F1オープニング
予告させて頂いた5月1日、本日はアイルトン・セナの命日でございます。
(2008年03月12日”アイルトン・セナ”記事参照)
今宵はセナの思い出にお付き合いくださいまし~
■雑感
月光花がセナの存在を知ったのは1987年、秋の週刊少年ジャンプに日本GP特集、
カーラー掲載された時でしたよん♪
当時セナは、若いけど速くて将来のチャンピオン候補って紹介されていたと思
います。
翌年、1988年、マクラーレン・ホンダが全16戦中、15勝と快進撃を続け、
教授と呼ばれたアラン・プロストと対等に争うセナに興味津々でしたぁ~
その日本GPでポールスタートからエンスト、坂道を利用してエンジン再始動。
驚異的な追い上げをみせ、アラン・プロストを見事コース上で追い越し、自力
でワールドチャンピオンを獲得、感動しちゃいましたですぅ~
そんなセナを見て、どういったドライバーなのか、1989年からはTV、雑誌等で
色々調べたもんですぅ~
晩年まで予選の拘りは素晴らしく、「ポケットの中の1秒」はスタッフ間で有名
な話でした。最後の最後でポールを奪い返す、の比喩でし(笑)
その最高だった予選アタックだと思う走りは過去ログで御覧いただけます!
現代から振り返ると遅いと思われるマシンでもポールを奪取する能力は歴代No.1
だと思いますぅ~
速いマシンを手にすると、未だ破られていない、8戦連続ポール記録があります。
その走りは熱く、また感傷的なドライバーであり涙を見せる数少ないドライバー
でもありました。
ホンダドライバーなので親日派?でもあり民放番組にもよく出演されていました
ねぇ~(あの笑っていいともにもゲスト出演されていた)
そんなセナに月光花はゾッコンでありました。
レースは戦いでもあり宿敵アラン・プロストとの因縁、でも亡くなる前の年に
最終戦F1放送のエンディングで二人の和解握手が突然映り、ビックリでし。
アランが引退を表明していたからなのか、セナから歩み寄る姿にまた感動!
(その瞬間、アランは仰天顔でした)
勝ち方の信念は全く違う二人でしたが(それ故喧嘩)走りを愛したもの同士、
和解が出来るもんだと昨日の敵は今日の友、セナの人柄を見た気が致します。
亡くなる前に、絶対和解はないと誰しも思っていたところで握手シーンを全世界
へ見せたセナ、本当に素晴らしいッス!
●プロフィール
本名 :アイルトン・セナ・ダ・シルバ(Ayrton Senna da Silva)
生年月日:1960年3月21日
出生地 :ブラジル(サンパウロ市)
●レース歴
04歳よりカートを始める。
13歳よりカートレースデビュー
17歳、南アメリカ、カートチャンプ
21歳、イギリスのフォーミュラ・フォード1600に参戦して優勝
22歳、イギリスのフォーミュラ・フォード2000に転向してチャンピオン
23歳、イギリスのF3に転向してチャンピオン(マカオGP優勝)
月光花はかつてセナのミニチュアカーに嵌り、市販のミニチャンプ製を購入後、
タバコロゴデカールを地道に貼り付け、仕上げていったコレクションと共に
思い出話をしてみたいと思います。
24歳、いよいよF1へ~ スターティンググリッド ↓
PENTAX K20D FA77mmF1.8 Limited 絞りF8.0 ISO200 ±0.0EV
★F1全成績
ドライバーズチャンピオン獲得回数 3回(2007年終了時点、歴代4位)
出走 161回(2007年終了時点、歴代20位)
PP(ポールポジション) 65回(2007年終了時点、歴代2位)
PP獲得率 40.12%(PP獲得率は予選出走162戦で計算)
優勝 41回(2007年終了時点、歴代3位)
ポールトゥーウィン 29回(2007年終了時点、歴代2位)
FL(ファステストラップ) 19回(2007年終了時点、歴代19位)
FL獲得率 11.80%
ポイント614点
ポイント獲得率 59.63%
表彰台率 49.69%
★トールマン
TG183B+TG184(ハート415T、直列4気筒ターボ)
1984年、24歳でF1、非力なトールマンでデビュー。
しかしその年、最高位2位、表彰台へ3回登る快挙。
2位は予選13位スタートのモナコGPでし。雨の中、アラン・プロストを追っかけ
まわし雨の為、規定周回数短縮の結果でした。もし短縮されなければ優勝した
可能性があったレースでした。
(ちなみにモナコ5連覇記録、モナコマイスターはセナだけ)
★ロータス
1985年 Lotus97T(ルノーEF15、V6ターボ)
第2戦ポルトガルGPにて初ポール&初ポールトゥーウィンを達成
この年PP7回、優勝2回を達成!
1986年 Lotus98T(ルノーEF15B、ニューマチックバルブV6ターボ)
現代エンジンの先駆け、スプリングを金属コイルから窒素ガス封入のニューマ
チックバルブを使用。この技術なしでは20,000回転以上の高回転は不可能。
この年PP8回、優勝2回を達成!
1987年 Lotus99T(ホンダRA167E、V6ターボ)
念願のホンダエンジン獲得。同時に中島悟氏とパートナーを組む。
アクティブサスに挑戦するも技術が未熟な為、苦戦を強いられる。
この年PP1回、優勝2回を達成!
★マクラーレン
1988年 MP4/4(ホンダRA168E、V6ターボ)
PENTAX K20D FA77mmF1.8 Limited 絞りF9.5 ISO200 +0.5EV
ゴードン・マーレイ(マクラーレンF1のデザイナー)が作製した傑作車。
フラットフィッシュ(ひらめ)なるコンセプトの元、極端に全高の低いマシンを
デザイン。
ドライバーの肩が露出してしまう程、ロープロファイルなマシン。
(現代の安全基準では絶対許されないデザイン)
イタリアGPを落としたのみでアランとセナ、二人で全16戦中、15勝をマーク。
この年PP13回、優勝8回、ワールドチャンピオン獲得!
1989年 MP4/5(ホンダRA109E、V10NA)
PENTAX K20D FA77mmF1.8 Limited 絞りF9.5 ISO200 +0.5EV
ニール・オートレイがデザイン。ハンドリングよりもエンジンパワーに頼る傾向。
デジタルタコメーターは14,000回転までしか切られていない。
第2戦サンマリノGPでセナプロ対決の開幕となる。紳士協定事件。
そして最悪の結末。日本GPでの二人の接触、セナ、失格事件となりFIAから
「危険なドライバー」とみなされスーパーライセンス剥奪の危機を迎えた。
この年PP13回、優勝6回を達成。
1990年 MP4/5B(ホンダRA100E、V10NA)
PENTAX K20D FA77mmF1.8 Limited 絞りF9.5 ISO200 +0.5EV
前年同様、ニール・オートレイデザイン、すでに旧態化したプルロッド式の
フロントサスペンションを再び採用。
すでにハンドリングではフェラーリに完全に敗北。フェラーリに移籍したアラン
と壮絶な戦いを繰り広げる。
月光花が一番好きな時代でし。
初戦、アメリカGPでジャン・アレジと好バトルを展開しやる気を出し、ホンダパ
ワーとセナの神がかり的なテクニックでワールドチャンピオンを獲得してから
ですぅ~♪
日本GPではスタート第一コーナー侵入時にアランと接触、そのまま両者リタイヤ
ワールドチャンピオン決定と残念な結末。
後にセナは1989年の復讐で故意にぶつけたと残念なコメントを残しております。
マシンも駄目駄目ながら実は、一番好きなデザインでありますぅ~
この年PP10回、優勝6回、ワールドチャンピオン獲得!
この年、パリで行われたFIA表彰式に出席された本田宗一郎氏に「来年もナンバー
ワンのエンジンを作るよ~」と声を掛けられたセナは感激に涙を流しました。
その2-ショットが両者最後になるとは(涙)
1991年 MP4/6(ホンダRA121E、V12NA)
PENTAX K20D FA77mmF1.8 Limited 絞りF9.5 ISO200 +0.5EV
マシンデザインは前年のフェラーリをパクッタといえるデザイン。F1で前年の
デザインを採用しても既に古いってことでまたもやハンドリングに悩まされる
年となる。
V12エンジン自体はV10重量とあまり変わらず、パワーも上がっていたが、発熱量
が多くて冷却する為にラジエーターの大型化、燃費の悪さも問題となる。
プルロッド式フロントサスペンションからプッシュロッド式に変えるも大柄な
車となり”鈍い”マシンとなる。
ナイジェル・マンセル操るウィリアムズ・ルノーの驚異的な速さにもはやなす術
なく、セナが前半で稼いだ開幕4連勝(初の母国ブラジルGP優勝含む)の貯金と
ウィリアムズ熟成不足によるリタイヤに救われ、かろうじてワールドチャンピオ
ンを獲得。
この年PP8回、優勝7回、ワールドチャンピオン獲得(生涯最後)!
1992年 MP4/7(ホンダRA122E、V12NA 第2期ホンダ最後のエンジン)
PENTAX K20D FA77mmF1.8 Limited 絞りF9.5 ISO200 +0.5EV
モノコックは今までオス型を採用してきたマクラーレン、このMP4/7からメス型
を採用しフロント全体がカウルで覆われるようになる。
既にマシンパッケージはパワーからバランス、ハイテクの時代に変わってました。
マクラーレンもハイテク、すなわちセミオートマチックトランスミッションと
フライ・バイ・ワイヤ・システムを採用。
しかしライバルであるウィリアムズはさらにその上、アクティブサスペンションを
熟成させ圧倒的な速さで快進撃を続ける。もはやナイジェル・マンセルを止める
術はセナにもなく惨敗と終わる。
この年、モナコGP50周年、セナに奇跡がおき、マンセルのスローパンクチャーに
よってピットイン、タイヤ交換の際、セナがトップへ。
追いつかれるものの絶妙なラインブロックでセナが勝利。素晴らしいレースでし。
この年、ホンダ第2期終焉を向かえる。セナ涙を流す。
この年PP1回、優勝3回を達成!
1993年 MP4/8(フォードコスワースHB、V8NA)
PENTAX K20D FA77mmF1.8 Limited 絞りF9.5 ISO200 +0.5EV
ホンダパワーを失ったマクラーレン、非力なコスワースV8だったが、バランスよく
ハンドリングが蘇ったマシン。皮肉なもんである。時代はパワーよりもバランス
だったとは。
セナは一戦ごとの契約でこの年をスタートする。
セナのテクニックは円熟期を向かえ、雨のドニントンでのオープニングラップは
伝説となる(過去ログでその天才ぶりを御覧いただけます)。
この年もモナコ優勝。グラハム・ヒルの記録を塗り替えモナコ6勝を達成。
モナコマイスターとなる(現在もこの記録は破られていない)
この年PP1回、優勝5回、最終戦オーストリアGPで生涯最後の優勝となる。
■ウィリアムズ
1994年 WilliamsFW16(ルノーRS6、V10NA)
PENTAX K20D FA77mmF1.8 Limited 絞りF9.5 ISO200 +0.5EV
「ただでもいいから乗りたい」とセナが望んだ移籍である。
前年でアランが引退。その後釜としてセナが乗り込むのであるが、タイミングが
悪かった。
ハイテク開発費高騰を理由にFIAはセミオートマチックを除くハイテクを禁止に
したのである。
出来上がったFW16は前年のハイテクマシンと違い、アクティブサスからパッシブ
サスに戻した影響でエアロダイナミックスが過敏となる。
リヤがかなりセンシティブとなりセッティングの幅が狭いマシンであった。
セナはルノーパワーに助けられポールを取る速さはあるものの、ライバル、アラン
の不在によるモチベーションの低下と新生、ミハエル・シューマッハに先行を
許し焦りも生じていたんじゃないかと思う。
マクラーレンを離れたセナが、以前のマクラーレンのようなマシンと再び対峙し
たことが悲劇だったのかもしれない。
そして運命の第3戦サンマリノGPへと向かうのであった。
この年PP3回、優勝0回。
■1994年、サンマリノGP
このGPはいつになくおかしかった。
フリー走行中、アランと無線でサンマリノGPコース説明をしている時に
「アラン、君がいなくてさびしいよ」と伝えている。
予選2日目(当時予選は2日間開催されていた)、F1は安全とみんなが勘違いを
していたことに気付いた。
12年ぶりの死亡事故。ローランド・ラッツェンバーガーが予選中、クラッシュ。
そのまま天に召された。
セナはすぐに反応しており電話で恋人アドリアーナに「走りたくない」と伝える。
運命の5月1日、決勝。
ポールからスタートしたセナは7周目、現地時間午後2時17分に左コーナー
「タンブレロ」へテレメトリー記録時速310kmの速度で突如コントロール不能
となり(オンボードカメラで確認、ステアを左に切るものの、マシンは右よりに
コースを変える)そのまま壁に激突、大破。
セナは最後までマシンコントロールをしようとフルブレーキをかけ、減速、
衝突時には時速210km~220kmだったと言われている。
公式記録では折れたサスペンションアームがセナの頭部を直撃、脳死状態となり
現地時間午後6時40分、事故発生から約4時間後に天に召された・・・
世界中が涙を流した。月光花もその一人・・・
月光花の頭の中では今でもセナの走りはいつでも蘇りますぅ~
そんな想像を ↓
PENTAX K20D FA77mmF1.8 Limited 絞りF9.5 ISO200 +0.5EV
PENTAX K20D FA77mmF1.8 Limited 絞りF9.5 ISO200 +0.5EV
こんにちは。アイルトン!
PENTAX K20D FA77mmF1.8 Limited 絞りF9.5 ISO200 +0.5EV
さよなら、感動ありがとう、セナ~
PENTAX K20D FA77mmF1.8 Limited 絞りF9.5 ISO200 +0.5EV
*************************** 泣けます ****************************
T-SQUARE - FACES(セナのテーマソング)
予選の速さで泣けたドライバーは、今現在アイルトン・セナ、ただ一人でし
予告させて頂いた5月1日、本日はアイルトン・セナの命日でございます。
(2008年03月12日”アイルトン・セナ”記事参照)
今宵はセナの思い出にお付き合いくださいまし~
■雑感
月光花がセナの存在を知ったのは1987年、秋の週刊少年ジャンプに日本GP特集、
カーラー掲載された時でしたよん♪
当時セナは、若いけど速くて将来のチャンピオン候補って紹介されていたと思
います。
翌年、1988年、マクラーレン・ホンダが全16戦中、15勝と快進撃を続け、
教授と呼ばれたアラン・プロストと対等に争うセナに興味津々でしたぁ~
その日本GPでポールスタートからエンスト、坂道を利用してエンジン再始動。
驚異的な追い上げをみせ、アラン・プロストを見事コース上で追い越し、自力
でワールドチャンピオンを獲得、感動しちゃいましたですぅ~
そんなセナを見て、どういったドライバーなのか、1989年からはTV、雑誌等で
色々調べたもんですぅ~
晩年まで予選の拘りは素晴らしく、「ポケットの中の1秒」はスタッフ間で有名
な話でした。最後の最後でポールを奪い返す、の比喩でし(笑)
その最高だった予選アタックだと思う走りは過去ログで御覧いただけます!
現代から振り返ると遅いと思われるマシンでもポールを奪取する能力は歴代No.1
だと思いますぅ~
速いマシンを手にすると、未だ破られていない、8戦連続ポール記録があります。
その走りは熱く、また感傷的なドライバーであり涙を見せる数少ないドライバー
でもありました。
ホンダドライバーなので親日派?でもあり民放番組にもよく出演されていました
ねぇ~(あの笑っていいともにもゲスト出演されていた)
そんなセナに月光花はゾッコンでありました。
レースは戦いでもあり宿敵アラン・プロストとの因縁、でも亡くなる前の年に
最終戦F1放送のエンディングで二人の和解握手が突然映り、ビックリでし。
アランが引退を表明していたからなのか、セナから歩み寄る姿にまた感動!
(その瞬間、アランは仰天顔でした)
勝ち方の信念は全く違う二人でしたが(それ故喧嘩)走りを愛したもの同士、
和解が出来るもんだと昨日の敵は今日の友、セナの人柄を見た気が致します。
亡くなる前に、絶対和解はないと誰しも思っていたところで握手シーンを全世界
へ見せたセナ、本当に素晴らしいッス!
●プロフィール
本名 :アイルトン・セナ・ダ・シルバ(Ayrton Senna da Silva)
生年月日:1960年3月21日
出生地 :ブラジル(サンパウロ市)
●レース歴
04歳よりカートを始める。
13歳よりカートレースデビュー
17歳、南アメリカ、カートチャンプ
21歳、イギリスのフォーミュラ・フォード1600に参戦して優勝
22歳、イギリスのフォーミュラ・フォード2000に転向してチャンピオン
23歳、イギリスのF3に転向してチャンピオン(マカオGP優勝)
月光花はかつてセナのミニチュアカーに嵌り、市販のミニチャンプ製を購入後、
タバコロゴデカールを地道に貼り付け、仕上げていったコレクションと共に
思い出話をしてみたいと思います。
24歳、いよいよF1へ~ スターティンググリッド ↓
PENTAX K20D FA77mmF1.8 Limited 絞りF8.0 ISO200 ±0.0EV
★F1全成績
ドライバーズチャンピオン獲得回数 3回(2007年終了時点、歴代4位)
出走 161回(2007年終了時点、歴代20位)
PP(ポールポジション) 65回(2007年終了時点、歴代2位)
PP獲得率 40.12%(PP獲得率は予選出走162戦で計算)
優勝 41回(2007年終了時点、歴代3位)
ポールトゥーウィン 29回(2007年終了時点、歴代2位)
FL(ファステストラップ) 19回(2007年終了時点、歴代19位)
FL獲得率 11.80%
ポイント614点
ポイント獲得率 59.63%
表彰台率 49.69%
★トールマン
TG183B+TG184(ハート415T、直列4気筒ターボ)
1984年、24歳でF1、非力なトールマンでデビュー。
しかしその年、最高位2位、表彰台へ3回登る快挙。
2位は予選13位スタートのモナコGPでし。雨の中、アラン・プロストを追っかけ
まわし雨の為、規定周回数短縮の結果でした。もし短縮されなければ優勝した
可能性があったレースでした。
(ちなみにモナコ5連覇記録、モナコマイスターはセナだけ)
★ロータス
1985年 Lotus97T(ルノーEF15、V6ターボ)
第2戦ポルトガルGPにて初ポール&初ポールトゥーウィンを達成
この年PP7回、優勝2回を達成!
1986年 Lotus98T(ルノーEF15B、ニューマチックバルブV6ターボ)
現代エンジンの先駆け、スプリングを金属コイルから窒素ガス封入のニューマ
チックバルブを使用。この技術なしでは20,000回転以上の高回転は不可能。
この年PP8回、優勝2回を達成!
1987年 Lotus99T(ホンダRA167E、V6ターボ)
念願のホンダエンジン獲得。同時に中島悟氏とパートナーを組む。
アクティブサスに挑戦するも技術が未熟な為、苦戦を強いられる。
この年PP1回、優勝2回を達成!
★マクラーレン
1988年 MP4/4(ホンダRA168E、V6ターボ)
PENTAX K20D FA77mmF1.8 Limited 絞りF9.5 ISO200 +0.5EV
ゴードン・マーレイ(マクラーレンF1のデザイナー)が作製した傑作車。
フラットフィッシュ(ひらめ)なるコンセプトの元、極端に全高の低いマシンを
デザイン。
ドライバーの肩が露出してしまう程、ロープロファイルなマシン。
(現代の安全基準では絶対許されないデザイン)
イタリアGPを落としたのみでアランとセナ、二人で全16戦中、15勝をマーク。
この年PP13回、優勝8回、ワールドチャンピオン獲得!
1989年 MP4/5(ホンダRA109E、V10NA)
PENTAX K20D FA77mmF1.8 Limited 絞りF9.5 ISO200 +0.5EV
ニール・オートレイがデザイン。ハンドリングよりもエンジンパワーに頼る傾向。
デジタルタコメーターは14,000回転までしか切られていない。
第2戦サンマリノGPでセナプロ対決の開幕となる。紳士協定事件。
そして最悪の結末。日本GPでの二人の接触、セナ、失格事件となりFIAから
「危険なドライバー」とみなされスーパーライセンス剥奪の危機を迎えた。
この年PP13回、優勝6回を達成。
1990年 MP4/5B(ホンダRA100E、V10NA)
PENTAX K20D FA77mmF1.8 Limited 絞りF9.5 ISO200 +0.5EV
前年同様、ニール・オートレイデザイン、すでに旧態化したプルロッド式の
フロントサスペンションを再び採用。
すでにハンドリングではフェラーリに完全に敗北。フェラーリに移籍したアラン
と壮絶な戦いを繰り広げる。
月光花が一番好きな時代でし。
初戦、アメリカGPでジャン・アレジと好バトルを展開しやる気を出し、ホンダパ
ワーとセナの神がかり的なテクニックでワールドチャンピオンを獲得してから
ですぅ~♪
日本GPではスタート第一コーナー侵入時にアランと接触、そのまま両者リタイヤ
ワールドチャンピオン決定と残念な結末。
後にセナは1989年の復讐で故意にぶつけたと残念なコメントを残しております。
マシンも駄目駄目ながら実は、一番好きなデザインでありますぅ~
この年PP10回、優勝6回、ワールドチャンピオン獲得!
この年、パリで行われたFIA表彰式に出席された本田宗一郎氏に「来年もナンバー
ワンのエンジンを作るよ~」と声を掛けられたセナは感激に涙を流しました。
その2-ショットが両者最後になるとは(涙)
1991年 MP4/6(ホンダRA121E、V12NA)
PENTAX K20D FA77mmF1.8 Limited 絞りF9.5 ISO200 +0.5EV
マシンデザインは前年のフェラーリをパクッタといえるデザイン。F1で前年の
デザインを採用しても既に古いってことでまたもやハンドリングに悩まされる
年となる。
V12エンジン自体はV10重量とあまり変わらず、パワーも上がっていたが、発熱量
が多くて冷却する為にラジエーターの大型化、燃費の悪さも問題となる。
プルロッド式フロントサスペンションからプッシュロッド式に変えるも大柄な
車となり”鈍い”マシンとなる。
ナイジェル・マンセル操るウィリアムズ・ルノーの驚異的な速さにもはやなす術
なく、セナが前半で稼いだ開幕4連勝(初の母国ブラジルGP優勝含む)の貯金と
ウィリアムズ熟成不足によるリタイヤに救われ、かろうじてワールドチャンピオ
ンを獲得。
この年PP8回、優勝7回、ワールドチャンピオン獲得(生涯最後)!
1992年 MP4/7(ホンダRA122E、V12NA 第2期ホンダ最後のエンジン)
PENTAX K20D FA77mmF1.8 Limited 絞りF9.5 ISO200 +0.5EV
モノコックは今までオス型を採用してきたマクラーレン、このMP4/7からメス型
を採用しフロント全体がカウルで覆われるようになる。
既にマシンパッケージはパワーからバランス、ハイテクの時代に変わってました。
マクラーレンもハイテク、すなわちセミオートマチックトランスミッションと
フライ・バイ・ワイヤ・システムを採用。
しかしライバルであるウィリアムズはさらにその上、アクティブサスペンションを
熟成させ圧倒的な速さで快進撃を続ける。もはやナイジェル・マンセルを止める
術はセナにもなく惨敗と終わる。
この年、モナコGP50周年、セナに奇跡がおき、マンセルのスローパンクチャーに
よってピットイン、タイヤ交換の際、セナがトップへ。
追いつかれるものの絶妙なラインブロックでセナが勝利。素晴らしいレースでし。
この年、ホンダ第2期終焉を向かえる。セナ涙を流す。
この年PP1回、優勝3回を達成!
1993年 MP4/8(フォードコスワースHB、V8NA)
PENTAX K20D FA77mmF1.8 Limited 絞りF9.5 ISO200 +0.5EV
ホンダパワーを失ったマクラーレン、非力なコスワースV8だったが、バランスよく
ハンドリングが蘇ったマシン。皮肉なもんである。時代はパワーよりもバランス
だったとは。
セナは一戦ごとの契約でこの年をスタートする。
セナのテクニックは円熟期を向かえ、雨のドニントンでのオープニングラップは
伝説となる(過去ログでその天才ぶりを御覧いただけます)。
この年もモナコ優勝。グラハム・ヒルの記録を塗り替えモナコ6勝を達成。
モナコマイスターとなる(現在もこの記録は破られていない)
この年PP1回、優勝5回、最終戦オーストリアGPで生涯最後の優勝となる。
■ウィリアムズ
1994年 WilliamsFW16(ルノーRS6、V10NA)
PENTAX K20D FA77mmF1.8 Limited 絞りF9.5 ISO200 +0.5EV
「ただでもいいから乗りたい」とセナが望んだ移籍である。
前年でアランが引退。その後釜としてセナが乗り込むのであるが、タイミングが
悪かった。
ハイテク開発費高騰を理由にFIAはセミオートマチックを除くハイテクを禁止に
したのである。
出来上がったFW16は前年のハイテクマシンと違い、アクティブサスからパッシブ
サスに戻した影響でエアロダイナミックスが過敏となる。
リヤがかなりセンシティブとなりセッティングの幅が狭いマシンであった。
セナはルノーパワーに助けられポールを取る速さはあるものの、ライバル、アラン
の不在によるモチベーションの低下と新生、ミハエル・シューマッハに先行を
許し焦りも生じていたんじゃないかと思う。
マクラーレンを離れたセナが、以前のマクラーレンのようなマシンと再び対峙し
たことが悲劇だったのかもしれない。
そして運命の第3戦サンマリノGPへと向かうのであった。
この年PP3回、優勝0回。
■1994年、サンマリノGP
このGPはいつになくおかしかった。
フリー走行中、アランと無線でサンマリノGPコース説明をしている時に
「アラン、君がいなくてさびしいよ」と伝えている。
予選2日目(当時予選は2日間開催されていた)、F1は安全とみんなが勘違いを
していたことに気付いた。
12年ぶりの死亡事故。ローランド・ラッツェンバーガーが予選中、クラッシュ。
そのまま天に召された。
セナはすぐに反応しており電話で恋人アドリアーナに「走りたくない」と伝える。
運命の5月1日、決勝。
ポールからスタートしたセナは7周目、現地時間午後2時17分に左コーナー
「タンブレロ」へテレメトリー記録時速310kmの速度で突如コントロール不能
となり(オンボードカメラで確認、ステアを左に切るものの、マシンは右よりに
コースを変える)そのまま壁に激突、大破。
セナは最後までマシンコントロールをしようとフルブレーキをかけ、減速、
衝突時には時速210km~220kmだったと言われている。
公式記録では折れたサスペンションアームがセナの頭部を直撃、脳死状態となり
現地時間午後6時40分、事故発生から約4時間後に天に召された・・・
世界中が涙を流した。月光花もその一人・・・
月光花の頭の中では今でもセナの走りはいつでも蘇りますぅ~
そんな想像を ↓
PENTAX K20D FA77mmF1.8 Limited 絞りF9.5 ISO200 +0.5EV
PENTAX K20D FA77mmF1.8 Limited 絞りF9.5 ISO200 +0.5EV
こんにちは。アイルトン!
PENTAX K20D FA77mmF1.8 Limited 絞りF9.5 ISO200 +0.5EV
さよなら、感動ありがとう、セナ~
PENTAX K20D FA77mmF1.8 Limited 絞りF9.5 ISO200 +0.5EV
*************************** 泣けます ****************************
T-SQUARE - FACES(セナのテーマソング)
予選の速さで泣けたドライバーは、今現在アイルトン・セナ、ただ一人でし
あの衝撃的な事故からずいぶん時間が経ってしまいましたね。
月光花さんほどの思いは無いですが、当時仕事でHONDA F1に携わっており、アイルトンに会ったことがあります。神経質そうな感じ(仕事中だからか?)の人でした。握手してほんの少しお話ししました。
そのときにベルガーとアイルトンにサインを貰いました。
Blogに貼ってあります。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/39308/2615687#2615687
ターボ時代のF1は予選では1,500馬力以上。電子制御無しで走りきった彼らは神ですね...
サイン、今度拝見させて下さいまし~♪
ターボ時代はドッカントルクでしょうし電子制御
もないF1で、なおかつマニュアルシフトですから
おっしゃるように神ですぅ~
セナはポールからスタートしレース中、誰にも抜
かれることなく神に召されましたぁ~
月光花が思うにセナらしい最後だったと思います。
僕も当時セナの走りに酔いしれ、TVに
かじりついてみていました^^
そして、あの日。
本当に衝撃的な朝をむかえました。
セナのこと、そして前日飲み過ぎて
お財布を落としたことに気がついたのも
あの日の朝でした。。。
あれから14年が経ちましたか~。
僕はこの衝撃的事実を免許をしに試験所の売店で売っていたスポーツ新聞でしりました。
ショックの余り、帰りの車中はずっとIn this Countryを聞いていました。
その後、新盆の際に母親に「セナのお墓参りに行くからお金貸して」と言ったら「セナのお墓参りに行くならおじいちゃんのお墓参りに行きなさい。」と激怒された事があります。(苦笑)
それから暫くしてGWのイベントで新宿高島屋でアイルトンセナ展がやっていたので家内と一緒に見に行った時に流れる映像を見て涙しました。
そう言えば、現在、オペラシティで「F1疾走するデザイン」と言うイベントがやっていますよ。
時間があれば僕も行こうと思っています。
http://jp.youtube.com/watch?v=THrde7cVb34
http://www.operacity.jp/ag/exh93/
あの日、生放送を見ていて一瞬これは夢か、と思い
込みしたくなる衝撃的な事故でしたぁ~
ヘリコプターで運ばれるセナをみて頼むから命だけ
は、と願うもそのまま天に召されました。
F1開幕時期と5月1日は、セナを思い出す月光花です。
セナへの想い出は皆様沢山お持ちですねぇ~
14年という年月はまったく感じませんよん♪
今でもDVD、ビデオでセナの言葉や走りは見れますし
記憶に鮮明に残っていますぅ~
月光花にとってセナはやはり特別な思いがあるドラ
イバーであり今後も変わることはまずないと思いま
すぅ~(笑)
しかし、今宮さんと三宅アナがとても悲しんでいたのを今も鮮明に覚えています。
まだ物心がつき始めたばかりの自分にはあまりにも衝撃的なセナの死でした。
セナが生きていたら・・・なんてことを未だに思ったりします。
もう少し早く生まれていたら、セナの活躍を鮮明に覚えていたのかもしれません。
こればかりはどうしようもありませんね。。
やはり実際リアルタイムの走りをみないと感情移入
ってヤツは難しいですよねぇ~
実際、伝説となったジル・ヴィルヌーヴの走りは熱
く、F1史上最高のレーサーと呼ばれておりますが、
月光花はそれ以上のことは知らないしセナ程の感情
は持ち合わせておりませんから~