伝説巡り、今回取り上げるのは横須賀市の「走水神社」です。
ここに関する伝説は、古事記にも記されています。
かつて「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」が東夷征伐のためにここから上総の国(今の千葉県)に船で渡ろうとしたところ、海が荒れて渡ることが出来なかった。
その時、同行していた日本武尊の妻「弟橘媛(オトタチバナヒメ)」が海神の怒りを静めるために海に飛び込んだ。
すると嘘のように海は静まり、日本武尊は無事に上総の国に渡ることが出来た。
「走水」という地名は、弟橘媛が入水した後に船が水の上を走るように進んだことから「水が走る」→「走水」となったのが由来だそうです。
ちなみに、地名関係ではこの後日談があります。
海を渡っていった日本武尊は妻のことが忘れられず、対岸で妻を偲んでこんな歌を詠みました。
「君去らず 袖しが浦にたつ波の その面影を 見るぞ悲しき」
この冒頭の「君去らず(きみさらず)」が、それを詠んだ土地の名前の語源となってるんだそうですね。
その土地というのがすなわち、千葉県の「木更津」です。
(最近では木更津キャッツアイや氣志團なんかで有名な場所ですね♪)
弟橘媛が入水した数日後、海岸に弟橘媛の櫛が流れ着いたので村人がそれを拾って「橘神社」として祭りました。
走水神社はもともと航海の前に世話になった村人達に日本武尊が与えた冠を祭るために作られた神社なのですが、明治時代に上記の橘神社が合祀された事により現在は日本武尊と弟橘媛の夫婦二柱が揃って祭られています。
(よかったね、と言うべきかな?(^-^))
え~、本殿周辺にも面白いものが色々あるんですが、写真が大量なので一旦区切ります。
続きは次の記事ということで!
ここに関する伝説は、古事記にも記されています。
かつて「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」が東夷征伐のためにここから上総の国(今の千葉県)に船で渡ろうとしたところ、海が荒れて渡ることが出来なかった。
その時、同行していた日本武尊の妻「弟橘媛(オトタチバナヒメ)」が海神の怒りを静めるために海に飛び込んだ。
すると嘘のように海は静まり、日本武尊は無事に上総の国に渡ることが出来た。
「走水」という地名は、弟橘媛が入水した後に船が水の上を走るように進んだことから「水が走る」→「走水」となったのが由来だそうです。
ちなみに、地名関係ではこの後日談があります。
海を渡っていった日本武尊は妻のことが忘れられず、対岸で妻を偲んでこんな歌を詠みました。
「君去らず 袖しが浦にたつ波の その面影を 見るぞ悲しき」
この冒頭の「君去らず(きみさらず)」が、それを詠んだ土地の名前の語源となってるんだそうですね。
その土地というのがすなわち、千葉県の「木更津」です。
(最近では木更津キャッツアイや氣志團なんかで有名な場所ですね♪)
弟橘媛が入水した数日後、海岸に弟橘媛の櫛が流れ着いたので村人がそれを拾って「橘神社」として祭りました。
走水神社はもともと航海の前に世話になった村人達に日本武尊が与えた冠を祭るために作られた神社なのですが、明治時代に上記の橘神社が合祀された事により現在は日本武尊と弟橘媛の夫婦二柱が揃って祭られています。
(よかったね、と言うべきかな?(^-^))
神社入り口。 神社にまつわる話が綴られています。 |
入り口を入った所です。 右側にちらっと見えてますが、階段を上る際に自由に利用できる杖が準備されてます。 ちなみに、撮影している場所の左側には妖怪関連物があったりするんですが、それはまた別の記事ということで。 |
上の写真左奥にあるのがこちらの包丁塚です。 走水の住人であった大伴黒主(おおとものくろぬし)が、日本武尊に料理を献上して喜ばれたという言い伝えを基にして、包丁供養のための塚を建てたんだそうです。 |
針の碑なんてのもあります。 |
上の針の碑についての説明文なんですが、由来とかはちょっと分からないですね。残念! | |
弟橘媛の偉業にあやかって、航海安全祈願の「舵の碑」も建ってます。 う~ん、ちょっと逆光でうまく撮れてませんね。(^^ゞ 船の舵に、弟橘媛の姿が掘り込まれたプレートが付いています。 |
本殿はさらに階段を上った先です。 |
え~、本殿周辺にも面白いものが色々あるんですが、写真が大量なので一旦区切ります。
続きは次の記事ということで!