千葉県いすみ市須賀谷・実相寺の僧・義海墓石
石仏が無いといわれた上総七里法華、七里法華の七里は距離ではなく、戦国期の上総土気城主酒井定隆(1435~1522)の庇護のもと勢力を広げた日蓮宗一色の地域です。酒井氏の日蓮宗帰依は、定隆が江戸湾を船で移動中日泰上人(1432~1506)に出会い、その法力に感服して、将来城主になったときには領内を日蓮宗に改宗させると約束したことに始まります。七里法華に隣接する須賀谷の天台宗実相寺を訪ねました。
「出羽大神/月山大神/湯殿大神」銘の明治三十三年造立石塔が立つ小高神社。境内の石造物は狛犬と石燈籠。神社の右奥が実相寺です。
本堂左手の土手にあるのが直径70センチの円形墓石。80センチの台座に乗った墓石には頭に大日如来種字アーンク。続いて「至誠院賢者義海墓」銘があります。銘からしてそうとう立派な人ととれます。背面にはその僧歴が記されていました。それによると義海は市原郡養老村に人で、清水寺(いすみ市の天台宗音羽山か)で剃髪、明治19年に84世になり、実相寺のお堂を金五拾圓を以て補修したことなどが記されています。これを称えて法弟と檀徒が金参拾円を出したとあります。法弟は端書142で案内した満能寺の隆海でした。