偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏857時水・城山(新潟)薬師如来

2019年06月10日 | 登山

時水・城山(じょうやま) 薬師如来(やくしにょらい)

【データ】 時水・城山384メートル最寄駅 JR上越線・小千谷駅登山口 新潟県小千谷市時水の馬場清水石仏 城山の山頂、地図の赤丸印。青丸は桐沢峠、緑丸は小国峠地図は国土地理院ホームページより

【案内】 城山という山はかつて山城があった場所。多くは戦国期の本城の周辺に築いた戦略上の役目をした城で、この国には数えきれないほどあった。そのなかには本城とした山城も多い。なかでも新潟には、国土地理院の地図に明記された城山がいくつもあるので、この小千谷の城山は山麓の地名を付けて時水城山として案内する。



 南北朝から戦国期にかけての山城でもあり本城でもあった時水城山の登山口には清水(馬場清水、姥清水ともいう)が湧き出して、水を汲む人が車で訪れる。地元の男の話では、この場所はかつて山城の馬場があったところで、石仏が祀られているところが水源だという=上写真黄丸=。水場の上の石段の奥にあるその場所には龕が造られ、3体の石仏が並んでいた。2体の頭上には馬頭らしき姿があり馬頭観音と思われる。印も馬口印に見える。残る1体は不動明王。近くにある池は最近の造成で、そこに立つ馬場清水観音も最近の造立である。

 
城山への道は「城山を愛する会」メンバーによりよく整備されている。その道が急になってしばらく登ると山頂。南側がかつての主郭跡で、大きな平坦地になっている。一段高い山頂に鎮座するのが薬師如来。胸中央の両手で持つ薬師の象徴・薬壺(やっこ)がひときわ大きい。見つめる東の先には時水の集落がある。造立年など銘はないが、廃城になって数百年後に時水の人たちにより立てられたに違いない。四方が見渡せる要害の地で、戦国期の山城にふさわしい山頂である。


【独り言】 新潟の山に薬師如来の石仏が多いのは米山薬師の影響なのでしょうが、その薬師石仏が時水城山の北の桐沢峠にも立っていました。城山山頂の薬師にはだいぶ劣る像容ですが、こちらには蓮華の台座もあるきちんとした薬師です。小千谷市の両新田と小国町(現長岡市)の桐沢を結ぶ峠道はいまでも道幅の広いしっかりした道が残っていて、往時はそうとう繁栄したと思われます。その様子を見守っていた薬師如来です。



 城山の南の小国峠には2か所に石仏がありました。一つは小国町法末方面との分岐に立つ「南無阿弥陀佛/安政三丙辰(1856)」の名号塔。一つは城山への分岐の木祠内の地蔵菩薩と「百八十八番供養塔/文久元酉年(1861)/楢沢村喜三郎」銘のある石塔です。百八十八番は西国・坂東・秩父の百か所観音霊場と四国八十八か所の仏様です。小千谷市と小国町の楢沢を結ぶこの峠もよく利用されたようで、いまは林道が入っています。


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