niobin

鉄と戯れる日々のことば

風の音、はじまりの毎日

2019-02-04 | 日記
常滑に来て、2回目の冬を過ごしている。

美しく凪の海まで歩いて10分程。
鈴鹿からの風が強い日は、体感温度がとても下がる。

家は縦長の敷地で、母屋と陶芸工房を抜けて、少し広めの庭を挟み、入り口から一番遠い海側に私の工房がある。

風ぬける家、と言ったら気持ちがよいけど、台風と冬の空っ風は、せっかく家族で直した家周りのトタンを剥がすんじゃないかとドキドキする。
そんな日は海苔の養殖ができるくらいの凪海も、少し荒れている。
しかし、葉を揺らす風の音や、少しドキドキさせるコウコウと鳴る風の音や遠くの電車の音はなんとも安らぐ時間を与えてくれる。

家から1分でローカルの駅。
10分先には空港、直ぐ近くにはインター。
いつでも何処へもいけそうなこの場所が、何処へも行かなくても色々な場所への旅を想像させる。
旅の実際は、神社を巡ったり、昔の方の暮らしを見れる場所へ行ったりしている。
美術館へ行くより、私にとって体や血へ染み入るのが、こうした旅。
そして毎日違う気持ちになれる、近所の散歩。
海風に吹かれること。
日々の土からの食を考えること。
それが、山への興味、海への興味になる。
旅に出ようと思うといつも、人が文明の発達に寄り添った、炭鉱場や鉱山銅山の事を思い、自分の今の仕事と結び、、湯治場の興味を沸かせてゆく。
足元や地を固めたり水脈や鉄脈を探していく、もしくは最期の自分の体の分解を考えていきたいのが私の幼少時代からの生き方で、それは今も変わらない。
ここ6-7年、東京時代から展示会や鍛冶屋の納品なんかで各地へ出向いている。
その旅すがらや、節目節目で様々な湯治場へ立ち寄り、時代が残してきた人々の地層のようなものに触れている。


2019年、平成最後の冬もいよいよ立春を迎えた。

先日、真冬の白骨温泉の雪を踏み、お腹いっぱいに凛とした山の冷たい空気を吸い込んだ時、小学生の時読書感想文で出会った「愛 、深き淵より。」の著者、星野富弘さんを思い出した。
その頃、何冊も星野さんの絵と詩の作品を読み、憧れていた大きな木と共に私の原点になっていった。

体育教師だった星野さんは、ある日、仕事(クラブ活動の指導)中の墜落事故で頸髄を損傷、手足の自由を失う。それから、口に筆を加えて絵や詩をかいている。

人より疑問が多すぎて前に進めなかったり、いじめにあっていたり、家族になじめない小学生の私を支えてくれた2つの詩を。





人は歳を重ねていく。植物が根を張り大きくなっていくのと同じ。その根からどうやって、どういった養分を吸収していくかは、自分次第。
[水脈.丹尾敏]
今再び、星野さんの絵と文字に触れたいと思う。
絵や彫刻を始めるずっと前に、私は詩を書き自分のこと、地球のことにチクチクと触れ、自己対話を繰り返し、今まで生きてこれていた。

ゆっくりじっくり自分の
のろまな時間を過ごせるこの場所に住めて本当に良かった。
早くて振り回されることに気づけない東京時代18年を経たからこそ。
いや、気づいてからの10年は良いこともあったけども、耐える事が多かった。
たまに、東京へ行くと、もう馴染めない本当の自分に気づく。
[美しいもの.丹尾敏]
不惑の歳を迎え、常滑の海風を感じながら。
二匹の愛猫と家族と共に。



2019.2.4niobin


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