不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

Blue jewel

拉致の解決を願って
「蒼き星々」関連テキストなど(ココログにも掲載)現在gooがメイン。
デザイン時々変更。

北朝鮮の公開処刑について

2005-03-26 | アンデスの声さん投稿集
北朝鮮の公開処刑について  2005年3月26日(土) 

(所用でしばらく日本のニュースから離れていてやや浦島太郎の気分ですが、拉致事件の状況はあまり変化がない、残念ながら。最近の動きをざっと拝見し「北朝鮮公開処刑ビデオ」への反応について少し引っかかったので感じたことを述べます。)

ブラジルにシュラスコという串焼肉料理がある。サーベルみたいに長い鉄製の大串に刺した牛の塊肉を岩塩だけで味付けし炭火で焼きナイフで肉を削ぎ落としながら食べる風土料理で、霜降り状に脂肪が入ったクッピンと呼ばれる瘤(首の後ろコブ)の肉は特に逸品である。ブラジルの片田舎で数ヶ月の仕事が終わったとき現地の連中がこのシュラスコを馳走してくれた。中型の瘤牛が村の広場に引き出され、一人の男が柄長のハンマーを牛の眉間に叩き付けると牛は赤土の上にどうと倒れ、その場で解体作業が始まった。抜いた血をバケツにため皮を剥ぎ肉と臓物を分け骨を割り手際よく解体が進む。私はこういうのはわりと平気な方だが、同行の日本人は青ざめてその肉をあまり食べようとしなかった。牛の解体現場は大勢の子供達が取り巻いて目を輝かせながら眺めていた、それはちょうど、私が幼い頃、台所で魚を捌く母の手元をワクワクしながら眺めていたように。

アンデス山中でバスが転落した。そのバスに乗っていたはずの同僚を捜しに他のペルー人スタッフと一緒に現場に駆けつけたら、草原の上には約20名分の損傷した死体がまだ転がっていた。うつ伏せの遺体は後ろ髪を引っ張り顔を起こし覗き込んでは仲間の死体を捜しているペルー人たちの姿を少し離れた場所から眺めていて私は気分が悪くなり草の上に吐いた。当地では事件・事故の遺体の映像をそのままニュースで流す。公邸事件で射殺され階段の踊り場に仰向けに転がるMRTA首謀者セルパの遺体もそのままテレビ放映された。先週の朝のニュースで、誘拐・殺害・死体遺棄された下着姿の中年女性の死体が用水路の水門にゴミと一緒に引っかかってうつ伏せに浮かんでいるシーンがアップで映ったときはさすがに口に入れかけた朝飯の目玉焼きを飲み込めなくなった。焼き豚に巻き付けるタコ糸のように、膨らんだ背中にブラジャーの背ヒモが食い込んでいる光景がいまだ目に浮かぶ。植民地時代の白人入植者の数千体のミイラ(白骨)が並べられたリマ・サンフランシスコ教会のカタコンベ(地下墓地)は観光名所のひとつであり、プレインカ時代のミイラを自宅に飾っている御仁もいる。人の死体の扱いは民族・文化が違えばかく異なる。

サウジアラビアでは今も公開処刑である。テレビ放映はされないが、月に一度、各都市の処刑場に行けば誰でも見ることができる。死刑になるのは不倫・同性愛者が多い。死刑の受刑者は何か飲ませられているのか引き出されたとき既にフラフラになっている。不倫の男は刀で首を切られ、女は下半身を地中に埋め頭部に石を投げつけて殺される。イスラムで同性愛は重罪のためレイプした同性被害者を口封じのため殺してしまい殺人罪として裁かれる場合が多い。麻薬は死罪だが酒の密造は鞭打ちの刑、これは数が多いので受刑者が順番に並び鞭打つ側も手が疲れるので複数の執行者が交替で行う。これらの処刑は全てコーランの規定にのっとったいわば宗教儀式で淡々と行われる。不倫女の処刑方法もコーランの規定で「女の首は切ってはいけない」ためである。

日本のテレビが逮捕者の手錠にモザイクをかけるようになって久しい。逮捕者の“人権”を守るためか、子供への悪影響を恐れてのためか知らぬが、私の父は18歳の時に広島で何千人もの死と死体を目の当たりにし腐乱した死体の処理を何日も続けた悲惨な体験をしながら人や生き物の死には深い思いを抱いていて、飼っていた金魚が死んでも墓を作って弔うように幼い私に命じた。私の実家の近所に、前原一誠の乱の首謀者たちの処刑を幼い頃に目撃したというお婆さんがいた。「首が切れる瞬間にゃ“シャバッ”ちゅう音がしての、首から血がピューッと飛ぶんよ。」 幼少時に公開処刑を目撃したこの婆さんは決して人命を粗末に考えるような人ではなく、路傍の地蔵にも手を合わせる人だった。今の日本は人の死をことさら隠すことで、むしろ興味本位で見たがる、はたまたバーチャルと混同してしまう未熟なバカが現れるのではないか。かつて日本で処刑は公開されていた、京都三条河原は明治まで続いた獄門さらし首の場だ。そして今も日本に死刑はある。民主主義国家が国民を処刑するのであれば、その国家の主体である国民はその事実から目をそらすべきではなく、真の民主主義国家ならその処刑を国民に公開すべきともいえる(・・・ま、現実にはそうはいかぬでしょうが、私が言いたいのは、きれいにパック詰めされた牛肉を買ってきて美味そうにスキヤキを食うなら、その背景の事実を段階から、その生命の重さとともにきちんと理解しておくべきではないか、ということ)。

今回の北朝鮮公開処刑映像も、処刑が公開であることを問題にすると視点がずれるのではないか。我々が問題にすべき点は処刑の公開・非公開ではなく、あの受刑者達がなぜ処刑されたのか、“金正日という個人”が北朝鮮国民を情報閉鎖により一方的に洗脳し一方的に虐殺しその虐殺シーンを使ってさらに恐怖支配しているというおぞましく野蛮な強権支配の事実証拠としてあの映像の意味がある。一方のサウジアラビアでは北朝鮮と違い外部情報は(ヌード画像を除けば)結構正確にに入っており、彼等は他の世界も知った上で、酒や売春のはびこるだらしない世界を忌み嫌い、イスラムの戒律を至上の価値として自分の身を委ねている。サウジのイスラム教徒を律しているのは脂ぎった生身の野蛮な他人ではなく自らの強固な信心であり、その個人的信心に基づく戒律社会の決めごとによるサウジの公開処刑を欧米の“人権屋”が野蛮と言うのはお節介かつ“解放”に名を借りた中東支配の口実に過ぎぬ。したがって、サウジの公開処刑はちっとも野蛮ではなく、北朝鮮の公開処刑は野蛮極まりない、と私は考える。
―――――――――――――――――――
◆この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 横田早紀江さんの願い | トップ | 星は生きて人の心に »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

アンデスの声さん投稿集」カテゴリの最新記事