千葉県南房総市千倉の大川・東漸寺のやぐら
太平洋に面した千倉町の高塚山の山ぎわには、集落ごとに真言宗の寺が並んでいます。その一つ大川の東漸寺の墓地奥の土手に穴を掘った〝やぐら〟のような形の墓地がありました。その中と周辺には江戸時代初期からの墓石が累々と重なっていて、墓石のオンパレード状態。
やぐらであれば奥壁に五輪塔などの浮彫があるのですが、それは確認できませんでした。したがってこれをやぐらとすることはできませんが、房総のやぐらについて過去の資料から少し紹介します。
やぐらは鎌倉時代の鎌倉に造られた山際の斜面を彫りくぼめて造った墓地。狭い土地の鎌倉で墓地を確保するために考え出された方法で、鎌倉だけで3000基もあるとされています。やぐらという名称について大三輪龍彦氏は『鎌倉のやぐら』(注)で、江戸時代初期の『新編鎌倉志』の巻之、正覚寺の項に、やぐらは「鎌倉の俚語に巌窟をやぐらと云うなり」とあることを紹介。そして「やぐらは鎌倉にしかない」としています。
これが東京湾を渡った房総にもあることを報じたのが96年8月7日の読売新聞夕刊、「やぐら」房総に500基という見出しの記事でした。調査は「新編千葉県史」編さん事業の一環として同県史料研究財団が主体となっておこなわれたものです。報道によると「やぐらが分布する一帯はいずれも鎌倉時代に、円覚寺、極楽寺などの鎌倉の大寺や有力御家人などの寺領、所領があった地域」とし、千倉町には31のやぐら数が確認されています。この報道以後同紙は、8月8日から6回「やぐら 中世の冥界遺構を探る」でやぐらについて連載しました。
下写真は、館山市安東・千手院やぐら内の地蔵菩薩で「文和二年(1353)」銘は千葉県内最古の丸彫り地蔵菩薩。
(注)大三輪龍彦著『鎌倉のやぐら』1976年、鎌倉春秋社
(地図は国土地理院ホームページより)