お腹いっぱい食べれるということは、
すごく幸せなことだと思います。
家族の誰もが健康でいることや
自分が社会から必要とされていると
感じることもすごく幸せなことですし、
それこそフレディと散歩したり、
仲間と大好きなテニスができたり、
海を見ながらウォーキングする時間にも
かけがえのない幸せを感じます。
自分がどれだけ恵まれた環境にいるかを
自分が自分で分かっているだろうか。
ときどき立ち止まってそういうことを
自分に問うてみることは大切なことですね。
流れていく時間の流れに身を任せながら
いたずらに日々を過ごしていっては
もったいないということを発見しました。
だけど"幸せな時間"にすっかり慣れて
ともすると自分が幸せであることが
当たり前になってしまい、
それを実感することが難しくなります。
なんでなんだろう。
幸せなはずなのにそれを実感できない・・・
もしかしたらそれってものすごく
不幸なことなのではないだろうか、と。
頭ではきちんと理解しているのに
心のどこかで新しい何かを追い求めている。
実感できる今の幸せではなく、
存在するかどうか分からない
不確かな未来の幸せのほうばかりを
向いてしまっているのではないか、と。
幸せはいつも背中側にあって目に見えない。
幸せはよそ行きではなく普段着を着ている。
幸せは耳を澄まさなければ
聞こえないほどの微妙な音量で
絶えず安らぎの調べを奏で続けている。
"感じて感謝するのだよ"
もうひとりの自分がそう囁く。
足を止めて見渡せば、
耳を澄ませて調べを探せば、
私の周りに幸せがたくさん。
幸せがたくさんあることの幸せを思う。
今日はどんな一日になるだろう。
※先一昨日の日曜日の夕方、
フレディと散歩に出かけたら
雨上がりの空に虹を発見!
写真はなぜかモノトーンでイマイチだけど、
チョー久しぶりの不思議な光景だったので
載せておくことにしました。