶に基づいたであろうイヤな夢で目覚めた。1人遅くなって誰も相手にしてくれず、旅行の乗り物に乗り損ねそうになっている というものだった。
登場したのは留年した最後の卒業学年の友人達だった。

昨日だったか朝のNHKで若い子の美容整形について報道していた。ある少女の例として美容整形の動機が
金魚のふん。この言葉をSNSで目にしたから、とのことだった。

私は中学の時、聞こえるように自分に発された 金魚のふん
という言葉を思い出した。それを言った子も自身どこかで傷ついていたのかも知れないし、私の方からむしろ嫌って避けていたのかも知れないと数年前の親友不参加で出席した同窓会後に自分から声をかけて少し付き合ったことがある。
でも 私にはやっぱり無理だった。
もちろん向こうから誘っても来ないし、私も彼女に限りむしろ自然消滅を望んでいる。
慎重な夫は最初からそういう危険タイプには決して近づこうとしない。自分には友人がほとんどいないからと自分から手を繋ぎに行った私は無駄なことをしたと思っている。

思えば 私はほとんどが 金魚のふん であったのではないか。陰でそう言われていたのだろうか。イヤな記憶が甦る。

再び近くに住むことになった小学校から高校までの同窓生。町医者の家庭に生まれ育って現在も夫は元大学病院の教授さん。私はだからと言って特別な子だとは思っていなかった。が確かに子どもの時から綺麗だったし、私はむしろ好きだったと思う。向こうから話しかけられることは稀で その稀がうれしくてたまらなかったような関係だったのかも知れない。
例のNHK番組で報道していたところの 今で言えば彼女は立派な「一軍」だったのだ、と合点が行った。私は相手にされない明らかな二軍の位置にいた、小学校の時は。中学に入れば比較的居心地良かったその二軍も消滅して行き場を失っていた。

彼女とは家庭科の実習で同じグループになったことがある。行きどころのない私はハンバーグの玉ねぎのみじん切りを休み時間にしておこう、と思った。彼女が通りかかった時に ありがとうの一言でも欲しかったんだろうと思う。通りかかった彼女に これくらい(の細かさ)で良いかな?と聞く私。彼女は もっと、と返してどこか自分の友人達の方へ行ってしまった。
もっとするのかなぁ、と素直に思う自分とどこか寂しく惨めな気持ちでいる自分が同居していた あの忘れるべき記憶がたまに甦る。
今も彼女の家の前を通れば、会って話してくれればさぞ楽しいだろうに、と切望する反面 全く嫌うほどに相手にされてない自分の現実が寂しい。

皆が嫌がる掃除時間に雑巾で一段ずつ階段拭いていたこともあったっけ。どうして私は嫌われるんやろうねって面と向かって親しくない同級生に言われたこともあった。

生涯私はその理由を生まれた家庭、とりわけ母のせいだと言い続けた。何かのせいにして逃げてばかりいた。母はまともに受け止めてばかりいたからおかしくなってしまったんじゃないか
。受け止めてもらった私も大いに歪んで羽ばたけなくなったのだけれど。

ただしいつか羽ばたいてやろうって夢想は60半ばの今でも持っている。
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