コロナ菌のための中止、自粛で少し時間ができました。そこでスクラップの整理を始めました。石仏や信仰に関する新聞・雑誌の切り抜き、パンフレット・書籍のコピーなど30年分です。エクセルに記入し、パンチで穴をあけ、スクラップ帳にまとめていく作業を続けています。一冊に50点くらいまとめ、すでに7冊になりました。10冊ぐらいで終わりそうです。このスクラップを玉石混淆としたいところですが、ほとんどが何か役立つときがあるのかな……です。当時はニュースでも1週間たてばただの紙切れ、30年もすぎれば陳腐ものです。スクラップとは、切り抜いた時点で役目は終わっているのかもしれません。それでも石仏の情報には腐らないものもありますから、そのなかからいくつか簡単に紹介します。
【平成2年 岳人№518】ある有名なアルピニストの随想に、新潟・清津峡の十二峠の木祠に奉納されてあった赤さびた剱を頂戴したことが書かれていました。この人は北アルプス薬師岳に納められていた剱も持ち帰っていることも暴露しています。
【平成12年3月 産経新聞】東京・上野の寛永寺では、大空襲で焼けた霊廟再建のため、境内の石燈籠を売って費用に一部に充てたそうです。それを買った石川県富来町の某氏は古美術商に鑑定を依頼したところ、火袋が入れ替えられているため200円と評価されました。すべて同じ材質なら500万円になるとのこと。
【新聞、掲載日不明】のものもあったりします。井出孫六氏の「私の風土記 野仏」は15回のシリーズで、そのなかの「十石峠」には、「佐久側の最奥のから群馬の最奥のまで五里、その間人家はない。要所に地蔵が立っていて」のくだりがありました。他には「万治の石仏」「修那羅の石仏」などもありました。