三石山(みついしやま) 役小角(えんのおずぬ)
【データ】三石山 282メートル▼25000地図 坂畑▼最寄駅 JR久留里線・上総亀山▼登山口 千葉県君津市藤林の上総亀山駅▼石仏 三石山山頂にある観音寺奥の院の木祠内
【案内】奈良時代に大和の葛城山を拠点とした呪術(じゅじゅつ)者・役小角は、役行者(えんのぎょうじゃ)、役の優婆塞(えんのうばそく)とも呼ばれ、江戸時代の寛政年間に光格天皇から神変(しんぺん)大菩薩の諡号(しごう)が贈られた(この項、『日本仏教人名辞典』昭和61年、新人物往来社)。修験道の祖と仰がれた生没不明の、半ば伝説上の人物である。平安時代にはいり、天台・真言の密教部分が山岳信仰と習合し、修験道が発展するに及んで、役小角はその道の祖と仰がれるようになった。後に各地の山岳霊場の開山者伝説に登場するようになり、石像として造立された。その姿は頭巾をかぶり、鬚をはやし、右手に錫杖、左手に経巻、高下駄をはく。前鬼・後鬼を従えるものもある。三石山の役小角は右手に数珠を持つ。三石山の山頂に建つ観音寺は真言宗の寺。役小角は本堂の裏にそびえる大岩を登った先、奥の院の木祠のなかに鎮座している。その途中の岩穴には多くの観音石仏が安置されている。
【独り言】昔話 三石山観音寺の境内には、ある女子マラソン選手の手形を刻んだ石造物や人気プロ野球球団選手の写真がありました。いずれもこの寺の霊験があって良い成績が得られた、とういことらしいのです。これが人気を呼び、寺に続く狭い尾根上の車道にはたくさん駐車場ができて参拝者が急増しているような雰囲気でした。この寺 を初めて訪ねたのは35年前、山麓の亀山ダムはまだ工事中でした。そのときの記録では「裏参道を登った」とありますが、いまその道がどうなっているのか分りませんでした。記録には山頂の岩場に祀られた88体の石仏=写真上=が書き留めてありましたが、その数もだい ぶ減ったような印象を受けました。奥の院がある山頂の岩場は足場が悪く、一般の人が登るのは大変な所という記憶がありました。しかし今回は状況が改善されていて、誰でも登れそうという印象でした。それから記録には、奥の院の木祠にある石像を「行者像」と記されていました。当時の私はまだ石仏の経験が浅く、役行者の判断ができなかったようです。写真下は35年前の奥の院です。縁結びに霊験あるとされ、縁があるようにとハンカチを結ぶのが習わしだそうです。