テニスと読書とデッサンと!

別の流れの中で。

今日は父親の十三回忌法要でした。

父が他界した時に生まれた子どもは

もう中学生になるくらいの

月日が経過したことになります。

とてもそれほど経ったとは思えない。

生前、父とは意見が合わず、

顔を合わせるたびに喧嘩ばかりしていました。

まったく口をきかない時期もありましたし、

顔を合わせるのが嫌で家を飛び出して

一人暮らしをした時期もありました。

だけど父が85歳の時に庭で転倒し

大腿骨骨折で入院するようになってから

めっきり気弱になった父を見た日、

入院先から東京に帰る東海道線の中で

なぜかボロボロと涙が出てきました。

なぜそうなったのか分かりません。

あれほど威圧的で自分勝手で

強情で好きなところをひとつも

見つけられなかった父が

すごく小さく見えたからかも知れない。

あの時から私は入院先の病院に

時間が許す限りほとんど毎日

見舞いに行きました。

男同士会っても会話は弾みません。

ただ横に座って買ってきたスタバの

コーヒーを一緒に飲む程度でしたが

私は不思議と気持ちが落ち着きました。

男にとって父親とはなんなんですかね。

 

お経をあげていただいている時、

私は、私が就学前に父親に連れられて

清水ヶ丘公園(当時は国大グラウンド)で

キャッチボールをしたことを思い出していました。

泥だらけになった手と足を

大きな手でぎこちなく洗われた時の

あの感触が蘇ってきてとても幸せな

気持ちになったのです。

あぁ、十三回忌をやってよかったかも。

家に帰った今、そんなことを思っています。

 

※今日は奇しくもイブだったんですね。

ここのところ仕事がものすごく忙しく

片っ端から片付けていくような日を

送っていたので時流の波に乗れていません。

27日までこのバタバタは続きますが

それから少しホッとしようと思います。


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コメント一覧

boomooren5933
@kokopou29 Kokopouさん、
コメントをありがとうございます。
絆を取り戻せたと感じるとなんだかホッとします。
心のどこかに取り戻したいという
気持ちがあったからかも知れない。
父には会えなくなって久しいですが
身近に感じる力が強まったのかなと思います。
本人は雲の上からどう思っているか
分かりませんが私はそう感じます。
軽はずみなことは言えませんが、
お父様を一人の人間としての人生を
考えられるようになったということは
お父様に対する理解がそれだけ
深まったからなのではないですか?
理解する(認める)ってとてもむつかしい。
つくづくそう思います。
kokopou29
ずっと疎遠でも嫌いでも一瞬でそんなもの消え去る
これが親子の絆なんですね
私の父も亡くなって19年ですがたった一言の言葉で救われて絆を取り戻せました
複雑な家庭で思い出はほとんどないのですが今は父の一人の人間としての人生を考えます
キャッチボールの思い出が羨ましいです
boomooren5933
都わすれさん、
温かいコメントをありがとうございます。
ときどき父に見守られていると
感じることがあります。
見張られているのかもしれませんが、
それが絆なのかなと思います。
都わすれ
子供にとって親は、
面倒くさくて、大切な、
唯一無二で一生涯の味方です。
十三回忌を行ってくれた息子を
褒めてくれていると思いますよ。
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