偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏421大山(千葉)

2012年12月31日 | 登山

大山(おおやま) 神変大菩薩(しんぺんだいぼさつ)

421【データ】大山 218メートル▼国土地理院25000地図 金束▼最寄駅 JR外房線・安房鴨川駅▼登山口 千葉県鴨川市平塚。大山寺境内まで車道あり▼石仏 大山寺境内。地図の赤丸印

4211【案内】大山の山頂に建つのは高倉神社。山中にある大山寺は神社の別当であった。「大山の山中にある大山寺は奈良時代の僧・良弁の開基とする伝承があるが、確実な創建年代ははっきりしない」と、寺の境内に立つ鴨川教育委員会の案内にあり、良弁開基とは唄っていない。しかし地元には良弁との関係を確たるものにするため、山頂に「開山良辦大僧正舊跡」という石碑=写真上=を立てた。江戸時代の文化14年(1817)のことである。良弁は相模の人で、丹沢の大山もこの僧の創建と伝えられている。その折にこの安房の大山を開いたという伝承も確たるものにするため、丹沢大山の石尊権現と大天狗・小天狗を遷し祀ったとされている。こうして相模の大山に擬せられた安房の大山寺ができたようである。丹沢の大山が修験道の山であるように、安房の大山も修験道の山であった。その証は境内に立つ「神變大菩薩」の石塔に見ることができる。なを、良弁に関してはこのブログの阿星山(滋賀)の杉坊(良弁の幼名)がある。

42124213 神変大菩薩は修験道の祖と仰がた役小角である。役小角については三石山(千葉)を参照していただくとして、奈良時代に大和の葛城山を中心に活動した呪術者・役小角に「神変大菩薩」の諡(おくりな)が贈られたのは江戸時代の寛政11年(1799)。本山派修験道の本山である聖護院門跡・盈仁法親王の上奏により、光格天皇が贈った諡である。光格天皇は誕生後間もなく聖護院に預けられ、聖護院門跡を継ぐべく期待された人である。

4214 大山寺境内の神変大菩薩石塔は風化が進んで造立年代はわからないものの、この諡の経緯からして、それほど古い石塔ではない。境内には役小角の石像もある=写真下=。

【独り言】丹沢の大山といえば不動明王ですが、安房の大山も当然の4215 4216 ことながら本尊は不動明王です。境内に不動明王の石仏はないかと探したところ、南山麓の鳥居の側に祀られていました(地図の青丸印)。安房の嶺岡の山並を背にした、高さ106センチの堂々とした不動です。

 寺の入口には口から水を流す龍が置かれていまし4217 た。龍年も今日で終わりですので、ここに写真を載せて、一年間の労をねぎらいたいと思います。

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