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律法の行いによる者は、皆のろいの下にある。「律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる」と書いてあるからである。

2024-09-12 22:59:30 | 聖書

ガラテヤ信徒への手紙 3章。

1ああ、物わかりのわるいガラテヤ人よ。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に描き出されたのに、いったい、だれがあなたがたを惑わしたのか。
わたしは、ただこの一つの事を、あなたがたに聞いてみたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからか、それとも、聞いて信じたからか。
あなたがたは、そんなに物わかりがわるいのか。御霊で始めたのに、今になって肉で仕上げるというのか。
あれほどの大きな経験をしたことは、むだであったのか。まさか、むだではあるまい。
すると、あなたがたに御霊を賜い、力あるわざをあなたがたの間でなされたのは、律法を行ったからか、それとも、聞いて信じたからか。
このように、アブラハムは「神を信じた。それによって、彼は義と認められた」のである。
だから、信仰による者こそアブラハムの子であることを、知るべきである。
聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに、「あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを、予告したのである。
このように、信仰による者は、信仰の人アブラハムと共に、祝福を受けるのである。
10 いったい、律法の行いによる者は、皆のろいの下にある。「律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる」と書いてあるからである。
11 そこで、律法によっては、神のみまえに義とされる者はひとりもないことが、明らかである。なぜなら、「信仰による義人は生きる」からである。
12 律法は信仰に基いているものではない。かえって、「律法を行う者は律法によって生きる」のである。
13 キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。
14 それは、アブラハムの受けた祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及ぶためであり、約束された御霊を、わたしたちが信仰によって受けるためである。

*人の初回の人生はモーセの十戒の監視の下にある。

このモーセの十戒を守り切れる人間は存在しない。

なので、全人類の初回の人生は必ず罪人と定められる。

 

イエスキリストが十字架の貼り付けの刑により死に、全人類の呪いであるモーセの十戒と知識の実を食べた原罪を消し去ったのである。

これにより全人類は第1の復活後の人生ではモーセの十戒の監視と原罪は無くなったのである。

 

現代へ第1の復活後にイエスキリストが聖徒に約束した聖霊を降臨させた。

現代で聖霊が聖徒に正しい聖書の内容を教える。聖徒を信仰により生き延びさせるためである。そして神の城へゴールした者は永遠の命を得る。

 


15 兄弟たちよ。世のならわしを例にとって言おう。人間の遺言でさえ、いったん作成されたら、これを無効にしたり、これに付け加えたりすることは、だれにもできない。
16 さて、約束は、アブラハムと彼の子孫とに対してなされたのである。それは、多数をさして「子孫たちとに」と言わずに、ひとりをさして「あなたの子孫とに」と言っている。これは、キリストのことである。
17 わたしの言う意味は、こうである。神によってあらかじめ立てられた契約が、四百三十年の後にできた律法によって破棄されて、その約束がむなしくなるようなことはない。
18 もし相続が、律法に基いてなされるとすれば、もはや約束に基いたものではない。ところが事実、神は約束によって、相続の恵みをアブラハムに賜わったのである。
19 それでは、律法はなんであるか。それは違反を促すため、あとから加えられたのであって、約束されていた子孫が来るまで存続するだけのものであり、かつ、天使たちをとおし、仲介者の手によって制定されたものにすぎない。
20 仲介者なるものは、一方だけに属する者ではない。しかし、神はひとりである。
21 では、律法は神の約束と相いれないものか。断じてそうではない。もし人を生かす力のある律法が与えられていたとすれば、義はたしかに律法によって実現されたであろう。
22 しかし、約束が、信じる人々にイエス・キリストに対する信仰によって与えられるために、聖書はすべての人を罪の下に閉じ込めたのである。
23 しかし、信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視されており、やがて啓示される信仰の時まで閉じ込められていた。

*聖霊が出現する前は、全人類が十戒の監視の下にあり、罪に閉じ込められていた。

罪から逃れるには初回の人生では聖書の神の救いを信じて死ぬ事である。そうすれば神ヤハウェに罪を帳消しにされ、現代へ罪が無い状態であり、真実が解る状態で復活する。

 


24 このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。
25 しかし、いったん信仰が現れた以上、わたしたちは、もはや養育掛のもとにはいない。
26 あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。
27 キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。
28 もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。
29 もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。

 

キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。 とは、

聖霊に聖書の内容教えて貰って真理を理解して、三位一体の神の名前を知り、神の城へ入る権利を得て、神の子聖徒となる。

 


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