大鹿山 長禅寺 茨城県取手市取手2丁目
茨城県取手駅周辺散歩 まとめ [Click here !↗]
【住 所】 茨城県取手市取手2丁目9-1 Mapion地図
【宗派と本尊】 臨済宗妙心寺派 本尊は延命地蔵尊
【創 建】承平元年(931年)
【長禅寺略記】境内掲示を写す
【長禅寺の写真】 平成26年3月16日撮影
長禅寺 山門

長禅寺 参道は急階段


長禅寺 三世堂(百観音堂:さざえ堂)


長禅寺 三世堂内

長禅寺 取手大師(霊山堂)
新四国相馬霊場八十八カ所、第一番、第五番、第一番、八十八番
利根川七福神めぐり大黒天


長禅寺 利根川七福神めぐり大黒天

長禅寺 長禅寺 取手大師(霊山堂) 内

新四国相馬霊場八十八カ所、第八十八番 大師堂

新四国相馬霊場八十八カ所、第五番

新四国相馬霊場 光音霊堂

長禅寺 庭には梅の花


長禅寺 しだれ梅の花

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【住 所】 茨城県取手市取手2丁目9-1 Mapion地図
【宗派と本尊】 臨済宗妙心寺派 本尊は延命地蔵尊
【創 建】承平元年(931年)
【長禅寺略記】境内掲示を写す
長禅寺は大鹿山長禅寺と号し、臨済宗妙心寺派の古刹で京都の妙心寺の末寺です。本尊は延命地蔵尊です。
縁起によれば朱雀天皇の代の承平元年(931年)に平将門が勅願所として創建したと伝えられています。 将門没後は「御厨三郎吉秀」という人物が、ひそかに本尊を守り伝えてきたものの荒廃が甚だしかったといわれています。承久元年(1219年)には義門和尚を開祖として再興が計られ、また「吉秀29代後胤織部時平」は、文暦元年(1234年)に将門の守本尊で安阿弥(快慶)の作とされる十一面観音像を安置するために「四間四面御堂」を建立するとともに、寺の再興を計ったとも伝えられています。
創建当時は旧大鹿村(現在の白山地区、取手競輪場近く)にありましたが、江戸時代初めに水戸街道が整備されて取手宿が形成されると現在地に移転しました。慶安2年(1649年)に、三代将軍徳川家光から朱印地五石三斗を賜って以来、代々の徳川将軍から朱印地を賜っています。
また、長禅寺は観覚光音禅師(かんがくこうおんぜんじ)が開基した新四国相馬霊場八十八ヶ所(現在の取手市・我孫子市にまたがる札所)の発願・結願寺でもあります。弘法大師の縁日(毎月21日)には大師講の信者を中心に多くの参詣者で賑っております。
利根川に面した高台に位置する長禅寺は風光明媚なところで取手八景や茨城百景のひとつにも数えられて、昔から地域の人々に愛され親しまれているところであります。この他にも小林一茶の句碑や小川芋銭(うせん)の碑、開闡郷土碑、とりで七福神の大黒天などがあります。ぜひ探索ししてみてはいかがでしょうか。
平成十三年三月 長禅寺
【長禅寺三世堂:さざえ堂】引用:取手市役所HP 縁起によれば朱雀天皇の代の承平元年(931年)に平将門が勅願所として創建したと伝えられています。 将門没後は「御厨三郎吉秀」という人物が、ひそかに本尊を守り伝えてきたものの荒廃が甚だしかったといわれています。承久元年(1219年)には義門和尚を開祖として再興が計られ、また「吉秀29代後胤織部時平」は、文暦元年(1234年)に将門の守本尊で安阿弥(快慶)の作とされる十一面観音像を安置するために「四間四面御堂」を建立するとともに、寺の再興を計ったとも伝えられています。
創建当時は旧大鹿村(現在の白山地区、取手競輪場近く)にありましたが、江戸時代初めに水戸街道が整備されて取手宿が形成されると現在地に移転しました。慶安2年(1649年)に、三代将軍徳川家光から朱印地五石三斗を賜って以来、代々の徳川将軍から朱印地を賜っています。
また、長禅寺は観覚光音禅師(かんがくこうおんぜんじ)が開基した新四国相馬霊場八十八ヶ所(現在の取手市・我孫子市にまたがる札所)の発願・結願寺でもあります。弘法大師の縁日(毎月21日)には大師講の信者を中心に多くの参詣者で賑っております。
利根川に面した高台に位置する長禅寺は風光明媚なところで取手八景や茨城百景のひとつにも数えられて、昔から地域の人々に愛され親しまれているところであります。この他にも小林一茶の句碑や小川芋銭(うせん)の碑、開闡郷土碑、とりで七福神の大黒天などがあります。ぜひ探索ししてみてはいかがでしょうか。
平成十三年三月 長禅寺
長禅寺は大鹿山長禅寺と号し、臨済宗妙心寺派に属しています。慶安2年(1649)将軍徳川家光より寺領5石3斗を賜る朱印状の交付を受け、以後明治維新まで歴代の将軍より朱印状を受けています。また市内に残る石造遺物の約6%がここにあります。
南側の石段をのぼりきると、正面に建つのが茨城県指定文化財の三世堂です。外観は2層ですが内部3層で、「さざえ堂」の形式になっており、上り階段と下り階段があり、堂内では参拝者が交差せずにまわれるようになっています。棟札によれば、宝暦13年(1763)に建立された堂が大破したため、享和元年(1801)に再建されたとあります。1層に坂東三十三か所観音札所、2層に秩父三十四か所観音札所、3層に西国三十三か所の各本尊の写しを安置しており。合計百体の観音像があることから、百観音堂と呼ばれています。
さざえ堂は他には、群馬県太田市の曹源寺、埼玉県本庄市の成身院、福島県会津若松市の旧正宗寺、青森県弘前市の蘭庭院と、長禅寺を含めて全国で5棟しか残っておらず、大変に貴重な建物です。
*普段は内部の一般公開はしていません。
【備 考】さざえ堂は全国に5棟存在。長禅寺の他には群馬県太田市の曹源寺、埼玉県本庄市の成身院、福島県会津若松市の旧正宗寺、青森県弘前市の蘭庭院。南側の石段をのぼりきると、正面に建つのが茨城県指定文化財の三世堂です。外観は2層ですが内部3層で、「さざえ堂」の形式になっており、上り階段と下り階段があり、堂内では参拝者が交差せずにまわれるようになっています。棟札によれば、宝暦13年(1763)に建立された堂が大破したため、享和元年(1801)に再建されたとあります。1層に坂東三十三か所観音札所、2層に秩父三十四か所観音札所、3層に西国三十三か所の各本尊の写しを安置しており。合計百体の観音像があることから、百観音堂と呼ばれています。
さざえ堂は他には、群馬県太田市の曹源寺、埼玉県本庄市の成身院、福島県会津若松市の旧正宗寺、青森県弘前市の蘭庭院と、長禅寺を含めて全国で5棟しか残っておらず、大変に貴重な建物です。
*普段は内部の一般公開はしていません。
【長禅寺の写真】 平成26年3月16日撮影
長禅寺 山門

長禅寺 参道は急階段


長禅寺 三世堂(百観音堂:さざえ堂)


長禅寺 三世堂内

長禅寺 取手大師(霊山堂)
新四国相馬霊場八十八カ所、第一番、第五番、第一番、八十八番
利根川七福神めぐり大黒天


長禅寺 利根川七福神めぐり大黒天

長禅寺 長禅寺 取手大師(霊山堂) 内

新四国相馬霊場八十八カ所、第八十八番 大師堂

新四国相馬霊場八十八カ所、第五番

新四国相馬霊場 光音霊堂

長禅寺 庭には梅の花


長禅寺 しだれ梅の花

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